不均衡な現実を読む

ルールの公正さに対する疑問など

こんにちは。抽象概念の世界がほぼリアルとごちゃ混ぜになって判別ついてない男です。

まあ仕方ないですよね。。。想像できちゃうんだから。。。

想像想像、、、抽象抽象、、、妄想妄想、、、などとみなさま仰いますが。。。

私たちが思い描くものでリアルと幻の差なんて全くないのですよ。論理的分析の結果として。

何をよりリアルと解するべきか?は時の権力に大きく左右されます。

そんなことよりも。。。

私たちが忘れてしまいがちなのは、圧倒的多数の人間は、何がリアルであるべきか?なんて別に気にして生きてやしないということです。そうでもなければ、時の権力といったって好き勝手に何がリアルか?なんて決められやしません。

頭の働く輩が勝手に(妄想的に)決めたものがリアル。

頭のいい人たちがお決めになったのだからと庶民が信じ従うのがリアル。

18世紀終盤以降私たちは啓蒙されたらしい。

しかし。。。

啓蒙なるものが、盲目的に権威に依存することだったとは。。。皮肉過ぎて笑えない。

私たちは力に弱い。

この力なるものは、自然の力をも含んでいる。

神々しいものと、卑俗なるものが、私たちには区別できると言えるだろうか?

様々間違い、至らぬところがあるのが人間とはいえ。。。

私は一神教の罪は重いと考えている。

神は一つ。

それは、個々人それぞれが神様を宿しているから。「神様によって存在せしめられている」でもいいけど。。。

私たちは一人一人が唯一無二の存在。

ならば、そこに宿る神だって唯一無二。

そういう意味でわざわざ神様を唯一のものとしたはずなのに。。。

面倒見のいいひと(でしゃばりなひと)は本当に厄介だ。節操がなくなる。正しいとの思い込みがどんどんとひどくならざるを得ないから。「オレの神とお前の神はいっしょ」だなんて。。。

啓蒙とやらの時代以降は、そうした人間の数が飛躍的に伸びて世の中が狂いに狂ってしまったようだ。

何故安定安泰には不可欠の神を捨ててまで理性の優位を示そうとするのだろう?全く勝ち目がないことは分かり切っているのに。ロマン?困難へのチャレンジ?なら真剣にやればいい(例:全宇宙完全コピーの作成)。分かり切っているのだから。勝てないことは。つまり、少々頑張ったところでどうにもならない。それを理解した上でのチャレンジ。そうしたチャレンジなら、くだらない格付けやら内輪揉めなどやっている暇などなくて、真剣に臨まざるを得ないはずなのだが。。。

真剣。

また出てきてしまった。ありえないワード。

「自然とのめり込める」でいいのではないか?

のめり込めるものは人それぞれ。

のめり込めるものに出会えるかどうかも運次第。

出会えたとしたって飽きたり再度注意を引かれたり、、、の繰り返しだってあるだろう。

のめり込めることだけ、のめり込める時にだけやればいいのでは?

他人に訊いたりしないで、自分の神さまに訊く。

進んだ遅れたも自分自身の中でのこと。他人は関係ない。

のめり込めていないくせに一生懸命さをアピールするのは罪深い。のめり込めていない以上気になるのは他者との違い(類似性)。そして、差異付け、仲間分けに腐心することになる。それだけで食っていけちゃうってのがもっと問題なのだけど。。。

ただの暇つぶし。

暇つぶしは面白くやらねばならない。

「面白く」とは、関係性を楽しむ、ということ。

程よい公正さがなければあまり面白くない。やはり、勝ったり負けたりハラハラさせられるようなものでなければ。

絶対勝てる必勝法なるものも、現実に必勝はないからこそありがたがられるのであって、百戦百勝、しかも余裕の勝利だと面白くないばかりか、ややインチキ臭くも感じてしまう。

たまには負けなければ。壊滅的打撃?大丈夫でしょ?元々恵まれている方のひとたちは特に。

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自分の唯一無二性を知るのも、自分以外の唯一無二性を知るため

順番はどっちが先でも構わない。

共感なるものがいいと感じられるのは、互いに唯一無二な別々のもの同士だからこそ。

はっきりさせるのは、勝ち負けよりは違いだ。

ルールに沿ってやってみれば違いははっきりとする。

でも、そもそも違い過ぎるからルールを決めるってこともある。

はじめっからお墨付きが与えられたルールなんてない(ルールが運用されているうちにお墨付きが与えられる)から、やはり、とっかかりは違いの認識だろう。

ルールが欲しくなるのは、それでもアクティヴな人たちだろうから、要するに、できる方の人たちが決める。ルールについて知らないでいる人たちのことは、その存在が認識されるまでは文字通り視界に入っていない。入っても、わりと簡単に説得できてしまうだろう。「このルールに従ってください。」

ルールの公正さなんてそんなもんだ。

後発で才覚のある人も、できる限り先行のオーソリティ側に加わろうとするだろう。

オーソリティの根本的書き換えというのもたまに起こるけど、多くの場合、思いもよらない一見無関係にオペレートしていたオーソリティが引っ張ってこられて、ハマった時に起こる。つまり、一匹狼とかで規模は大したことはなかったとしても、どっかでアクティヴに活躍していたということだ。何もない所からは何も起こらない。ルールはエライ方、動けるぐらいアクティヴでリソースフルな方の人が決める。

私が問題にしたいのは、特別アクティヴでもなくて、いわれたルールに従うしかない人、従うことに何ら問題を感じない人たちの存在について。

こういう人たちはいかに扱われるべきか?

というとエラソーだけど、それほどアクティヴでない人が多くいるのも厳然たる事実。

アクティヴでもないし、そうなりたい意欲もそれほどない。だからといって、強い方のなすがままでよいのだろうか?

その辺のところ。

「そんなんじゃーどーなったってしゃーないっしょ」とか言う人結構多そうなんだけどさ。。。

敢えて問うていきたい。



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