裸の王様のように
バカ
大学出たら賢いのか?
そうは思えない理由は、型が決まり過ぎているからだろうな。
大学入って卒業したってことは、決まったカリキュラムに沿って勉学は修めたと、ほぼ全員理解するだろう。成績についてはバラバラなのは当然で、そこのところは詳しくは問わない。
大学行ってない人だって、大学が勉強するところだということぐらいは分かる。
要するに、社会の階層としてはまあまあ上の方に位置するだろうけれど、大学出たからって何か特別に優れた人間になるなんてことは、卒業した本人達だって信じちゃいない。
ただ、制度上、大卒なりに上の方にいたって構わない。いる権利ぐらいはあるだろう。高い学費も、それなりに時間も費やしたわけだしね。当然の報酬というところ。
ご存知の通り誰もが大学に行けるわけじゃない。行きたくても。
ということは、行ける人はそれなりに恵まれているということ。
ただ、大学行けるぐらいじゃ、そんなに特別に恵まれているなんて思わない人の方が多いはず。
調査したわけではないけれど、小中高に通えるのと、大学通えるのとでそれほどおっきな違いがあるなんて思っていない人の方が多いのではないか?すんなり入って卒業したような人なら特に。
もしも、何かの拍子に「恵まれてる」ってことを思い出させられたとしても、それほど負い目を感じることもなく、その恵まれた機会をそれなりには活かし得ました、ぐらいの正当化は可能だろう。
大学出たんだ。それぐらいの学はある。
自己正当化に汲々とするような人間は裸の王様のようだ。
正当化のインセンティヴは常に外部から来る。
必死で正当化するに従い、対外的には格好を付けられているに違いないと信じるようになる。
少なくとも外に対しては体面を保っているつもりで、現実の他者が自分をどう見ているか?について全くの盲目である。
というような事態に陥ってしまう。
先進国で生まれ育ったからには、インドのスラムで暮らしたことがあろうが、ソマリアでボランティア活動をしようが、先進国生まれだ。
世の中のことが見えているかいないか?という問いに対して、見えていると言いたいがために、体験の多様さを主張するバカは多い。
やればやるほどバカの上塗りになるってことすら分からないバカ。
そんなにラッキーを自慢してどうする?
不公正な利益を沢山得た方がエライ???
ラッキーには少なくとも感謝するようにしようね。
「見たいものしか見ない。見えない。」
そんなのも所詮恵まれた者たちの戯言だ。
それを知っているというだけで、克服できていると思っている。
知識は量だと思ってる。
何か(数量とか多様性とか)のカベを超えたいんですかね?
カンタンですよ。
人間の想像力をもってすれば。
超える前に。
カベについて知らなくてもいいんですかね?どんなものをどう超えるのか?
自分を守ってくれているカベ。そのカベがために、ただフツ—に生きているだけで続々と派生していくカベ。
「カベを超える」なんて。ほぼマスターベーション的な快楽・享楽しかもたらさない。
何故か?
その「カベ」はアンタが勝手に想像で創り出しているものだからさ。
超えやすい「カベ」。ちょっと難しそうだけど結局超えられる「カベ」。超えられなくても仕方ない「カベ」。
恵まれた者達というのは、そういう想像上の「カベ」を、あれこれ相談して、あたかも現実のものと見做せるのさ。集団でね。「あー。そのカベはイージーね。」「さっすが!あのカベを超えるとは!」とかね。。。
現実のカベはね。
まず、知ろうとすることさ。知りたいと思うことさ。
知れば「超える」なんて言葉が、滑稽なほど非現実的にヒロイックだと感じられてくる。
超える(た)つもりでぴょんぴょん跳ね回ってるなんて。。。
邪魔でしかないんだけども。。。
さらに。。。
バカっぽいから止めた方がいいよ。