王様を裸にした気になる
リーダーシップをとるよりバックアップの方が楽。
でも、バックアップだって社会の維持のためには必須。
プライドを感じたっていい。
ジレンマだってある。
世の中は皆リーダーになれと言う。バックアップだってリーダーのつもりでやれ。私は私のリーダーだ。
そこまで気合いは入れなくたってランク(世間などからの評価)は気になる。
ランクは生きていけるぐらいの収入が得られるかどうかにも関わるし、満足すべき生活レベルの指標にもなる。
大多数の人間は、ランクの上下はあっても、現実的にはバックアッパーだ。
王様が馬鹿であれば、バックアッパーの自尊心は相対的に上がる。
責任感はイマイチ。
馬鹿な王様に丸投げできるから。
そういう「丸投げするか/しないか?」みたいな責任感なんて、いろんな人々の間で揃えられるわけない(だってそれぞれの内心の問題だもの)から、マネジメント上の優先順位は低い(こだわったところで可視化しにくい)。裸の王様を笑い者にして溜飲下げてたって別に構わない。
そんなことだと人類全体の知的レベルを少しずつでも上げるなんてのは夢のまた夢だけど。。。
ちなみに白い人たちが開発して、現在ほぼグローバルに維持・発展させられている知識体系だけでは不十分。人類全体の知的レベルを向上させたいなら。 #知識の民主化 を目指すなら。
#知識 とは人間の存在の仕方そのものと言えるのだから、 #知的レベル を上げる、というのは、人間をより正確に知る、 #愛するということ 。
自他ともに最もややこしい一人一人の内面で絶えず巻き起こる #葛藤 に注意なんて向けない似非 #一神教 文化では、人間をより正確に知ることなど不可能。
前進(漸進)主義とも言われる、合理的科学。
問題を一つ一つ潰していっている以上、前進(漸進)していると思い込んだって不思議ではない。
そんな考え方の盲点は明らか。
#唯一絶対の神の解釈 (誤解。都合のいい解釈。)からスタートしている。近現代に始まった話ではない。
21世紀の日本でも #御用学者 という言葉はしばしば問題にされるけれども、私たちは未だかつて知識の力でパワーを凌駕したことはない。
様々なモノが均等に分布していないからこそ生じる動きとそれが及ぼす影響。
「知識でパワーを凌駕したことがない」というのは、そうした主に自然の営みとして不均等に分布している様々なリソースについて、それが行使するパワーがいかなるものか?をそもそも理解したことがない、ということ。
問題は「自然vs.人間」とかいう古典的な問いに答えることではない。
自然も人間もどちらも理解していないということが問題。
もう少し控え目に言うならば、いずれか一方といえども、多少なりとも理解し得ているという過信が問題。
何故か?
#謙虚 に、非常に限定的なエリアについて、だとしても、「知っている」という感覚は隙を生じさせるもの。
そういった隙について理解することは、理屈ではそれほど難しいことではないはずなのに、いや、だからか?、「ちょっと気を付ければ問題なし」ぐらいに思ってしまうらしい。
#後先が逆 なのよね。概して。
唯一絶対の神さまなんてさ、もうそう言うしか仕方ないからそう言っているのよ。人間がバカで聞かん坊だから。
散々っぱら冒涜しまくっているの。既に。そういう神さまが経典とかに書き記される(そういう神さまが経典を下さる)以前に。
ってことはよ。
今さら「神さまは尊重してます。けども科学的見地からは、、、。」なんて言ったところで全く意味ないのよね。
なんでか?
分からないっすか?
現代人。。。よりもずっと以前の我々のご先祖様からの悪しき伝統なんだけども。。。
もう散々っぱら冒涜しまくってんですよ。昔々その昔、、、だけでなくて、現に今も。
御託はいいから、ともかくその事実におそれおののかなければならない。
理屈では。
でも、そんな風には理解しない。
「あー?神?絶対なんしょー?ハイハイ。従ってまっせ。『謙虚に従え』ってんならこれからも従いまっせー。」
ってさ。。。
いつまで続けられますのん??
「神さまのせい。」
てめーらなんだよ。世の中動かしてんのは。
ええかげん、責任取れよ。せめて取ろうという意志ぐらい見せろよ。「神さまなんかよりも理性さー」とか言うなら尚更だよ。
そこまで言っておきながら、「一応アンタのことは『信じたい人は信じてもええんちゃう?』ぐらいには認めてまっせ」はないだろ。
今さら神さまの存在なんか認めたって何もならないのよ。
なすべきことは一つ。
どんな絶対神だって冒涜しちまう #傲慢さ を認める、ということ。
ったく。
何が #合理的理性 だよ。
都合のいいとこ全部昔ながらのイリュージョンに依存してやがって。
王様のこと裸ん坊だとか言っていい気になってんじゃないよ。
世界はね。
分けられないんですよ。
私たちが想像するようには。
分けた上で得られる納得なんてなあ全部まやかし。 #偶像崇拝 。
都合上技法の一つとして活用することは妨げないけれども、「正しいことした」「正解に到達した」とか思うのは行き過ぎ。
そういうどうしようもない傲慢さをなんとかマネージするためにもね、神さまとはもっともっと人間っぽく付き合った方がいい。
結局私たちが想像できる人物や事物って、それに向かって私たちの姿とか考え方とかを #投影 するわけだから、神さまだってそういう存在なのさ。
他の人物・事物との違いといえば、やっぱり #オールマイティ さ。
どんな夢や理想だって投影可能。
翻って、誰も完全に無視したり逃げたりはできない。
それぐらいばっちり私たち人間の姿を捉えてくれるもの。
「もう古い」だの「立派立派。スゴイ立派。とてもじゃないけどかないまへん。」だの言っていなしたつもりになってないで、もっと丁寧に付き合っていくべきだね。