暇を掘る
本マガジン『動的平衡の社会学』では、暇を潰す、という言い方を使っていましたが、暇を掘る、ってのはどうかな?
暇を見つけるのではない。
私たちは基本暇。
それを掘る。
発掘。
掘ると本当に色んなものが見つかる。結構浅くても。
掘るというのは結構体力を要する。比喩的にではあっても。
物理的には、中々機会がないかもしれないけれど、掘るとめちゃめちゃ汗をかく。運動不足だと翌日筋肉痛にもなるぐらい。
掘るというのは比較的狭い範囲、ポイントに集中する、拘るイメージがある。
掘り散らかすってこともないわけではないけれど、掘り始めると、オタクっぽくゴリゴリゴリゴリ一点に集中している時間が長い感じ。
ちょっとバカバカしくてちょっと贅沢。
暇を掘るのは暇を軽くエンジョイする気分。真面目に汗かいて掘るんだけれども、明らかに狭い範囲に囚われている。それがよく分かるのがいい。色々知ったところで所詮穴の中。そんな狭い範囲でも、知ることが思いの外沢山あるってのもいい。
「暇を掘る」というのは、随分前に #村上春樹 さんの『 #騎士団長殺し 』を読んだ後に書きなぐったメモ( #note の下書き)から発見したもの。
なんでだろう?
重機で穴を掘る(見つける)場面があったからかな?
それとは関係ないけれど、最近のお気に入り、ジュール・ヴェルヌさんの『 #地球中心への旅 』も、穴掘りのイメージはある。別にこちらは掘るわけじゃないけれど。穴の中には様々な地質学的情報があるということが描かれている。
掘れば暇が潰れるだけでなく、いろんなことが分かる。
自分が穴に埋まるほど掘れば、ちょっと怖い。
人生も一瞬先は闇ってところがないわけじゃないので、仮想的にでも、暗い穴の中で、岩盤に圧迫されて、押しつぶされるような恐怖感を味わっておくのも、無駄ではないかもしれない。
穴は非日常のメタファーとも理解できる。
穴を掘って非日常を体験する。
穴の中に光が届きにくいなら、視覚以外の感覚も案外大切ってことが実感できるかもしれない。
五感や第六感まで使って探索する。
穴から出て来れた時の解放感・開放感もいいかもしれない。日常もまた味わいが違って感じられるなど。
残された穴を見て、大して意味ないなって感じるのも無駄ではないと思う。
汗して掘った実感とともに。