日本人の美質
これは、南方熊楠が、古社の合祀・滅却に反対して書いた書状の中で、英国の友人(といっても30歳ぐらい年長)の日本研究者で、オックスフォード大学の総長(?)も務めたディキンズ氏(Dickins, Frederic Victor)からもらった手紙の一部を引用したものということです。つまり、シャラ―博士という外国の人が日本について書いたものを、別の日本に詳しい外国の人(ディキンズ)が、日本人である熊楠に伝えたことを、熊楠が引用しているものです。
熊楠の目的は、別々の神社を「大した意味ないだろ?」とまとめて祀って、どんどんと神社を潰すのは、不浄で不正直だ、と訴えることだったので、日本人全体がどーのこーのと言うつもりはなかったはずです。
しかしながら、そうした限定された文脈でのみ読めない。それぐらい刺さってくる言葉ではあります。
一回本当に滅びかけましたからねー。。。
で。
ひょっとしてまた???みたいな雰囲気も最近なくもなく。。。
前段の美質の数々(勇武、忠義、敏捷、精通、自抑)と大悪質(不正直と不浄心)。
私の理解では、これらは不可分なんだろうと。
美質のみあって、悪質の方はない、ってことにするのは無理筋なんだろうと。
なんで不正直と不浄心が「いかなる大国民をも亡ぼすに足る」のか?
挙げられた美質の数々は全て建前だから。
それらが徹底されていればされているほど、一人一人の不正直さが際立ってしまう。建前をそろえること自体が悪なのではないけれど、全員が一様に、というのは無理ってことぐらいは配慮できなきゃ、圧倒的な悪にもなり兼ねないということだ。
一人一人の内心というものの存在に対して不正直であり、その不正直さから目をそらすために、様々な現世利益を並べ立てる不浄さが輪をかける。
きっと一人一人は大それた悪事をはたらいているなんて露も思っていないだろう。
ただ社会的な調和を保って、楚々と生きているに過ぎないと。本気でそう信じていることだろう。
不正直と不浄心。
破壊力抜群なわけだ。
一人一人がおしなべて、自分自身の内心が無視され、破壊されることを甘んじて受ける(不正直)なら、それは誰も止めるものがいないということだ。
そうした事態がもたらす悲惨さを思うなら、建前をそろえることができることなんてホントに大したもんじゃないってことが分かるはずなんだけどね。。。
サルだってありんこだって秩序は守れるわけだしさ。。。
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