鶏の唐揚げ:因果応報
実家に帰ると母が張り切ってリクエストを聞いてくれる。私がリクエストする料理、それは今も昔も唐揚げなのである。ジュワーっと広がる肉汁とともに、カラッとあがった皮をパリパリ食べるのがたまらないのだ。ダイエットでも大丈夫な唐揚げ、というのをみると皮は取り除くなどの記載があるのだが、私には信じられない。
唐揚げには、皮が必須なのである。カラッと揚がった皮が。
基本的にカロリーの高いものは、美味しく感じるようにできている。唐揚げの皮の部分なんて、油を油であげたようなものだ。まるで悪魔みたいな組み合わせ。あんなに美味しくなかったら食べないで済むのに、なんて思ってしまう。
さらには、そんな悪魔のような食べ物がコンビニのホットフードコーナーに、お手頃価格で並んでいるのがこれまた憎らしい。ついつい買ってしまうのだ。そんなつもりはなかったのに。
そう、世の中には悪魔みたいな組み合わせがたくさん存在していて、いちいちこちらを誘惑してくるのだ。そして、その悪魔の組み合わせには必ずと言って良いほど落とし穴がある。唐揚げでいう、カロリーのように。
だから、人生において悪魔の組み合わせに出会ってしまったら、用心してかかることが大切だ。こんなに美味しい唐揚げにカロリーがないわけがない!なんて。
悪魔の組み合わせが必ずしも悪い、とは限らない。悪魔の組み合わせというだけあって、おいしいところもあるはずだから。それに、若いうちや怪我をしてもそれほど痛くないうちは落とし穴にハマってしまうくらいで良いと思う。
けれども、歳を重ねていくにつれて、経験を重ねていくにつれて、ここには落とし穴がある、ここにハマる可能性もあるけれどもそれでも食いつくのか、という思考はしなければならない。どれだけ好き勝手に生きようと、そのリスクは多少考えておかなければ、後で痛い思いをするのは自分なのだ。
因果応報、といえばしっくりくるだろうか。