トラウマなんて捏造だ。楽しい記憶をつくってしまった方がいいのでは?
幼少期の体験が、今の自分を作っている。それは無意識下でおこるもので、それに行動を支配されている。トラウマってなんとなくそんなものだと理解している。
ただこれ、今の自分が勝手に作ったものであることが、とても多いようで。アドラー心理学でもそんな話があったと思う。
人間の記憶は、曖昧だ。今日の夕飯は思い出せるかもしれないが、一週間前に食べたものを、例えば家族全員から嘘をつかれたりしたら、その嘘の方を本気で信じてしまうだろう。
人の記憶は、自分が都合が良いように作られる。上記の例だと、家族との喧嘩なんてしたくないし、という気持ちが少なからずあるだろう。トラウマみたいなものも、今の自分の行動を正当化するために、もっともらしい過去を自分で作り出していてもおかしくない。
まあ、どこまでどちらが正しいか、なんていうのは究極、わからないものだとも思っている。なので、トラウマが捏造なのか本当なのかは、どうでも良い。
むしろ大事なのは、記憶を人間は書き換えられる、というところで、それならば楽しい記憶で上書きしてしまって、いまの自分にも都合がいいように作ればいいと思うのだ。
トラウマをポジティブに利用している例をあまり聞かないので、トラウマなんてなければいいのにな、そんな風に思う。
自己正当化の理由を探すくらいなら、なんにもないところから、新しい行動を作った方がよっぽど生産的だよね。
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