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「あきらめ」と「悟り」の違いは、前者は心を満たす努力をやめた状態で、後者はこれ以上心が満たされる必要のない状態です。
自然思想では「人間には煩悩があるのが自然である」と考えます。ですから思う存分、苦しみをなくすことを考え、悟りを目指す生き方をしてください。もしあなたがそうしたければ、の話ですが、
「悟りを得たい」という煩悩の奥底に「悟れば苦しみがなくなり幸せになれる」という期待(煩悩)があると、悟りはどんどん遠のきます。
「悟りを得たい」という煩悩は、とても強力で手放すのが難しい煩悩のひとつです。
不利な運勢でもあえて動かなければならない時があります。そういうときは覚悟を決めて動くしかありません。運勢に振り回されないでください。
どんなに正確に運勢を読み取り解釈できても、それに沿って行動できるかは別の話です。また、なんでもかんでも宿命や運勢を優先すればいいとも限りません。
どんなことにも「引き時」というものがあります。センスの良い人はそれを肌で感じ取り、センスのない人は算命学を使っても見過ごします。あちゃぁ・・・
算命学の学びに終わりはないとよく言われますが、実際、教科書を一通り書き終わるとすぐにまたはじめから書き直したくなります。書いている間に新たな気づきがたくさんあるからです。
技法を使って宿命を解釈するのは簡単です。その結果から有益でわかりやすいアドバイスを考え出すのが鑑定士の主な仕事です。
鑑定のとき、相談者に技法の説明をしてしまう人がいます。それは相談者に鑑定を丸投げしているようなものです。
人から教わったことは忘れやすいですが、自分で気づいたことや疑問を持ったことは記憶に定着しやすいです。
心のどこかに「趣味は高尚なものでなければならない」という思い込みがあると、本当に好きなことに打ち込めなくなるかもしれません。
余暇を過ごすのに、それが何であれやりたいことをやりながら「こんなことしていて本当に良いのかな?」と考えてしまうのは不幸なことだと思います。
暇なときにダラダラとスマホをのぞき込んで過ごす人生っていいよねってかなり本気で思っています。何に夢中になるかは趣味嗜好の問題だと思うのです。