孤独が私を更新する
ふと、人生で一番孤独を感じていた時期を思い出しました。
当時、私は大学に通い始めたばかりでした。親元から離れて、初めての一人暮らし。友人もできず、バイトもせず、日々大学と家を往復するだけだったのでした。
暇な毎日でした。朝から晩まで一人だし、英語は話せないし(海外の大学だった)。当時はLINEもないし、友人や家族と連絡とろうにも電話はお金がかかるし、時差があるし、とにかくさみしい。とにかく孤独。
話はかわりますが、最近、文學界という雑誌の、「贅沢な悩み」という東畑開人さんの連載を読んでいます。社会的視点が入ると、「贅沢な悩み〜」といわれがちな実存の悩みを、温かくつつんでくれます。
社会的視点で見れば私の孤独はなんとも贅沢な孤独で、誰かと死別したわけでもなく、天涯孤独でもなく、愛されなかったわけでもなく、コロナの時期でもなかったわけですが、私にとっては最大の孤独であり、私の孤独は私だけのものだと思って大事にしているのです。
話を戻します。
あの孤独だった時期、私はとにかく話しかけられれば誰の話もうんうんと聞いていました。
宗教のお誘いで声をかけられれば、神様が表紙の冊子を手にとってうんうん話を聞きました。
道端でおじさんから「タバコもってない?」と聞かれれば、「持ってないの、ごめんなさい。タバコ必要なの?」なんてわかりきったことを聞いて、おしゃべりしました。
いつも話しかけてくれる店員さんがいるコンビニには、毎日通いました。
そして家に帰って、丁寧にお茶を入れたり、部屋をきれいにしたり、日本から持ってきた本を毎日とにかく読んで、mixiにレビューを書いたりしていました。
そのうちに、一人でいることに慣れて、誰にも相談せずにじっくりものごとを考えたり、音楽をしっかり聴いてみたり、「私とだけ付き合う」ということを確立していきました。新しい私が生まれていく気がしました。
話がまたかわりますが、最近、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。
彼も地元の友人4人から突然拒絶され、孤独な大学生活を送ります。その孤独が、彼というものをがらっとつくりかえてしまいます。
彼の孤独も、社会的視点で見たら贅沢な孤独と呼ばれるかもしれません。でも彼の喪失は、とてつもない精神的な喪失だったんだよなぁ…。この本を読んで、今回私は自分の孤独を思い出したのでした。
話を戻します。
そのうち私は、友人ができ、アルバイトを始め、ソーシャルワーク実習も始まり、すごく忙しくなりました。
忙しいと孤独を感じる暇がなくなります。当時は嬉しかったけど(充実してるぜ!!みたいな)、今思えば、私の生まれかわるプロセスは、あの時途中で止まってしまったのですよね。
私はもう、宗教のお誘いに声をかけられても立ち止まらない。
私はもう、道端のおじさんとおしゃべりはしない。
私はもう、店員さんと話したくてコンビニに通うことはない。
忙しくなってしまったから。
あれから今までずっと忙しくて、孤独は遠くにあります。人を求め、自分を味わう時間も置いてきてしまいました。私は中途半端に生まれかわりかけて、そのままでいます。止まったままなのです。
次にあの時と同じくらいの孤独が私にやってくるとしたら、もっと深刻なものかもしれません。「初めての一人暮らし☆」とはちがう孤独だと思います。それこそ、大きな喪失とともにやってくるのでしょう。たくさんのものを手にいれてしまった私なので。
その時に、あの生まれかわり途中の私が更新されるのかもしれないな〜なんて、思うのです。
その時を、こわごわ、でも楽しみに、待とうと思っています。また丁寧にお茶を入れて、部屋をきれいにして、過ごします。その後、私はどんな私になるんだろう。
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2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。
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ハマダユイ
ソーシャルワーカー12年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。
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