ハマダ ユイ|相談室バオバブ

ソーシャルワーカー | 大学教員 | 公認心理師 | 相談室バオバブ主宰 | 写真ブーム到来中

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マガジン

  • 書く部|みんなでつくるマガジン

    • 4,709本

    メンバー同士、もう少し交流というか「あ、どーも」があっていいのかなと。記事を書いたら(よければ)放り込んでください。ぜひ、あなたも読んでください。基本はその日の記事を、あと「これ読んで!」って過去記事も数本なら。みんなでいいマガジンにしましょ~🙌

  • 人と人のアイダ

    人と人のアイダにある境界線について、あれこれ考えて書いた記事たち

  • 「やーめピ」まで楽しむ

    2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。

  • Yui's photo is here!

    「みんなのフォトギャラリー」の写真やイラストを使っていただいた記事を集めるマガジン。感謝です!

  • ソーシャルワークひとりごと

最近の記事

  • 固定された記事

【プロフィール】インタビュー記事など

最近、紹介していただいた記事などはコチラ。 __________________ ■支援者のためのウェルビーイングnote|2023年12月20日 Streatメンバー紹介 ■ピアアドボケイト研究論文(共同研究者として)|2023年11月15日 精神障害者が認識する権利擁護支援が必要な状況と対処方法 ■Poshulou|2023年5月26日 #10 ポシュロウの人たち【濱田 唯さん】 ■フクシのみらいデザイン研究所|2023年2月24日 【精神医療人権センター】私の

    • あなたのために生きられない

      大人になる過程で、自分と他者は全く違うものであり、その間には大きな隔たり(境界線)があり、自分の決断に誰も責任をとることはできないし、誰かの選択について自分が責任をとれることもないと感じるようになりました。 そんな私が強く違和感があるのが「あなたのために生きるよ」「私のために生きてね」という、誰かのために生きるという感覚。 以前、すごく有名なアーティストのドキュメンタリーで、彼女が自分の母親に、「私のためにどうか生きて」と歌いかけていたのを見たことがあります。彼女の母親は

      • 対話しているのは、相手じゃないかもしれない

        最近、死者たちと対話している私です。(わぁ、言葉にしてみると、ちょっとおっかないかしら) ふと考え事をしている時に、「あの人だったらなんて言うだろう」と思う時があります。 そんな時に、その人がとなりにいて、「私はこう思うよ」「こうしたらいいと思うよ」など言ってくれる想像をするのです。 それ以外にも、「こんな時、あの人だったら反対するだろうな〜」とか「こんなところをあの人に見られたら怒られちゃうかしら」なんてこともあります。 そんな感じで死者たちと話しているうちに、気付

        • 孤独が私を更新する

          ふと、人生で一番孤独を感じていた時期を思い出しました。 当時、私は大学に通い始めたばかりでした。親元から離れて、初めての一人暮らし。友人もできず、バイトもせず、日々大学と家を往復するだけだったのでした。 暇な毎日でした。朝から晩まで一人だし、英語は話せないし(海外の大学だった)。当時はLINEもないし、友人や家族と連絡とろうにも電話はお金がかかるし、時差があるし、とにかくさみしい。とにかく孤独。 話はかわりますが、最近、文學界という雑誌の、「贅沢な悩み」という東畑開人さ

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        記事

          タイ料理屋さんでチャーハンもタイカレーも出てこなかった話

          先日、旅先で友人とタイ料理屋さんに入りました。 山梨まで行って、なぜかタイ料理屋。ホテルから近かったこと、お昼にすでにほうとうを食べたこと、なんだか無性にタイ料理が食べたかったことが理由です。 Googleマップで検索して、「17時から営業開始」となっていたそのお店。17時の開店と同時に入ることにしました。 個人営業で、テーブルが3つしかないお店。自宅の延長という感じで、アットホームさが素敵。おかみさんのような女性がニコニコ台所に立っていました。 「2人なんですが、入

          タイ料理屋さんでチャーハンもタイカレーも出てこなかった話

          我々はみな、文化を創造する実践者だ

          最近、ケネス・J・ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」を読んでいます。 社会構成主義とは、私たちの心や文化、人間関係、障害などはすべて社会の中で構成されてきたと考えるものです。 わかりやすいのは障害です。発達障害って、目に見える障害ではない。社会の中で「こういう人や生きやすい」「こういう人は生きづらい」という枠組みが発生して、生きづらい方に分類されることです。 昔は発達障害という概念はなかった。でも、この概念が誕生した今、これに該当する人はたくさんいる。その人たちは「も

          我々はみな、文化を創造する実践者だ

          私たちはちゃんと関係をつくれる

          前回、人間関係には正義や悪はなく、そこにあるのは価値観の違いだけだと書きました。 これは友人と話していたまとまってきた話。頭の中ではわかっていたけど、言葉にすると明確になりますね。 人間関係に正解・不正解はないよね。そこにあるのはお互いの価値観だけだよね。価値観の違いを、「お前は間違っている〜!!」と責めることはできないよね。 という話でした。 では、私たちは恋人が「お前は間違ってる〜!!」と責める人だった場合、その人と別れた方がいいのでしょうか? 決してそんなこと

          私たちはちゃんと関係をつくれる

          人間関係において、正義や真実はあるのか問題

          人間関係を誰かと築いていく上で、私が大切にしていることがあります。 人間関係に正義や真実はないこと。そこにあるのは、お互いの価値観や理想でしかないことです。 例えば恋人同士の2人が関係を築く時に、お互いの理想が噛み合わなくてぶつかることがあるかと思います。 極端な例で言えば、恋人には私以外にも5人も愛人(?)がいたとします。そうすると、私の価値観では「5股なんて悪」だし、「純粋に1人を愛している私は正義」となります。「5股できる愛は嘘」になるし、「真実の愛は1人だけ」と

          人間関係において、正義や真実はあるのか問題

          人を失う時、それぞれの解釈がある

          久しぶりのnoteです。 最近、仕事でお世話になっているリーダー二名を、立て続けに見送る機会がありました。なんの前触れもなく、突然天国に旅立ってしまったのです。 私の人生において、とても影響力のあるお二人でした。お一人目の訃報を聞いてショックを受けているところに、もうお一人の訃報が重なって、悲しいやら信じられないやらで、しばらくぼんやり過ごしました。 両者ともにお通夜や葬儀にたくさんの人がいらして泣いていて。お二人が愛されていたことが伝わって、また泣けるのでした。 そ

          人を失う時、それぞれの解釈がある

          私がストレスだと感じる働き方について

          今週は特別な働き方をしていました。 普段私は基本的には朝から夕方まで大学にいて、週に一度は権利擁護団体の事務所で事務作業をしているわけですが、今週は実習巡回でいくつも実習先をまわったり、県内の精神科病院に見学訪問に出かけたりと、出張する用事がたくさんありました。 すごく疲れたので、気付いたのです。 私は、1日に2件以上の出張があるとストレスなのだと。 今週でいえば、巡回先を2件まわって→大学で研修を受けたり、午前に巡回が1件、→午後は精神科病院に訪問したり、午前も巡回

          私がストレスだと感じる働き方について

          愚かな選択を良しとする力

          過去を振り返れば、「いやはや、愚かだな〜」と思う選択がいくつもあります。 大人になるって不思議なことで、過去にあの選択をしたのは私なのに、今の私がそれを思い出して恥ずかしくなったり後悔したり、あんな過去は消してしまいたいと思ったりするわけです。 あの時の私も、私なのに。同じ入れ物に入っているのに。なぜ、物事への判断が変わるのだろう。あの時の私は、なんだったんだろう。 そんな不思議な気持ちになる最近です。 でも体は3ヶ月で生まれ変わるから、3ヶ月より前の私はもう存在しな

          愚かな選択を良しとする力

          本当の自分を伝えるべきか問題

          夏休み、ドラマを見て過ごしております。暑すぎて外に出られないので、家でじっと涼しくなるのを待っています。 ドラマの中の話ですが、本当に愛する人に出会った時、「本当の自分を見せよう」と勇気を振り絞る場面がありますよね。隠していたことを打ち明けたり、自分の素の姿を見せたり。 きっとこの人なら受け入れてくれるとか、この人に嘘をつき続けてはダメだとか、全てをさらけ出す必要がある…とか。二人の誠実な関係のためにはそのプロセスが必要みたいで、3〜4話目あたりによく出てくる(見ているド

          本当の自分を伝えるべきか問題

          許せない気持ち

          SNSでは今日も誰かが怒っている。 世の中に、許せないことってたくさん存在する。許せないの方向はいつもバラバラで、10人いたら10通りの許せないが、それぞれの価値観に基づいてつくられていく。 許せないの足元には価値観の違いがある。価値観の違いは言動に現れるから、相手に対して「こんなことするなんて許せない」、「あの考え方は許せない」と私たちは憤る。 私たちは許せないを少しの間味わって、心が落ち着いてきてから、相手の言動や言い分を咀嚼して、相手の気持ちを理解しようとしたり、

          ただ、大丈夫と言って

          最近、アートの回路が開いています。 アートの回路は何かというと、音楽聴いたり、映画見たり、本読んだり美術館行ったりしたい気持ちになること。忙しい時は基本的にアートの回路は開きません。映画にも音楽にも心が動きづらい。余裕のある時期に、その回路はボン!と開くのです。 回路が開くと、何を見ても聴いても泣けるし、感動する。 そんなわけで、心動く曲と出会った私です。去年の曲みたいだけど今、知った。 pick up the phone Henry Moodie(2023) 不安

          人と人のアイダにある何か

          先日、我々には、自分の話をする場所が必要だという記事を書きました。 私が「誰にも邪魔されずに自分の考えていることをぶちまけたい」という欲求について書いた、やや自己中心的な記事です。(自己中心的であることは定期的に必要だと思っています。意識しないと、すぐ他人中心的になる私だから) そこで書いたように、授業というのは教員が一方的に話せる時間が長く、しかもアレンジもしやすいということでありがたい時間です。 そこで、授業の内容以外に、学生に聞いてもらいたいことをおまけの時間(3

          人と人のアイダにある何か

          更新の途中にいること

          漠然と、自分が更新の時期にあるという気持ちが最近ある。 人生の中にはフェース1、フェーズ2…というように、転換期ごとの区切りがある。これは私だけではなくみんなあるはず。 私はきっと今フェーズ15くらいで(数えていないから知らんけど)、それが16になりそうな感じ。頭や心や体の中で、ページ読み込み中のクルクルクル…が行われている感じ。 そんな感じがするのだ。 この「更新」とは、進化とか成長とか、ポジティブな意味合いを含むものではなくて、ただ単純に「今までとは違うもの変化す