セルフアドボカシーを「Teachする(教える)」ということ
本日はソーシャルワーク関係の話。
現在私は、ソーシャルワークというより、「アドボケイト」という言葉を使うような現場にいる。相談室バオバブと、アドボケイト活動の2本立てで仕事をしているのだ。
アドボケイト(Advocate)とは、「権利擁護」と訳される。もう、英語ばっかりで嫌になっちゃう。「権利擁護」と訳されているせいで、すごく難しいことをしているような響きにもなる。
要は、弱い立場の人(子供や障害者)の権利のために、代弁者になるということを
アドボケイトという。
現場も言葉についてはよく分かってない。「アボカド?え、アボカド?」みたいな会話によくなる。
アドボケイトという概念の中に、「セルフ-アドボケイト」がある。直訳すると「自分のための権利擁護」だ。なんとも堅苦しい。
以下のサイトからひっぱってきた。(障害がある子どもを持つ親のためのサイト)
セルフ-アドボカシー(セルフ-アドボケイト)とは
自分のために発言することを学ぶこと
自分の人生について自分で決断できるようにすること
興味のあること(必要なこと)について情報を得る方法を学ぶこと
人生の相談者を見つけること
自分の権利と責任を知ること…などなど。
ここまで読みながら、「あれれ?」となった。
これって、私がバオバブの個別相談で相談者さんと一緒にやっていることだ。相談者さんと一緒に、彼らの持つ権利や自由について再確認し、彼らが必要な資源にアクセスできるよう情報提供する。自分で自分の人生について決められるよう、一緒に作戦会議をする。
障害の有無は関係ない。人間、生きている中で困る瞬間はいっぱいある。困っていて、打ちのめされている時、人はいつだって弱者だ。
そうか、私はセルフ-アドボケイトを伝える役割をやっていたんだな、と認識する。「自分のためにソーシャルワークする」と言ってきたが、要はセルフ-アドボケイトするっていうことなんだ。
ちなみに、英語では”We teach you how to advocate"と表現している。「私たちはあなたにアドボケイトする方法を教えていますよ」ということ。Teach(教える)って表現は、私にはハードルが高い。なんだか上から目線な気がする。
でも、自分の知っているセルフ-アドボケイトについて伝えるんだから、教えるって言ってもいいのかな。また考えよう。
そんなわけで、自分のやっていることに名前がついたような気持ちになった夜。
自分の中の尊厳に気づく。ただそれだけのこと、なんて言えない。人によってはとても難しい作業になる。だからこそ、一緒に考える誰かが必要なのだ。
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バオバブやってます。