生後2回目の障害告知~筋ジストロフィー~
娘は、生後6か月を過ぎても首がすわらなかった。
私は、娘に聴覚障害があるとわかってから、地元のお耳の療育ができる場所に通っていた。
そこで「聴覚障害が重い子は、体の発達が遅いこともある」と言われていた。
そのため、発達の遅れをあまり気にしていなかったが、7か月健診で、地域の小児科の先生から大学病院を紹介された。
大学病院受診の数日前・・・・2013年1月20日。
娘が高熱を出し、水分が取れなくなって、夜8時頃、小児急患センターを受診。
そのまま、夜間の当番の小児科病院に行き、採血をした。結果は、「炎症反応が高く、筋肉に関する値が、異常」。そのまま大学病院に救急搬送となった。
私はパニック状態・・・「え?筋肉の値がおかしいって何?え?どういうこと?」・・・意味が全くわからなくて、ずっと泣き続けました。
深夜の12時過ぎに、大学病院での検査で「やはり、炎症反応が高い。筋肉の値が異常。CT上では、脳の萎縮も見られる」と言われた。
(脳の萎縮???意味がわからない・・・・)ますます私はパニックになった。
そして、そのまま入院。深夜から明け方にかけて、全然、落ち着かない夜だった。
夜が明けて、友人が連絡をくれて、「食べることと、ちゃんと寝ること・・・これが一番、大事だからね。ママが倒れたら、みんなが困るからね。」そう言ってくれた。
この言葉がなかったら、私は、ずっと泣き続けて、食べない・眠れない状態だったと思う。
今でも、この時の、この友人の言葉には感謝している。
入院から2~3日後に、高熱の原因は、川崎病と判明。
熱が下がってから、発達遅延(首がすわっていないことなど)の検査が始まった。
約1か月の入院後、2月末頃に、医師から「検査の結果をお話します」と言われた。
私は、何か大きい病気であることを否定したい気持ちでいっぱいだったと思う。
医師に対して「私、一人で聞きます。夫は仕事ですし」と答えた。
そして、医師から、脳の萎縮・筋肉の値が異常なのは、「福山型筋ジストロフィーという難病の確率が高いため、確定診断に進むため、遺伝子検査をしたいと思う」と告知された。
「筋ジストロフィー・・・・・・・・」
保健師である私は、この病気がどういう病気であるか、だいたい想像できた。
泣きながら、病室に戻った。
娘は、何一つ変わらないのに、私は、娘に対して、普通に抱いて接することが、その日はできなかった。