繊維ポリスラプソディ
長いです。先に謝っておきます。そして思いつきで後日追記するかもしれません。とりあえず一旦このまま出します。
僕はこの繊維業界に身をおいて、と切り出したものの、生まれた家が既に縫製業だったわけで、自覚がある範囲では、今年で18年目になります。
キャリアで言えば僕なんかより、もっともっと長くこの繊維業界に携わっていて、業界発展のためにご尽力されている方々もたくさんいらっしゃる中、生意気にも「この業界を変える」と意気込んでやらせてもらっております。
そもそもなんでこの業界を「変えたい」と思ったかというと、それはそれは悪しき風習(と思っていた部分)が、自分たちの首を絞め、業界全体を疲弊させていると感じていたからです。
そう、感じていたのです。
たくさんの若い世代の方々が、この業界を改めて盛り上げようと動いている様を見させていただいて、僕にできることでご協力できることがあればどんどん参加していきたいという思いが湧き上がりますが、各々方の正義を主張する声と共に上がってくる、理解されないことに対する苛立ちのような声を聞き、僕が経験した短い繊維業界人生の中で目にして、感じて、行動していることが何かの参考になればと思い、ここに書き連ねるポエムのようなものであります。
苛立っていた時期
若気のいたりもあります。僕も当時は血気盛んで、何かにつけ、数の暴力による弱者いじめの構図に対しては、その理由を深く考えずに歯向かっておりました。当時は自分たちの立ち位置が『弱いもの』で、だからこそ『強いもの』がかざす正義のようなもので『弱いもの』が追い込まれていく様子を、この業界の絶対悪だと信じてやまなかった『被害妄想』の部分が大きかったように思います。
そして、どうして大人たちは、そういう怒りを懐かないのか不思議でなりませんでした。理不尽を理不尽と思わずにただ平々凡々と過ごしているだけなのか、または、理不尽を利用して得ている何かがあるのか。そして少しだけ、そんな大人たちを軽蔑していました。
そういう態度を隠しもせず、文句を言い散らかしていた僕に対して、付き合ってくれる大人たちはただ、少し困ったような複雑な笑顔で僕を見ていました。
会社員時代の僕は、一応営業でしたから、会社から数字を求められます。なので、自分の好きな顧客さんとだけ商売していれば給料が約束されるような甘さはなかったので、先述のような憤りをはらむ『強いもの』たちとも商売をしなければいけませんでした。
『強いもの』たちとの商売は、数字は積み上がるものの、やればやるほどに疲弊し消耗する感覚が手に取るようにわかるものばかりで、商売相手に対しての敵意は常に剥き出しでした。僕が大手さんから嫌われやすいのはこのためでしょう。とにかく、結果が出てもどことなく後味の悪さを引きつれながら日々を過ごしておりました。
時は流れて、いろいろなタイミングが重なり、会社員を卒業して独立して会社を起こそうということになり、色々な大人たちに相談している時に言われたたくさんの言葉の中に「嫌なこともやらなあかん」というのがありました。
嫌なこと
相談させていただいた大人たちは、僕の感じていた後味の悪さを知っている(在職中からぶちまけていた)ので、彼らの言う「嫌なこと」は僕にもすぐわかりました。
それは『強いもの』たちとの商売もやっていく必要性と、気に入らない人たちともうまくコミュニケーションをとっていかなければいけないということ。
規模の経済に対しては営業的な面でしか向き合ったことがなかったので、実際に自分が独立してやる商売は、ものづくりを大切にしてくれて、仕入先様にしっかりと納得のいく工賃をお支払いできて、納めたものが売れて喜んでいただけるお客様とだけ、しっかりと手をつなげればそれで良いと考えていました。
そうすることで、自分のストレスは減るし、自分のやりたいことに集中する時間も増えるからと考えたからです。
また、これも若気のいたりですが、と言うか今もですが、筋の通らない話でこちらが頭を下げるのが本当に無理なので、気に入らない人たちとうまくコミュニケーションを取る必要がないという点でも独立の意味があると考えていました。だって自分で城を持つというのはそういう点も含めて全て自分で決めて会社という船を進めていけるし、最悪自分一人が責任を取れば済むから、というレベルの覚悟しかなかったようにも思います。
独立の義
『三方よし』とは、近江商人の教えで有名ですが、この考え方には昔から惚れ込んでいたので、会社員時代に課せられた職務をまっとうするだけではこれを体現できないと、そう思い、独立することを決意したというのが曖昧ですがきっかけでした。
自分が介在することでお客様も仕入先様も喜んでくださる、会社員時代はそれなりにそれが出来ていた自負もあり、かつ、前職が会社レベルでやっていたことに対して、利己主義で社会的意義を見出せなかった、というプラスとマイナスの両方がありました。
プラスの面に関しては、『三方よし』の理念を貫き通して、商いは小さくてもそれで産地工業を救えて、かつ、お客様にとってもコストに対してのクオリティと対応の面で満足していただけると、今思えば随分と調子に乗った思想でありました。
しかし、お客様には喜んでいただけたものの、仕入先様に関しては、やはり前職時代に比べて発注スケールが下がるので、満足していただけてないという事態を招きました。
面と向かって言われた訳ではありません。もしかしたら仕入先様がそんなこと考えてもいないかもしれませんが、僕の発注する全体量が減ったのは事実です。その事実を自覚してしまうと、いくら発注している分の単発的収益性はあっても、工業運営の満足度は上げきれないということが頭を支配するようになりました。
日本製の矜恃
話は少し逸れますが、僕はこの繊維業界に入ってからずっと日本製の生地製造背景や縫製背景しか知りませんでした。原材料が輸入とかそういうのはもちろん知ってましたが、背景的な繋がりがないという点もあって、海外生産をしたことがありませんでした。
日本製の方が優れていると、タカをくくっていたところも、正直あります。
いくら安いと言っても日本製の生地が、海外製の安価なものに対してクオリティで負けることはないと、そう決め付けていました。価格で負けてもその品質を頼って必ず商売は続くと信じていました。
たぶん、地方工業の皆さんの中にも、そういう考えの方はいらっしゃると思います。自分たちの技術が負けるわけないのだから、値段は強気で良いと。その気持ちすごくわかるし、そうやって勝ち筋を見出している会社さんもたくさんあります。ありますが、必ずしも正攻法ではありません。そういうことに気づくまで、僕自身随分と時間がかかりました。
光るものというのは、自分たちが思った以上に磨かないと光りませんし、光るだけでは誰も見てくれないのです。
よく見かけるものが、メディアなどで取り上げられて、多くの支持を集めている時、どこかで内心(あのレベルで何が良いの?)と思っていました。そうやって対外的に評価されているものを自分の中で否定することで、自分が向き合っている世界、または自分の行動と思想を肯定したかったのだと思います。
ところが、いつだってどこにだって常に『代替え案』は存在するのだと、思い知らされることになったのは、とても仲良くさせていただいているお客様からの「特に日本製というこだわりが、求められているわけではない」という一言でした。
どこかで、彼らは日本製を、言わずもがな、支持してくれているのだと。クリエイションは全て日本の技術があってこそ出来ることと考えてくれているのだと、僕が勝手に思い込んでいました。なのでこの一言はとてもショックでした。
その日から、ものに対する目線を、作る人から、何も知らずに買う人に置き替えてみる意識をするようになりました。ただ、あまりにも深く業界に入り込んでいるので、この意識はなかなかに大変でした。
そして最近3年間の間で、自分でも驚くのですが、中国の会社とお仕事でご一緒させていただくことになり、彼らの「商品を依頼にきちんと合わせようとしてくる姿勢」には、日本製だから良いものだと高みの見物を決め込んでいた僕に衝撃を与えました。
市場があるかどうか
誤解を恐れずに言うと、日本製だから売れるってことはまずありません。どんなに良い商品だと作り手が思って送り出しても、受け入れ先がなければ一方通行で成立しないからです。
考えてみれば当たり前ですが、欲しくないものを買う人はいません。
商売として成立しなければ存続出来ないのに、商売を無視したものづくりが許されるのは、お金持ちの会社だけです。そして皮肉にも、商売を無視したものづくりが評価されるようになるまで、そのものづくりを続けられるのも、お金持ちの会社だけです。
良いものを作れば売れる、は、間違いではないです。ものがよくなければ、商売の継続性もありません。ただ、ものが良いというのは、日本製というラベルだけで保証されるものでもありません。なので、日本製だからものが良い、だから高くて当然というロジックは、成立しないです。
日本製だろうがなんだろうが、海外製のものと比べて、その価格で買うに見合う市場がそこにあるかどうかしか、評価のものさしはありません。売れなければ自己満足に終わるし、もっと言うと、そのやり方まで外部から批判されるようになります。
市場を作ることができるか
きっとどこかに、そういうものを欲している市場があるはず、それを見つけ出すことは、ものを作って待っているだけでは絶対に無理です。作ったら、発表し、積極的に市場を探し作り出していくしか、評価を得る道筋はありません。そこには運も必要かもしれません。ただ、そういったチャレンジを続けている人にしか、商機を掴むチャンスは訪れません。
手垢のついた言い回しで恐縮ですが、人知れず工場の端でどんなに優れた技術を注ぎ込んだとしても、誰にも見られなければ無いのと同じです。
もし、冒頭の頃のように、僕が良いと思う仕事だけやり続けていたら、お客様がまた良いお客様を紹介してくださると信じ切ってそのまま縮小して今頃この文書も書けていないと思います。
良い縫製工場や生地生産背景というのは、ブランドさんが抱えたら、他のブランドさんに紹介なんて基本的にしません。なので製造業はやはり、どんなに良い仕事をしても自発的に営業を仕掛けていかなければ、新規先が向こうからどんどんと集まってくるということは滅多にありません。
そして自分が思っているよりも、自分たちと同じ、またはそれよりも上のクオリティとサービスを提供できる代替えの存在は常にあって、確固たる地位というのはないという危機感を持ち続けていないと、あっという間に手を取り合っていたお客様は他の仕入先と手を組み直します。
そういう意味で、自分はここにいるぞ、こういうことをやっているぞという発信は怠ってはいけないと思い、3年前にホームページを開設しました。そして特に自社商品を企画製造していたわけでは無い僕は、考え方や知識などを発信し続けることで、いくつかの新しいお客様と巡りあうことも出来ました。
周囲の期待
だいぶ脱線しましたが、買ってくれる人がいるから商いは続けられます。そして作ってくれる人がいるから、買ってくれる人に向けて発信もできるわけです。一人では商売できません。
僕が独立するにあたって、前職時代の商売スケールを期待する人は多かったように思います。そして、日本製を支持していた僕が独立するということは『強いもの』から虐げられていた彼らに活路を見出す突破口になってくれるのではという期待値もあったと思います。
これは本当に思い上がりですが、商売のあり方を仕入先様に向けて偉そうに語ったこともあります。そしてその偉そうに語った商売のあり方に対して賛同してくれた人たちが僕に向ける目というのは、実商売をくれるかもしれないというリアルなものです。
縮小の止まらない日本繊維市場において、前職の看板をおろして商売を始める男に対して勝算があると、言っていることも信ずるに固い、では彼のいうことを信じてみよう、そう言った具合に僕のことを信じてくれたと思います。でなければ、ただの一人の人間に、かなり厳しい与信枠を開いてくれるわけがありません。
それがたとえ引っかかっても痛く無い最低限レベルの金額だとしても、義のない相手には1円でも渡したくないはずです。
期待からの責任
最終的に、その人の信頼とは、責務に対してしっかり弁済をしたかどうかに尽きるわけで、それができない人は、どんなに綺麗なことを言っても一個も信じられることはありません。
シンプルに言うと、お金を払えない人はどんなに良い人そうでも、信じてもらえることはないです。当たり前ですが、言い方を変えて同じことを二回言いました。
その当たり前の向こうに、こんどはもっと大きなものを期待するようになります。最初は付き合ってくれても、お金もきちんと約束通りお支払いさせていただいても、次は同じ規模の生産を快く受けてくれるかどうかは、正直微妙です。ここに商業と工業の考え方の大きな違いがあります。
年々、国内商売も小さくなってきていることは、彼らもみな頭ではわかっています。それに合わせて自分たちも変わっていこうと努力している工場様もいらっしゃいます。ただ、商売規模に対して、設備が変わることはないので、その設備で出来ること以下の小回りを効かせることは物理的に無理で、もっというと設備は回れば回るほど収益性がよくなるので、小回りを効かせていくにはそれに見合う高額の運転資金が必要になります。それを一個一個の小さな商売に対して割り返して見積もりをしても、お客様に受け入れてもらえる確率は絶望的に低いです。なので、小口商売に関して工場様が動いてくださっている場合は、感覚的には概ね、ボランティアに近いです。
つまり、先に掲げた弊社を介在させた上での『三方よし』を実現するためには、規模の商売も必要になってくるのです。
嫌なことと向かい合う
そうなると、やはり『強いもの』たちからの仕事も時には必要になります。ないところに「仕事をくれ」と言っても、ないものはないのです。
幸運にも『強いもの』からの引き合いをいただき、ドスンと腹にくる量の仕事を工場様に回させてもらった時に、工場様から言われた「このご時世にほんと助かるわ」というのは、独立してからそれまでの間、小口オーダーが多かった僕に対して嫌味を一言も言わずに付き合ってくれた彼らの本音なのでしょう。
そして、規模の経済と、小口でも自分のやりたいこと両方を同時に走らせることが出来るようになると、嫌なことだった『強いもの』たちとのやりとりも、不思議と苦ではなくなりました。
『強いもの』たちも、もちろん中には人として少し困った人もいますが、基本的にはただの人なので、業界の発展を願うという点においては、登り口が違うだけで、登っている山は同じなのだなと感じるようになりました。要は、じっくり向かい合って話していけば、話のわかる人たちだったという、自分が未熟だったということを改めて痛感させられたことでもありますが。
「嫌なこともやらなあかん」この意味が、経営をしていく上で必要なことだと少し理解できたのかもしれません。
ミクロとマクロ
その立場になれば、その立場からの主張したいことがあり、正義もある。ただそれが、同じ群れの中にいると思っている人から、主義の違う主張をされて議論になった時、多くの場合、そこに軋轢が生まれてしまい、仲間なのにどうしてか、仲違いをしてしまうケースをよく見かけます。
もっと冷静に、大きな引きの目線があったなら、きっと向かっているところは同じだと気づくはずなのに「あいつとは意見が合わん」と、否定しあってしまうのはとても寂しいことです。どちらかが正義と言い切れるものでもない場合は、そういう考え方もあるな、と、いったん受け入れてみるのも、腹の中は負の感情が渦巻いたとしても、将来的に考えればその感情を抑えてみるのも、時に有益なことだと思うのです。
自分はこれで良いと思ってやることに、周囲を巻き込まないのであればそれでも良いかもしれません。でも、こと、ものづくり商売において、一人で完結することは不可能です。
掲げた義は、芯がブレていなければ、形を変えても良いと思います。少なくとも無理にこだわりすぎて、いらないものをいらないって言ってる人に向けて押し付けるようなことをして自滅していくより、少しズラして適宜あてがって継続していき、並行で確固たる信念に基づいたものを続けていける資金力を蓄えていけば良いと思います。
コレをやるためのソレと割り切ると、案外平気になるような気もします。
自分の考える正義の市場だけではなく、他の人の考える正義の市場をみることは、自分が巻き込んだ人たちと次のステージに一緒に進んでいくための武器になります。
それぞれの立場だけの主張も、よく理解しているつもりです。ただ、声をあげるだけで改善した例は、資本の渦の中では、僕の知る限り存在しません。
完全に悪意に満ちたものでない限り、きっとそれぞれに正義があるので、それらを否定することにあまり意味を感じません。
結果が伴って初めて義が認められるというのが経験してきた実感です。いくら口上がうまくても、実のならない木は仲間を増やしていくことができません。そういう意識を、常に持っておくことで、自分の世界の幅を広げていくことが出来るのかもしれません。