幸せのカテゴリー。
熟練繊維戦士
「酸いも甘いも言いますけど、酸いも辛いもでしたわ」そう言い残して関西の熟練繊維戦士はこの業界を去っていった。7月のことだ。
この仕事を通して『甘い』思いができることなんて果たしてあるのだろうか?
そう思うのも無理はない。表に出ない僕ら繊維製造業者は日々泥に塗れている。そういう星の元に生まれた定めとして受け入れているかのように。
客前に出れば「納期、単価・・・」現場に回れば「できない、やりたくない・・・」の応酬。ようやく調整して物事が動き、売り上げが立つ頃にはもうその時の心労は誰も覚えてない。手元に残るのはせいぜい10~15%程度の粗利だ。運動量に対して金額で10万以下の粗利なんてのはザラで、手応えなんてものは商品が納まった事実くらい。少しでも問題があればあっという間に利益が吹き飛ぶ。
これが彼が見てきた繊維製造業界の全てだった。
メシを食うために上げなきゃいけない数字がある。これはどの業界でも共通で、夢とか希望とか、そういう『理想』だけで生きていけるほど世間は甘くない。
まして地方で繊維製造の裏方調整役ともなれば、華やかな世界のイメージがあるファッション業界のそれとは縁遠い。彼の言うこの世界の『甘い』思いとはどんなものだったのだろうか。
繊維の入り口
僕の話を少し。
生まれは佐渡ヶ島、日本海に浮かぶ国境離島だ。最近は金山が世界遺産登録されたので記憶してくれた人もいることだろう。
島の人口は幼少期には8万、今は5万弱。面積は東京都23区より広い。海と山に囲まれた地域に人が住み、主な収入源は観光。
幼少期の夏場は生まれた地域に観光バスが押し寄せていた。いつもの遊び場である浜辺に足の踏み場もないくらい人がいて、パラソルは満開になった紫陽花のようだった。それはもう30年前の話。
そんな島の北西にある部落に、なぜか東京から縫製依頼を受ける縫製工場の工員の息子として40年前に生を受けた。
物心ついた頃から裁断クズで遊び、ボタンつけなどのまとめ作業をしてくれていた地域の内職の人が幼稚園から帰った後、母が帰宅するまでの間、僕の面倒を見てくれていた。
小学校に上がるくらいに同地域内で工場が新設され移転した。時代が良かったのだろうか、社員旅行にも帯同した記憶がある。そして程なく、その縫製工場は倒産した。
誰も引き取らないピカピカの工場と設備、そして東京のお客さんとパートの縫製工員が残った。何を思ったのか、一工員だった母は手を挙げてこの設備と客先と数人の工員を背負って事業主としてスタートした。
中学の頃、どうしても欲しいゲームソフトがあった。誕生日のプレゼントとして商品指定で強請ったのは後にも先にもこれ一度きりだった記憶。
誕生日当日に包装もされていないゲームソフトが部屋に向かう階段に無造作に置かれていた。「働けど働けど母の暮らしは楽にならず」という一枚のメモと共に。
決して裕福とは言えないしむしろ貧乏に近かっただろう我が家の家計は米と野菜が自給できたこと、地域性でよく海産物が近所からもたらされたことなどで辛うじて保っていた。
それでも家族は明るく、基本的に僕がやりたいと言うことを自由にやらせてくれた。
親の心子知らずで、小さな地域内では不良のレッテルが貼られるバンドマンとして爆進していた僕は高校卒業と共に東京に出て音楽で食っていくという『夢』に燃えていた。だから東京に行く正当な口実が必要だった。
大験模試でほぼ確定的な数字を勝ち取ったので三者面談では担任から「お母さん、ハルクニ君をこの大学へぜひ行かせてあげてください」と言われた。まぁ高校の担任なんて、進学率が彼らの成績表なのだと考えれば、進学がかたい生徒にはそういう背中の押し方が正解なのだろう。お世辞にも素行良好とは言えなかったお荷物でも数字の足しになるなら担いでやろうかってところか。
家に帰ってから普段いつも明るい母が初めて心底辛そうに言った。
「お前を大学へ行かせる金がない」
空気を読んだわけじゃない。別に強がりでもなんでもなく、大学はどっちでも良かったので、どうやったら東京へ行くことが許されるのかだけ聞いた。
母が昔通っていたという洋裁専門学校へ推薦枠なら学費も下がるから、そこなら2年だけ行かせることができると言う。東京に行ければなんでも良かった僕は、この申し出に甘えて繊維の入り口に立つことになった。
『甘い』思いとは
少し話が湿っぽいし、かわいそうとかそんな感情の煽りと誤解されたくないので弁明しておくと、全く悲観はしてなかった。まして自分がかわいそうなんて思ったこともない。むしろ東京に行かせてくれるなんて超ラッキーだと思っていたし、在学中に前職のアルバイトに潜り込むことに成功し、類稀な処世術(自称天才というブラフを使うただのアホ)を武器に在職中もバンド活動を自由に行えたし、仕事も周囲の人から言わせると「楽しそう」にやっていたからとても充実していた。
ただ、今日の今日まで繊維業界で製造を生業としてきた僕にとって、そもそも冒頭の関西熟練繊維戦士の言う『甘い』思いなど、育ってきた環境から一つもイメージできなかったので、そういう幻想がまず、ない。
『甘い』思いを一旦次の2択で仮置きしたとして、家族子供を不自由なく暮らせるほどの収入を得られたら『甘い』のか。それ以上に自分の私腹も肥えたら『甘い』のか。
今のこの業界に対して後者のような『甘い』思いに憧れてくる人がいるとしたら、もう少し冷静になった方がいい。
少なくとも、製造「だけ」とか、一点突破技術崇拝主義の求道的な感覚では商品のクオリティは上がっても己の考える市場価値が一般共通概念からズレているので「だけ」で食えるのは武道館をいっぱいにするアーティスト並みに「その人でなくてはいけない理由」がある人に限られる。
まして世間認知を得られる媒体が複数あって、誰でも簡単に浅い知識と技術だけで世界に向けて発信できてしまう時代だ。そういう安っぽい看板ごときにさえ、尊い時間と努力を積み重ねた技術は埋もれてしまう。
勘違いないように釘を刺しておくと、浅い知識と技術で広げた市場はいくら認知度が高くても実務が伴わないケースが多く早晩に破綻する可能性が高いので、決して努力を積み重ねて技術や知識を研鑽すること自体を否定するものではない。むしろ日常的に自己研鑽できなければ「その人でなくてはいけない理由」の一つになりうる技術さえもおざなりになる。
ただ隣の芝は青く、ポッとでたどこぞの馬の骨が注目を浴びれば、それなりに収支も立っているだろうと考えるのが人の常なので、愚直にやり続けていることが馬鹿馬鹿しく思えてしまうのも事実だろう。安心してください。そいつらはそんなにうまくいってないよ。
足るを知る
話を僕に戻す。
前職在職中はエンジョイし切ったのち、様々な巡り合わせから独立という道を辿ることになった。時を同じくして、佐渡の小さな縫製工場は地主の代替わりによって更地返還を余儀なくされたため、ひっそりと廃業した。
ここまで書いて、そして読んでくださった人からしたら、絶対こんな世界に入ろうなんて思わないだろう。
僕が独立時から掲げている社是の『ultimate(究極の)clothing(衣服を)works(造る)』は、高品質追求の職人的な究極道ではなく、適宜お客様と仕入先様、そして自分たちが納得した上で商品を市場に送り出し、最終的に着用してくださる方が喜んでくれることで関わった人たちが心理的にも経済的にも満足している状態を指す。
そこには業界を救うとか、斜陽産業を立て直すといった含みはない。結果的にそういうものに辿り着ければ最高だけれども、そこまで僕は夢想家ではないらしい。
夢想家を否定しているわけじゃない。むしろそれくらデカいことが言えるのは正直羨ましい。人目も憚らずちょっと恥ずかしいなってことを大声で言える勇気は、ものすごいエネルギーのいることだ。嫌味でもなんでもなく、心から尊敬する。
僕の場合、信念はあくまでも社是に基づいて、関わってくれる人たちが僕らと仕事して良かったと思ってもらうためであり、結果的に会社及び関係各位の経済が回っていくことだ。それこそ僕の考える究極の服作りである。超サステナビリティじゃね?
そういう意味で、この業界における『甘い』思いとは、僕の場合は常に充足しているのかもしれない。もちろん現状に満足はしていない。この輪を広げることが次に見えてくる大義ってやつになっていく。
佐渡ヶ島にulcloworksSADOBASE設立計画して着手したのが2021年。当時掲げた想いに集ってくれた仲間たちが日々苦楽を共にして少しずつ成長してくれている。それは心から喜ばしいことだし、もっとこの輪を広げていきたい。
何より、指導に当たってくれている母が生き生きしている。SADOBASE構想を母に話した時に指導役としてやってくれるか聞いたら「私は洋裁が好きだから、続けられるなら一生やりたい」と言ってくれた。
愚息の甘えに応じてくれただけかもしれないが、裏はないと信じ切って、これは僕なりの親孝行として自分の中で美化しておくことにする。
SADOBASE立ち上げから3年目の今、テレビに映る芸能人が着ている洋服が自分たちが縫ったものだったと喜んで報告をくれたりするのは、僕にとってこの上ない喜びである。
ほら、『甘い』思い。いっぱいあるよ。
作り手に限らず、どの職種でも、どの業界でも、喜びの瞬間は気づかない時にあるのかもしれない。幸せと感じる内容は人それぞれだから、足るを知ればなんとやら。
きっとこの業界を去った彼の目には、もっと別の何かが映っていたのかもしれない。
あとがき
長文をお読みいただきありがとうございました。
この物語はフィクション風に仕立てたノンフィクションです。クサイことを正々堂々書くにはこの方法しかないという照れがありこうしました。
ところどころ皮肉っぽい表現がありますが、心から皮肉です。僕自身、裏方業務が長く、昨今SNSで台頭してくる製造系のインフルエンザ←に対しては、数の暴力で得たもんを無駄に翳していると思うフシがあったので、時折このような内容を自社ブログやXを通して発信していますが、数が多いのは正義だという一般認識の前に脆くも日々かき消されて終わっております。
いや良いんです。幸せのカタチは人それぞれなので、彼らと共にそれぞれ考える幸せに辿り着けるならそれはそれなので。
夢とかね、希望とか、全然大歓迎です。これはマジで。
そういうの熱く語れなくなったらこの業界の将来はないので。
ただ大義の前に仮想敵を作り下げることで自分達を上げるというダサいやり方が横行しているのも事実なので、手を取り合う仲間として選択する際は本当にご注意されたし。
そうしないと数を得られないってのも、わからんでもないんですけどね。(負け犬の嫉妬
話は脱線しましたが、今年の夏は僕自身『幸せ』とは何かを改めて考えさせれらる日々でした。
冒頭の、熟練繊維戦士が業界離脱の際に放った一言が、なんとも言えない虚無感を残しています。
世間(日本国内)では服を作りたいニーズに対してマッチする背景が減少している状況です。そう書けばなんとなく「じゃあ仕事はあるんだね」と思われそうですが、平たく言えば、工場側が欲しいような工業効率的な仕事は少なく、できれば受けたくない非効率な案件は山のようにある状態です。
例えばブランドを立ち上げたいという夢に動かされた人は、工場と手を組んでいかなければ将来的に服を量産することはできません。
でも最初から工場稼働を満足させるほどの数量は出ないのが現実です。しかも市場価格はある程度相場がある(と思い込んでいる)ので、少ない発注でも単価は上げてもらうことが難しい状況が続いています。
流石に夢を後押ししたい工業側も、これでは続けれらないですよね。そう考えれば、SNSに上がってくる危機感を煽るような投稿も当事者には至極当然の内容なので、だんだんと業界自体が暗い雰囲気になってしまいます。(そしてそういうネガティブなものほど拡散されてしまうものです)
僕はそんな空気が苦手で、事実を発信することはダメだとは思わないけど、悪者探しをしたいのかなんなのか、それで状況が好転するイメージが湧かないので、極力スルーしています。できることは他にいくらでもあると思うので。
僕らとて、やはり外注先様が要求する単価と依頼主様の希望コストが合わない場合はやむを得ずお断りしなければいけないこともあります。
手数の割に合わない仕事で物理的にはできるけど感情的には受けたくないという空気から出てくる『お断り単価』は、いつも僕らを悩ませる種でした。
そこで3年前に立ち上げたSADOBASEは、今や僕らulcloworksにとって欠かせない大きな戦力になりました。
お客様が展示会で受注した数枚は、工場からしたらたった数枚でも、展示会で発注した人からしたら大切な一枚一枚の集まりです。その先に人の人生を彩る装いがあること、そこに生まれる感情があること、まずはその思いを共有することで「服作りをお手伝いする意味」をスタッフ一同考えてまいりました。
技術や設備では到底まだまだ世間の工場様方には足元にも及びません。でも本当にありがたいことに、SADOBASEのキャパは常に埋まっています。
自分たちで縫った商品が、佐渡で見ることはなくても、テレビで芸能人が着ていたなどと喜んでいる姿を見ると、受注して良かったと改めて思うものです。
自分たちはその場にいなくても、間違いなくどこかで誰かを輝かせている自分たちの仕事は、誰かに安っぽく自慢することなく、自分たちの誇りとして胸に秘め、粛々と目的地を目指してしっかり経済もつくっていくことが何よりかっこいいのではないかと思うのです。
その過程にある今の状況は、僕にとって『幸せ』であり、これがこの業界の『甘い』思いなのかもしれません。まだわかりませんが。
さて、そんな僕らの救世主であるSADOBASEプロジェクトは今年もスタッフを募集しております。
自分が輝く職場なんてカッコいいことは言えませんが、輝くために輝かせるみたいなトンチに溢れた愉快な職場です。未経験だから心配という方でも、縫製研修を用意しておりますし、いきなり「ミシンどうぞ!」ってならないのでご安心ください。綿花栽培も行っておりますので農作業大丈夫って方は大歓迎ですが農作業苦手でも大丈夫です、無理強いはしないタイプです。
壮大な計画の入口に立っているところなので、将来的に何がどうなっていくのか興味ある方はこちらのリンクをご参照ください。
取り急ぎ実務は受託生産縫製作業がメインになります。
興味ある!って方、ありがとうございます!まずはお気軽にお話してみませんか?
お問い合わせは以下リンクに応募フォームをつけておきますのでどしどし応募お待ちしております。
それでは皆さんとお話しできる日を楽しみにしています。
アルクロワークス株式会社 山本晴邦