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芸術は一生、なやむ。夏

暑い夏がやってまいりました。こんにちは。
今回はずっと書いてみたいなあと思っていた「作品を作る、観せる/作品を観る」について、自分なりのお話を綴っていこうと思います。

わたくしは元々絵と音楽が好きで、いや、好きを超えてもはや生活習慣の一部というくらい切っても切り離せない事柄になっています。学校も美術専門卒です。そこで学校で学んだことと自分が考えてきていることを書いてみます。
文章は上手ではないですが、、自分らしく。自分なりの。

【作品を作る、観せる】
作品を作る、について。
作品を作ること自体は自由で全く構わないと思います。使いたい線や色、それ以外に紙やキャンバス、テンペラ画のように石膏など硬いもの。など。平面だけでなく立体、彫刻、音、映像や写真などなど。選択肢はたくさんあります。
作品を作る上でまず考えなければならないことは「何を表現するか」がはじまりです。
あくまでも個人差はありますが、やはり学校で厳しい授業をひたすら受けた時によく言われたのは「コンセプトを持つ」ということでした。確かに美術史を遡って様々な作品をよく調べると必ず作品一つ一つにコンセプト(概念)があり、意味があり、背景、目的があります。

因みに文化庁ではこのように書かれています。

芸術,伝統芸能,生活文化,文化財などの文化芸術は,人々に楽しさや感動,精神的な安らぎや生きる喜びをもたらし,人生を豊かにするものです。 また,豊かな人間性を涵養し,創造性をはぐくみ,人間の感性を育てるほか,他者に共感する心を通じて,他人を尊重し,考えを異にする人々と共に生きる資質をはぐくむものです。

文化庁より

この概念はかなり現代的のように私は考えています。何故なら芸術の起源を遡ってみると(私が美術史を学んだ直感的感想ではありますが)元々は概念より当時の目的とその目的の意味が印象強いからでした。目的は「来世への伝達」から入ってきているからです。それがメソポタミア文明の壁画となります。以下をまとめ改めて自分の中でまた腑に落ちました。

_ざっくり歴史になりますが、時代を遡れば紀元前までいきます。古い絵画とされているのは約4万4000年にインドネシアの洞窟で発見されたイノシシの絵と言われているが、一方6万4000年以上前にスペインの洞窟で発見された赤と黒の線描の壁画でこれはネアンデルタール人が描いたと推測されています。
その後、エジプトのメソポタミア文明の壁画からギリシャのエーゲ文明へ。この間に絵画の役割は大まかに未来(来世)と思想、王の存在、神の存在、崇拝の表現と伝達であったと考えています。ギリシャ文明では有名なミロのヴィーナスなどをはじめとした彫刻や建築、陶器が作られていきました。そしてローマ文明で当時のローマが地中海を制するほどの力を得、ギリシャを征服し文明を吸収することによりこれより前の宗教的役割や王の肖像の表現以外に社会的強さとされる軍がモチーフとして加わっていきました。そして200年頃からキリスト教が誕生した背景ではローマの東西分裂という社会背景の中で西洋中世絵画というジャンルが生まれました。東ローマではガラス片や石片を漆喰に埋め込むモザイク画やイコンというキリスト教の礼拝用の絵画が発展していきました。(しかし8世紀〜偶像崇拝が禁止されてしまうため画面は抽象化していく。その後は具象的/写実にも戻っていきます)その後に西ローマ帝国が滅亡することにより芸術どころではない状況となり西洋美術が衰退、そこへゲルマン民族がキリスト教に改宗、十字軍遠征で巡礼する人々の増加で西洋美術は復活していきます。そこでロマネスク様式という教会や修道院の中での布教を目的としたフレスコ画や聖人画が作られるようになり修道院建築も発展。次にゴシック美術の時代となり建築ではステンドグラスや尖塔、絵画はテンペラ画が盛んになっていきました。
西洋近世になると、西欧では宗教画以外の絵画も存在するルネサンスが始まっていきます。貴族や教会、大商人がパトロンとなる時代となります。そして遠近法と陰影法が用いられ、人体の把握・感情表現・空間という表現が特徴となり、これまでよりリアリティのある画風に発展していきます。多くの方が1度は耳にしたことがある3大巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの時代です。この時代はキリスト教が中心であった中世が終わり人間が中心となる当時では非常に新しい価値観の時代です。
長文に既になってしまっているのでさらにざっくりにしていきますが、次にマニエリスムで個人の美的意識が芽生える時代となり描写も奥行きを除外したような平面さや遠近法の消失点を極端に高くするなど、個性が生まれ出した時代です。おそらくここから「個性」という概念が確立したのではないかと考えています。
そしてバロックの時代になると臨場感ある明暗の強調が特徴的で宗教的題材にストーリー性が一目でわかるような絵画が盛んとなりました。
ロココ時代になると荘厳な作風から性愛を題材とした華やかなまさに美しいという言葉が的した画風が増えていきました。
その後18世紀後半から新古典主義となります。ギリシャ・ローマの古典美術を復興するということでロココとはまた一転しフランス革命下という背景もあり華やかさが減りデッサンに重点を置くことによる重厚で迫力がある凛々しい作品が多くなりました。
のちに19世紀初めからはロマン主義の時代でここで個の感受性を大事にするという新古典主義に対抗したような作風が生まれていきました。ここでの作品は実際に当時起きた出来事などを神秘的かつドラマチックに描かれていきます。
ここまでは歴史や宗教的コンセプトでしたが、19世紀中頃からは写実主義の時代へ。この時代には一般の人々の暮らし、目の前にある日常風景がモチーフとして描かれていきました。モチーフ、テーマがかなり大きく変化した時代だと個人的には思っています。
その後は多くの方がよく見たことがある印象派が始まります。印象派は私の周りでも非常に人気で、その理由は今までは国が主催してきた展覧会に認められてこそというのが制度であり主流であったことに画家たちは疑問と異議があったようでその画家たちによって独自で展覧会を開いたことだと推測しています。画家に自由が出来たからこその魅力なのでしょう。作風はこれまでとはかなり違い、ぼんやりとした緑や街の風景をあかるい色彩でやわらかいものが多い。モネで浮かべる方は世界的に多いと思います。※このあたりでわかる面白いことは、絵具はこれまで顔料や樹脂などを調合して作っていた為屋外モチーフが少なかったのですが、大体この辺りにチューブ入りの絵具が誕生したことによって屋外で描けるように!こんな背景を知るのも楽しいですね。
後期印象派になると印象派時代を超えた新しいタッチを編み出す画家が増え、まさに描き方の多様性が豊富であった時代です。小さな点描で描き切ったり、うねるような強い色彩を用いた作品が生まれました。ゴッホやスーラなど。
その後の世紀末美術時代は時代の名前の通り「終わり(老化、死など)」を連想するコンセプトの作品が誕生していきます。終わりに対する不安、不穏を感じるどちらかといえばネガティブな画面が特徴的です。
20世紀近世美術時代になると印象派〜の多様から一気により多様な表現が誕生。無意識ながらも生々しいシュルレアリスムや多方面視点を幾何学的に一つの画面に集約したようなキュビズムなど。ピカソで有名。この時代は画家自身が新たな表現、技法を模索していく時代です。新しさを追求していくかたちです。
そしていよいよ現代美術です。第二次世界大戦後という社会背景と、この時代にアートはヨーロッパからアメリカへ移りました。個人主義の国であることもあるので芸術は更に自由で刺激的かつアグレッシブな作品に富んでいきました。空間そのものを作品としたインスタレーション、印刷技法によるシルクスクリーンなどを用いたポップアート、塗料を撒いたり身体を使うパフォーマンス型のアートというのもこの時代から始まったと思います。そして近年ではデジタル化が進む中でデジタルテクノロジーを用いたメディアアートや芸術分野以外のカルチャーから登場したストリートアート、メディカルテーマのアートなど、数えきれないほどの表現方法が存在しています。これまでの平面、立体などの既成概念に囚われない表現方法が軸になっているのと併せてテーマ、コンセプトも様々で自由ではある中でも社会問題(環境、ジェンダー、生物、政治、人種など)がメインではないだろうかと思います。

西洋美術で一連の流れを綴りましたが(長くて大変恐縮です)、これを参考に考えていきます。
やはり総合した結果、コンセプト(概念)は勿論のこと、どの作品にも「目的と背景」が存在していることがまた更にあるんだと振り返ることができました。私も幾度かプロレベルまでは上がれていないと痛感しながらも作品制作と展示、公開をしてまいりましたが大切なのは「何をどう伝えるか」でした。画学生時代のキツイ言葉も受け入れる講評会でも散々指摘を受けてめげずに制作や勉強をしていきましたが、何をどう伝えるかを成功させるには切っても切り離せない大事な視点がありました。
それは「観る側の視点」です。
伝える、ということは必ず伝える相手が存在します。作者自身が「これで伝わるはずだろう」と思っていたとしても観る側には案外伝わりきれていないことは山ほどあり痛いほど向き合っていかなければならない課題でした。歴史を遡っても観る側の存在は必ずあり、歴史に残るということは作者たちは伝わる努力を血の滲むほど追求してきたことでしょう。そして時代の特徴も把握しながら取り組んでいく。
現在ではインターネットが盛んであるため、インターネットがここまで盛んではなかった時代のままの表現や観せ方では通用しないのです。痛いほど経験しました。画力や新しい技法も勿論ですが、その時代その時代に適した観せ方が必要不可欠です。
私は美術史の中では特に現代美術の初頭〜の時期が好きなんですが、その理由は自由でありながら産業技術から更に様々な技術が発展し便利な世の中になると同時に、本来人間は「考える」という特殊な知能が優れているはずですが便利になればなるほど「考える」ことも減ってしまうのだと気付いたからです。それが非常に切なくも興味深いという意味で面白さを感じたからです。
その中でも自分なりの感想は人それぞれあるのですが、たいてい「好き」「嫌い」が鑑賞した結果の軸となっています。私はどちらもあって当然でその違いのどちらもがありがたいと感じることが先になります。当然私にも好みがあり、中には過去に嫌なことがあって思い出すから観るの辛いなあという作品も存在します。無論私の作品を観て「昔のこと思い出して悲しくなってきた...」なんて方もいる前提で構えています。
作る側の場合その前提は、実は作る前から考えています。賛否両論は必ず起こりうる、この時点でどういう賛否がくるのかをある程度想定しながら作っていきます。どういう感想が来るかも予想はある程度つけています。これは画学生時代からずっとです。芸術以外にも言葉も、弓を射るように的を狙うとよく私は例えで言っています。
元々私の作品は現作風とは結構違って非常にネガティヴでかなりサイコホラーだったんです。コンセプトはしっかり持っていて当時持病と良くない環境で生活していたコンプレックスではありましたが「絶対俺の絵、気持ち悪い怖いってたくさん言われるだろうなあ」って思いながらも2つの目的を組み込もうと考えていました。
目をよく荒いタッチで大きな油彩画を当時描いていましたが1つは「人の目って怖いんですよね...俺怖いんです。怖いって思っていただいて当然です、俺はそれをいつも怖がっているから」で、2つ目は「もし俺のように毎日に怯えている人が運良くこれを観た時、『わかる...実は私も毎日が怖いんです。私だけじゃないんだ』って共感とあなたは独りじゃないからね、俺も怖いけどがんばるから一緒に頑張ろう。共感してくれたならありがとう」でした。幸いもうすぐ20になる頃、自力でバイトして個展を一人でやることが出来た時に、お菓子の差し入れをいただくくらい評価してくれた方々がいて、評価してくださった方々もやはり毎日辛かったり不安だったりストレスに耐えているようでした。これは収益はそもそも非売展示だったので当然なかったけど、お金以上の成功でした。ただ青二才のまだまだ未熟なアマチュア作家だったのもあり決して完璧な仕上がりではなかったのも含め、怒鳴りながら「気味が悪すぎる」と批判しにきた方もいました。
他、銀座のギャラリーで展示に参加した際は私が描いた作品(それはアンニュイな女の子な絵、怖いやつでは全くない絵ですが)賛のお客様と否のお客様で討論が起きたこともありました。大変恐縮ですが私はその内容が非常に興味深くて聞き入っていました。

それらをキッカケに美術館の展示だけではなく色々なこれから頑張っていく作家さんたちの展示も観に行くようになっていったりインターネットで色々な作品を観るようになったのですが、もちろん自分にはない発想を発見出来てとても楽しいです。が、やはり時代の問題視は時代によりけりで今はセンシティブに扱わなければならないのではないかという表現をどうするかを作る・観せる側もアップデートする必要があるなあと課題感を抱きました。それもまた興味深く思っています。「自由」にも範囲があることを痛感し続けています、何年も。

※グロテスクなモチーフについて、あり?なし?ダミアン・ハーストの生と死、病や治療というコンセプトある作品は私も昔観に行って考えさせられたので、余談ですがリンクを貼ります。
ダミアンハーストの作品20選とその意味を解説

昨今はちょっと個人的に疑問で、世の中はかなりデリケートになってきました。その中で「自分の趣味を認めず否定するなんてわかってないやつだ!あったっていいじゃないか!」は私は少し悲しさを抱きました。何故なら観る側は置き去りになってしまっているからです。(発端のものを見たら彼らが声を上げていた元の感想、そこまでえらい乱暴な口調でもなかった…純粋な感想と私は思いました)
手軽に作品を公開できる環境になってしまうと美術館や展示のようにキャプション(作品の説明)がないからその分物議は発生してしまうと思います。そして作品の説明はない中でも賛否両論の"否"に対して過剰に嫌悪し怒るのは過去に否定されて嫌な思いをしたなどネガティヴが根付いてしまっているからなどの理由があるというのも(先程書いた話でわかる通り)私は理解できます。ただ意外と別視点というか新しい視点の"否"の評価が表れることがあります。その"否"の背景を知ることにより芸術以外の分野を理解するキッカケに繋がることもあるのでかなり貴重であると個人的に思いました。芸術をやる、といっても芸術には様々な分野と関わりが意外と繋がっているので余力がもしあったら私は少し調べたり見てみるのも良いと思っています。何故なら新しいアイディアを得るチャンスでもあり、視野を広げていくことで考え方が柔軟に。柔軟になると作品の幅も広がる可能性が高くなります。又、観せる際の配慮も必要な時代なことも頭に入れておかなければなりません。(アニメすずめの戸締まりで震災アラートがある旨を告知していた、あれも今の時代に必要でしたね)
自分と異なるものに向き合うことは勇気がいることですが、先人たちもそうして葛藤しながら時代の流れを把握し常にアップデートして芸術を残してきたと思います。
色を作るように、白か黒ではなく赤青黄色、緑、橙、紫。白と黒の割合で色々なトーンを作ったりするように、たくさんの色があることをわかるのも案外悪くはないものだ、と思っています。作ることも、観る人たちへ何を伝えたいか、観る人たちは何色なのか。色作りで比喩をしながら私はやっていきたいと思っています。正直なところ、おすすめです。

私もまだまだです、多分一生考えると思いますがめげず。様々な視点を知っていきたいです。

長くなってしまい恐縮ですが、ありがとうございます。お話しが下手くそなので、まとまりがいまいちなことをお詫び申し上げます。

ジメジメ暑い夏、美術館でたまには涼むか。。

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