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自己一致がわからない
自己一致とは
カール・ロジャーズの教えである「自己一致」がわからない。
よく言われるのは、あるがままの自分と思い込みの自分が一致すること。
???意味がわからない。
わからないので、わかりたくて手当たり次第ロジャーズについての本を読んでみようと思った。
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読んでいると、スピリチュアリティの覚醒ということばがでてきた。説明の論拠は以下の文献にありますが、それよりも、結びつける力というのがわたしの理解では一番しっくりきた気がします。
スピリチュアリティにより、想像の力で、あの世とこの世を結び、亡くなった妻と再び出会い、そのつながりを再認識し、さらに自分の心と体を単に健康になるという意味でなく「真に癒し」、自己と自己を結びつけることにより、新たに前向きに天寿を全うする(以下、省略)
これを読んでも、なるほどーとはすんなり思えない。冒頭の「スピリチュアリティにより」というところが唐突すぎるし、やっぱりやばい系の感じがするなあと思う。
スピリチュアルについて誤解からの嫌悪感
スピリチュアルについては段階的に理解に向かわないと飛躍してしまい、そのぶっとんで謎めいた感じ=スピリチュアル、になっている。それがわたしの持つ、ネガティブなスピリチュアルのイメージだ。
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検索してもちょっとやばい系の感じがする。わたしのようにスピリチュアルにたいして勘違いの嫌悪感を持っているひともいるはずだと思う。
「スピリチュアル?興味ない、興味ない」
段階的に理解するって言っても、一体どうやってすればいいのだろう。ぶっとんで謎めいた感じ=スピリチュアルは、うまく商用されてもいるのでなかなか難しい。そういうスピリチュアルの定義も必要だし、信じているひともいる。
ただ、ロジャーズのところでのスピリチュアリティは現象として言葉を用いているのではないこと、スピリチュアリティの表層部を語ってもなんら意味はない、とわたしは思うのです。
ロジャーズのいう「スピリチュアル」はまったく違う。
そういうことじゃなくて、心と体、あの世とこの世、自己と世界、自己と宇宙ということだ。「結びつける力」なのだ。でもこう言ってしまうと、やっぱり商用スピリチュアルに聞こえてしまう。
ロジャーズの中核三条件には『共感的理解』『無条件の肯定的配慮』があって、そして『自己一致』がある。どれかひとつだけ満たすということではなく、すべてはシナプスのように接触し関連性をもっているものだ。だから、『自己一致』にところだけ深掘りしようとしてもダメで、常に三条件を含めて考える必要があります。
ジャコモ・レオパルディの詩『シルヴィアへ』から、アントニオ・タブッキの夢
先に、ジャコモ・レオパルディの「シルヴィアへ」という詩
「シルヴィアへ」
シルヴィア、今も憶えているだろうか
あの、きみの限られた命のときのことを
きみのにこやかで、そぞろな目のなかで
美しさがまばゆくかがやき、
そしてきみが、嬉しげに思いつめて、青春の門出にのぼろうとしていたときのことを?
ひっそりとした部屋や、
あたりの通りが、きみの
くり返される歌に響いていた
きみが手仕事に根をつめて
腰かけ、心に懐いたあの漠とした
先行きに満ち足りていたあいだにも。
それは匂いたつ五月のことで、
きみはそうして日を過ごしていた。
―以下略―
詩の世界を写真で表現するマリオ・ジャコメッリは、レオパルディの詩「A Silvia」を写真で表現しています。2013年の東京都写真美術館で開催されたマリオ・ジャコメッリ 写真展では、作品とともに詩が添えられており、それを拝借して引用させてもらいました。
なかなか読解が難しいですが「限られた命」ということで、いまはもう亡くなっていることがわかります。失われた、もう二度とないシルヴィアとの思い出についての詩です。
この詩を書いたレオパルディが見た夢を、さらにアントニオ・タブッキが短編小説に書いています。
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詩人や作家、画家たちが「見ただろう」夢をタブッキが「物語る」本のなかで、『詩人にして月に魅せられた男、ジャコモ・レオパルディの夢』の一文が以下です。
「シルヴィア、いとしいシルヴィア、かの女の手を取りながらレオパルディは呼びかけた。また逢えるなんて夢のようだ。でもどうして銀のからだをしているの?」
これがスピリチュアル。たぶん。
「シルヴィアへ」という詩を感じてみてると、どれほどレオパルディがシルヴィアを想っていたか!そんなレオパルディが見た夢。「また会えるなんて夢のようだ」というところが泣かせます。こういうのがスピリチュアルだって思うんです。
そして、スピリチュアリティな体験は『自己一致』が伴うということ。いまのところはこんな感じの理解です。