「どんな世界が広がっているか」の想像力
「AIがプロゲーマーを破る」というニュースを見た。ソニーグループのAIが自動車レースゲームで達成したという。
記事によると「強化学習」という手法が使われたが、これは囲碁などで威力を発揮した「ディープラーニング」とは別モノだという。素人には「AIが勝手にどんどん強くなる」という意味では同じに映るが、きっとそれは間違っている。
興味深いのは「無理な割り込みをしないなどのスポーツマンシップを理解させた」ということだ。“不文律”である部分を自分でプレイしているだけで体得してしまうとは、どういう仕組みなのか。
“不文律”は文字通り明確に示されていないその世界だけに通用する、いわば「ローカルルール」。
例えば、アメリカ大リーグでは大差でリードしているチームが盗塁をすることはとんでもなく失礼なことで、時には乱闘にまで発展するという。日本人からすると?な“不文律”だ。こういったことをどうやって自力で学ぶことが可能なのだろう。興味深い。
コラムニストの山本文彦氏の著作に「何用あって月世界へ」というものがある。
既読のはずなのに詳細を忘れてしまったが、山本氏独特のトーンで「無駄なことをやるんじゃないよ」という展開なのだろう。その山本氏ならこのAI記事をどう見たか。
まず「ゲームに勝つこと」にどれだけ意味があるのか、そして「それをAIを使ってまで達成せねばならない」ことにも苦言を呈していたのかもしれない。
しかし。
AIという先端技術が見据えているのは単に囲碁将棋やゲームで勝つことではない。そこを起点して幅広い分野で自律的に判断して作業をする、言われるところの「汎用AI」はこうした技術の集約になるのだろう。
AIが勝手に不文律を理解してどんどん頭が良くなる。その先にあるのは人類を超える「シンギュラリティ」か。
自分の存命中にそれがやってくるのかは知らない。そこでは人類の命運がどうなっているのか、知らないままでいる方が幸せなのかもしれないな、と考えている。
(22/2/13)