“ご先祖自慢”はみっともない
今朝は珍しく家族4人全員が朝食に顔を揃えた。
テレビニュースで宮崎県知事選挙の結果を伝えていて、会話のきっかけになった。
長男と私の会話。
「東国原さん、接戦だったけど、負けたんだねえ」「前回1期4年で投げ出しちゃった、って批判もあったみたいね」「あ、4年しかやってなかったのかー。もっと長くやっていたのかと思った」「やっぱりそれだけアピール力があったってことだな」「俺なんて、宮崎って聞いても、東国原しか思いつかないもんね」「いやいや、お前のひい爺さんのお父さんは宮崎出身だから忘れるな」「あ、そんなこともあったなー。合宿免許で宮崎に行ったときに『墓参りに行け』って言われたけど、そんな時間も移動手段もまったくなかったわー」。
次男が加わる。「え?そうなの?宮崎だったの?」「知らなかったか?●●藩の家老職の一族だったんだよ。その後は●●財閥で総理事もやったんだよ」「まったく知らなかった」。
カミさんも参戦。「そうよ、偉い人だったんだから、あなたたちももっと頑張りなさい」「家老って身分だから、偉くないやん」「その人は子どもの時に明治維新だから家老として偉いんじゃなくて、ビジネスで成功したってことよ」。
たしかに家老職の一族だからといって偉いわけではない。“ご先祖自慢”だって同じだ。あなたはそれくらいしか誇るモノがないんですか?ってことだ。
しかし、自慢のタネにさせるためではなく、「家のルーツはもっとしっかり次の世代へ伝えておくべきだな」とちょっと反省。
ルーツを知ること。それは自分の人生が尊いことを自覚して、生きる力を与えてくれるのだ。そう思っているからだ。
(22/12/26)