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ブータン旅行記 #5(最終回) 大好きになったブータン。それでも・・・

※1998年に特派員としてブータンを訪れた際に家族や友人にメールで送った記録です。20年以上が経った現在のブータンはかなり変容しており、細かい事情も変わっていることにご留意ください。(文章は基本的に当時のままです)

ちょっと覚悟しておきたいこと

さて、こうしたブータンでも欠点や困ったことがいろいろありました。

まず、食べ物。私はバンコク駐在でありながら、辛いものとパクチー(タイ料理にはなんでも入っているあの臭い野菜)がダメ。そしてブータン料理と言えばタイ料理に負けず劣らず辛いことで有名らしいのです。「らしい」と書いたのは、今回あらかじめガイドさんに「辛いものはダメだから、なるべくやめて」と言っておいたら、本当に出てこなかったのでよくわからなかったのです。もちろんそんなに料理のバリエーションがあるわけもない。最後の方ではすっかり飽きてあまり食べなくなってしまい、その反動からバンコクでの日本メシがうまいのなんの。今度は喰い過ぎで胃が痛くなる始末です。これは、これからの特派員生活でも結構まずい事態です。30代も半ばになって、舌、というか食事の好みがどんどん保守的になってきました。これが20代前半なら「外国に行ってその国のものを喰わないなんて、もったいない!」と思っていましたし、「日本食が恋しい」などという感覚はまったく理解できなかった。しかしいまでは日本料理屋があるならなるべくそこで食べたい、なんて思うのです。まぁ、うちのタイ人スタッフもカンボジアなどでタイ料理に大喜びしているので、別に恥ずかしくもないのですが。さらにブータンで困ったことは、犬が多くて夜までキャンキャンうるさいこと。ホテルに蚊やひょっとしたらノミ・ダニがいるらしく、足がやたらと痒いこと。ホテルの部屋から直接外部に電話ができず、いちいちフロントに頼まなくてはならないこと(これはどのホテルでもそうらしい)。海外通話がとても高いこと。ホテルのシャワーがぬるく、水もチョロチョロとしか出なかったこと。こんなところでしょうか?でも、こんな些細な欠点を補ってあまりある感動があることに変わりはないのです。

もうひとつ。なにしろヒマラヤの一画の国、どこも標高が高いので、すぐに息が切れる。特に松茸の取材で入った山は3000メートルをゆうに越える。これをブータン人と一緒に登るわけで、しまいには脇腹が痛いという「マラソン状態」になりました。私などはまだいい方で、前回入ったU氏の助手のタイ人は、もうパロの空港から具合が悪くなり、取材では完全にダウン、馬に乗せられて下りてきたそうです。首都ティンプーでもホテルの部屋が3階だったので、疲れていると自室にたどり着くだけでも息が切れる。もちろんエレベーターなんてものは国内には一つもない、とのこと。

旅費について

もしブータンに行く機会があるのなら(そして是非行ってみることを強力にオススメするわけですが)、まず、相変わらず旅行費用がバカ高いことを覚悟して下さい。これは政府の方針として「旅行者は、毎日最低200ドルを払うこと」というものがあり、公認の業者に支払う必要があるためです(98年当時)。しかし、これにはホテル代はもちろん、3度の食事・ガイド・車代も含まれるので、実際にはこれ以外はほとんど費用が発生しないことになります。また、前述のドゥルックエアーは殆ど割引がないので、飛行機代も高くつきます。これにバンコクまでの旅費を考えると、日本からならあっというまにひとり30万円はかかることを覚悟しなくてはいけません。多少の英語力も必要です。たいていのガイドさんとは英語でコミニュケーションをとることになり、日本語のガイドはまずみつかりません。ここはハワイやグアムではないのです。逆に言えばブータンでは町中で英語がばっちり通じるので、楽といえばこれほど楽な国もない。はっきり言って英語が通じるシチュエーションはタイや日本よりも多いでしょう。

伝統を守ることとは・・・

これには説明が必要です。実はブータンは英語教育が充実。なんと小学校から、国語であるゾンカ語以外の全ての授業を英語で行っているのです。そのために今ではみんなが英語を話す、外国からのビデオをそのまま字幕なしで見る、場合によってはブータン人同士も英語で話す、新聞も英語版の方が売れる、文章を読むのは英語の方が楽、ということになっているといいます。一見すると「伝統文化を守る」というブータンの国是と矛盾するようにも見えますが、逆に言えばあのような小さい国で教育事情も発展途上だからこそできた思い切った政策でもあります。

マスコミ事情もすごい。ブータンにはラジオしかなく、テレビ放送はありません(その後国営放送が登場、衛星放送も受信できるようになったようです)。新聞も週に1回の発行。しかしあの国に身を置いてみると、それでも全然構わないような時の流れを感じます。比較的裕福な人たちはテレビとビデオデッキでレンタルビデオを楽しんでいる、という次第です。このレンタルビデオ屋の繁盛ぶりはすごい。あの小さなティンプーでも少なくとも20軒のビデオ屋が軒を並べ、インド映画や欧米の映画を並べていました。外国人観光客の流入制限よりもこちらのほうの規制があってしかるべきなのではないかとも思います。娯楽が極端に乏しい国としてはこれくらいは必要、ということなのかもしれませんが、あのような他国の文明・暴力・セックスがノーズロで入ることは、長い眼で見るとブータンにとってはマイナスにはならないのでしょうか?知らないことが幸せってこともあるのではないでしょうか?

政治面でもブータンは微妙な位置にあります。なにしろ九州ほどの面積に70万人しかいない小国が中国・インドという大国に挟まれているのです。しかもほとんど親戚のようなチベットは大中国に呑み込まれて、弾圧も絶えない。そこで現在は非同盟諸国の一員として、政治・軍事・経済をインド寄りにしています。入ってくる物資も殆どがインドから。輸出入経済の80%以上が対インドになっています。最大の輸出品目はなんと電力。隣国インドに電力を輸出していて、ガイドさんは「もうすぐ大きなダムが2つできる。そうなればさらにインドに電力を輸出して、国の財政が良くなるはず」と胸を張っていました。

さようなら、ブータン

さて、すっかり長くなりました。

以上は、わずか1週間、しかもブータン西部の一部を駆け足で覗いただけの個人的な感想です。所詮は観光客の目線を一歩も出ていません。「街に出ているペプシやミリンダの看板が興ざめだなぁ」なんて、ブータンをテーマパークとして見ている外国人の勝手な感想以外のなにものでもありません。「そんなにすごいなら、そんなにみんなが幸せなら、お前はブータンに住めるのか?」と聞かれれば、もちろん無理。「日本もブータンになれ、というのか?」と言えば、これもまったく不可能。ブータンがこのままの姿を守ることはできるかもしれませんが、これだけ社会が複雑化してモノがあふれかえった日本があの生活に「戻る」ことは決してできません。

しかし、たとえあの国に住むことはなくても、いまあの国を見たことは貴重な体験でした。前述したとおり、人間が生きていく上で必要なモノはそんなに多くないのです。人間のシアワセなんてモノの量では決してはかれない。もちろんお金、地位でもありません。

バンコクの友人がこう言っていました。「あの国ではなにか魂が入れ替わることが起きるそうですよ。やっぱり最後の夜に魂が入れ替わってきたんじゃないんですか?」。うーむ、そうかもしれないなぁ。実際、バンコクに戻って久しぶりに(カンボジア出張にも行っていたので3週間ぶり)バンコクの日本人向け飲み屋街にも行ったのですが、どうにもなにもかもがウソっぽく、バカバカしく見えて仕方がありませんでした。魂が入れ替わったのでしょうか。それとも相次いだ出張と赴任以来の疲れがちょうど出てきたのでしょうか。まだわからないのです。

同行したU氏が言っていました。「世界でカミさんを連れていきたいところは、2つだな。ブータンとアンコール・ワット、このふたつにはどうしても連れていきたい」。さらにU氏いわく「ブータンはとにかくUNESCOの世界遺産に指定して欲しい。でもどこを指定するのか迷うに違いないから、国全体を指定するのだ!」うーむ、さすがは大先輩、いいことを言うなぁ。

きのう、ブータンで買ってきた例のタンカの額縁を作る手配をしてきました。これを自宅に飾って、改めてブータンに思いを馳せるのを楽しみにしています。

そして、今は2つ決心をしています。カミさんと息子を必ずブータンに連れていくこと!12月のバンコクアジア大会(98年)では、ブータン選手団を力一杯応援すること!

追記

ブータンのタンカはいまも東京の自宅マンション玄関で皆さまをお迎えしております。

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