「文章を書く」愉しみ~自己紹介と過去記事(抜粋)
「文は人なり」といいます。定年を間近にして、これから会社以外の世間さまで出会うであろう人々に「私はこういう者です」と言えるような記事を書いていきたいと思っています。しかし・・・
苦労した駆け出し時代
サラリーマン記者として昭和の終盤からニュース原稿を書いてきました(キャリアの中ではカメラマンなどもやりましたが)。大きな枠としてはこれも「文章を書くこと」ですが、宿命として取材と執筆を両立させる必要があり、常に時間に追われる作業になります。もちろん趣味で書く物ではないし、上司(デスク)に添削されることが前提では楽しいわけもありません。今となれば「伝えるべき要素を過不足なく」「記事として完結して成立させる」というのは所詮テクニックに過ぎず、これは訓練次第で体得できるものだと知っていますが、それがわかっていない頃は「お前は記事が下手」と言われ続けて、自分でも苦手意識がありました。
思いがけず「熟成」
転機はカメラマン経験でした。数年間記事を書くことから離れ、テレビマンとして「映像」に神経を集中させました。そして記者に戻ったところ、執筆が苦痛でなくなっていただけでなく、明らかに「上手くなっていた」のです。なんとも不思議な感覚でしたが、数年間の冷却期間が文章への姿勢を「熟成した」ととらえています。ちなみにテレビニュース原稿の推敲で大切なのは「声に出して読み上げてリズムをつかむこと」と気づいたのもこの頃。これはいまも後輩に指導する際の最大のコツです。
海外支局からの「メール通信」
海外支局へ赴任したのは34歳。4年間にわたってアジアの各国を文字通り「飛び回った日々」。見るもの聞くものがすべて新鮮で、業務としての出稿だけでなく「こんなことがあったよ」「こんなものを見たよ」を家族、実家、友人に不定期にメールで送っていました。noteにアップしている「ブータン旅行記」はその頃に書いたものがベースになっています。我ながら、そうしたものにも時間をかけるエネルギーがあふれていたことを眩しく思い返します。
地上波放送だけでないコンテンツの充実をはかっている現在であれば、こうしたものもいろいろな業務ルートで発信しているかもしれません。この時の経験が「業務を離れて文章を書くことは楽しい」との気づきにつながったと思います。それにしてもそのころの文章をじっくり読み返すと、読点がやけに多かったり、修飾語の位置や言葉の選択が下手くそだったり、いろいろ驚きます。それに気づけたことで、その後の進歩を実感できました。
「書くこと」の喜びを再発見した
読書という趣味は一生モノです。それどころか、「なるべく多くの本を読むために健康でいること」はこれからの人生の最大の目標かもしれない。数年前からは地元や会社近くの図書館を回ることで量も飛躍的に増えました。そして、「内容や感想を右から左へと忘れちゃうのは人生の無駄だから、せめて感想を記録しておこう」という気持ちからSNS「読書メーター」にアップすることを始めて、そこで文章を書く楽しさを再発見したのです。
定年目前おぢの身辺雑記に価値はあるのか?
所詮はおやぢの手すさびですが、「書く」「推敲する」という行為は本当に楽しい。身体の中でアドレナリンが駆け巡って、いきいきしてくるのがわかります。しかし、エッセイを楽しむには筆者への愛情・興味・シンパシーのどれか一つが必要です。それだけにこれからnoteに何を書くべきなのか、実はさっぱりわかりません。どうかお付き合いください、というのもおこがましく思っているのです。
※「読書メーター」も続けているので、その感想文はこちらにもアップします。「読メ」の文字数制限があるので、基本的に分量は255文字です。