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胡蝶蘭という「通貨」
株主総会を前にした役員人事の季節。ことしはウチのボスの昇任が決まった。
さっそくお祝い電報や胡蝶蘭の鉢植えが続々と舞い込んでくる。電報は秘書さんが受領するのでどれくらい来ているのかは知りようもないが、オフィス内に鉢植えがズラリと並ぶ姿は壮観だ。
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それにしても、なぜ判で押したようにみなさん胡蝶蘭なのだろう?うっかり気がつかない間に「胡蝶蘭デハナイ花ヲ贈ルコトヲ禁ズ」などという法律でも成立していたのか。
好き嫌いでいえば、私は花は可憐な姿が好き。胡蝶蘭の形状にはどうにも一種の“妖気”を感じてしまって、苦手である。やっぱり「祝福」だけでない、「嫉妬」「阿諛追従」「怨念」といった感情が憑依しやすい形をしているのかもしれない。あ、私は一度も贈られたことはございませんが。
つまり暗黙の了解の下に流通している一種の“通貨”なのだ。
かつてのパチンコ屋では換金の際に「ライター石」などが使われていたことを思い出す。ネット記事によると“特殊景品”と呼ばれていて、いま東京では金地金を使用。「金の価格が高騰した際、景品交換所に持ち込まず一般の貴金属店で売るケースが続出しました。」との記述があった。ほんまかいな?
そういえば藤子不二雄の「まんが道」では、戦時中の生徒たちがさまざまなやりとりに肝油ドロップを仲介させていたシーンもあった。通貨と違って政府機関の保証がない「ビットコイン」だって、この“共同幻想”がなければ成立しないのだ。
花屋さんにとって年に一番の書入れどきは母の日だと聞いたことがあるが、単価が大きい胡蝶蘭もすごいことになっているだろう。オフィスに配達にきた青年に「この時期、これ(胡蝶蘭)ばっかりで、大変なんじゃない?」と話しかけたら、「ええ、確かにそうです」と苦笑いしていた。経営者でもない配達員さんにしてみれば、重たい鉢植えばかりになるこの時期は憂鬱な季節なのかもしれない。
胡蝶蘭が飛び交うこの風景を22世紀や23世紀の日本人が振り返ったら、「なんでみんなあんなものを」と不思議に思うのではないか。
(22/5/20)