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「十二人の死にたい子どもたち」は、なぜ死にたかったのか?

映画「十二人の死にたい子どもたち」を観てきました。

タイトルと予告のただならぬサスペンス感と、「堤幸彦監督作品」というのがもう気になり過ぎて、久しぶりに映画館へ足を運びました。(君の名は。以来かな?)

私は、この作品がすごく好き。

ぜひ色んな人に観てもらいたい!と思う。

ただ、どんなところがおススメなのかを話す時点で相当なネタバレになるので、ここから先は映画を観た後に読んでください。笑

※以下、ネタバレ有り※

・十三番目の殺人鬼は誰だったのか?

はい!ここから先はネタバレ有りです。

ちゃんと、映画観て来てくれました?よかったよね!?ね!?

ハッピーエンド好きな私としては、観て良かったなぁ〜と感動やら爽快感やら…前向きなパワーをもらえる映画だった。

※登場人物やストーリーはこちらのサイトに詳細がまとまってます。(もはやこれを読めば映画の中身が全部わかっちゃうって、どうなのコレ…)

予告・特報だと、「十三人目の殺人鬼が紛れ込んでいる」みたいな雰囲気だったけど…

それ自体が最大のミスリードだったのか!なんと!

その辺りも良くできていたなぁー。面白かった。

違和感を感じるシーンは多々あって、「本当に犯人がこっそり紛れ込みたいなら、こんなわかりやすい痕跡を残すか?」と疑問に思っていたので、そういうことか…と納得。

エンドロールでは時系列に沿って、「ゼロバン」を運んだ方法がネタバレされるんだけど(それはノブオも階段でフラフラするわ…)、BGMも明るい感じで爽快感があってよかった。

そう、殺人鬼は紛れ込んでなんていなかったんだ。

私はホラーがあんまり好きではないので、「帰りに再起不能になったらどうしよう…」という不安もあったけど、ほんと良い話でよかった。笑

・一人一人の悩みに大小はないけれど…

「死にたい」という共通項で集まった、十二人の子どもたち。

それぞれが、なぜ死にたいのかという理由は、徐々に明らかになっていく。

お互いの悩みがリンクしていて、そこから化学反応が起こっていくのもとても良かった。

①橋本環奈演じる「リョウコ」を取り巻く思い

環奈ちゃんは劇中でも、超人気女優の役なんだけれど、「大人に作り上げられて消費される商品としてではなく、自分自身に価値を取り戻したい」という理由で死を選ぶ。

それなのに、メンバーの一人であるアンリに、こう言われてしまう。

「あなたのおかげで、私の意思が広く知れ渡るわ。ありがとう。」と。

利用されないために死を選んだはずなのに、自分の死ですら、利用されてしまう矛盾。

一方で、ミツコが死を選んだ理由は、「大好きなバンドのメンバーが死んでしまったから」。

ミツコはリョウコを、必死で止めようとする。

「あなたが死んだら、私みたいに後を追う人がたくさん出て来る。あなたの命には、他の人と違って価値があるんだ。」と。

②父のために死を選ぶメイコと、母から逃げるために死を選ぶセイゴ

メイコは自分自身に生命保険をかけ、傾きかけている父親の事業に充ててほしいと願っている。

かたやセイゴは、だらしない母親から生命保険をかけられていることに気付き、保険金が下りないように自殺したいと思っている。

セイゴは、メイコに言う。

「お前が死んだ保険金で助かったって、父親が一生覚えていてくれる保証はない」

メイコは、セイゴに言う。

「あなたが死んだって、お母さんはちょっと計算が狂った、くらいにしか思わないわよ」

④不治の病に侵されたシンジロウと、ヘルペスで死ぬと思い込んでいるマイ

物語は、両親が警官であり推理が好きなシンジロウによって解き明かされていく。

シンジロウは、あと1年ほどで自力で動けなくなる。その前に自分で死を選びたい、と。

かたやマイは、「ネットで知り合ったおじさんに無理やりベロチューされてうつされた」という"不治の病"に侵されているんだけど…

その病名は、ヘルペス。

周囲が、「え、そんなんで?」という空気になる中、マイは叫ぶ。

「シンちゃんの病気と、マイの病気は、違うっていうの!?」

シンジロウは優しく応える。

「違わないよ」と。

④交通事故で兄を植物状態にしてしまったユキ

ユキが実は、十三人目の「ゼロバン」を連れて来た張本人だった。

兄の自転車の後ろに乗せてもらい、いたずらでマフラーを引っ張ったら…二人は事故に遭ってしまった。

そのことを、ユキはずっと心に病んでいた。

そんなユキに、マイは言う。

「そんなん、やっちゃうよ!マイもやっちゃうと思う!」

最悪な偶然が、重なってしまっただけだと、みんなが優しく声をかける。

…そして他にも、良いシーンがたくさんあった。

空気が読めなくていじめられていたケンイチのことをマイとセイゴが慰めるシーンがあったり。

かつて自分をいじめていた主犯格を階段から突き落としたノブオが、今度は自分が突き落とされることで、過去の因縁を吹っ切ることができたり。

十二人の子どもたちが、お互いのことを知り、お互いのことを想うことで、「死んでほしくない」と思うようになっていくのがすごく良かった。

・「死にたい」わけじゃなくて、「これ以上生きる理由」がなかっただけ

自分が思春期の頃のことを思い出してみると…

なんでそんなこと?と思われるようなことも、深刻に捉えて悩むことはたくさんあった。

そして私もいじめられたことがあったけど、そこから逃げればいいとはとても思えなかった。

置かれた環境が、世界の全てだと思い込んでいた。

大人になれば、自分の居場所はいくらでも選べるって、わかるのに。

この映画に出て来る子どもたちも、自分たちが置かれた環境=世界の全てだと思い込んでいた。

彼らは、本当は「死にたい」わけじゃなかったんだと、私は思う。

彼らは、自分が生きる世界の中で、生きる意味を見つけられなかっただけなんじゃないかな、と。

そうやって「死にたい」という思いで繋がった仲間との出会いが、彼らに生きる意味を与えてくれた。

物語のはじめ、絶望の中にいた彼らの表情は、解散する頃には別人のように明るく、子どもらしい笑顔に変わっていた。

そのラストシーンが眩しくて、感動して涙が出てしまった。

・死に取り憑かれたサトシが、「集い」を続ける理由

この「死にたい」気持ちを抱えた子供たちが集まる「集い」は、実は初めての開催ではなかった。

主催者のサトシは、過去に2回の「集い」を行ったが、毎回「集団安楽死」は実行されない結論に至るという。

サトシ自身も、母が兄と無理心中を図り、父親が自殺してしまうという過去を抱えて生きている子ども。

これは勝手な憶測だけど、サトシは母親にも(兄にも)父親にも、もっと胸の内を打ち明けてほしかったんじゃないかな?

悩みを打ち明けて、誰かが共感したり励ましてくれたりするだけで、生きる気力は湧いてくる。

自分の命を自分で終わらせるのは簡単だけど、この命を大切に思ってくれてる人がいるとわかるだけで、生きる意味もあるんじゃないか。

命を終わらせたら、悲しみは消える。

だけど同時に、もしかしたら未来で味わえるはずだった喜びも、消えてしまう。

そんなことを感じてもらうために、「集い」を続けてるのではないかな?と思った。

きっとそれが、サトシ自身の生きる意味なのではないか、と。

・自分の子どもが、悩みながらも人生を楽しめるように

いつか私の子どもたちも、多感な思春期を迎えることになる。

一度くらいは、死にたいと思うこともあるかもしれない。

だけどどうか、この映画で生きる意味を見つけた子どもたちのように、立ち上がってほしいと思う。

そのために、自分が親としてできることは何でもしてあげたい。

そして、自分自身ももっと、人生を楽しみたいと思わせてくれる、すごく素敵な映画だった。

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松下はるか
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