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ロールモデルになりたいと思っていた私は、呪われていただけだった

「セーラームーンになりたい」

小学生になりたての、まだ幼かった頃。セーラームーンに憧れた。

”誰かの役に立ちたい”

そう願い、誓い、行動を起こすことは、とても尊いことだ。

セーラームーンは月に代わって悪人をお仕置きするし、アンパンマンはバイキンマンをアンパンチでバイバイキンさせる。

誰かのために勇気リンリン戦って、役に立つ。そんな人にならなければいけないと、漫画やアニメ、勧善懲悪の童話や絵本の類いで、潜在意識のレベルで刷り込まれているのかもしれない。

その想いは用法・用量を守って正しく使わないと、時に劇薬になる。

私にとってのそれは、呪いが姿を変えたものだった。

サクちゃんとの雑談で、生まれて初めて気が付いたのだ。

自分は夢組だと思ってた

「あ、サクちゃんと雑談ができるんだ」

この記事が目に入って来たときに、あたかもそうなることが自然だったかのように、申し込みフォームを入力した。

応募が多かったら、抽選になって落選するかもしれない。その時はその時だ。第一弾であるカフェで雑談できるチャンスを逃したことは悔やまれたけど、それも含めて全部ご縁だ。

そう思って応募したら、本当に雑談の機会をもらえることになった。

人間とは不思議なもので、〆切が決まると行動を開始する。当日までに、少しでも深く自分の中に潜っておきたい。

サクちゃんの著書「世界は夢組と叶え組でできている」を読みながら、自分と向き合うことにした。

2017年に公開された「世界は夢組と叶え組でできている」のnote版は以前に読んでいた。そのときは漠然と、「自分は夢組だ」と思っていた。

いつだって自分で目標を立てて努力し、叶えてきた自負があった。高校受験、大学選び、テニスでの成果。超一流ではないんだけどね、自分の中で決めた目標を達成してきたから。

社会人になってからは、正直終わりのないマラソンのようで、目標はなかなか立てられなかった。

そうこうしてるうちに出産して働くママとなって、「家族との時間も、仕事でのキャリアも諦めたくない」って気持ちが芽生えてきて。

バリキャリでもゆるキャリでもない、自分の価値観にぴったりのロールモデルがなかなか見つからなくて、悩んだ時期もあったけど。

無いなら自分で作ればいいと思って目の前の仕事を頑張って、ついには転職までした。

「ワーママの新しいロールモデルになる」ことが、仕事において初めて立てた、大きな目標になったのだった。

そして今では夫との信頼関係もあって協力は得られてるし、子ども2人に恵まれ、ワーママ転職だって叶えている。

目標に向かって進んでるじゃん。って他人から見たら思うかもしれない。

だけど社会人になってから10年間、未だにサラリーマンとしての自己肯定感は地を這いつくばっている。いつだって不安に苛まれている。今だってそうなんだ。自分はこのままでいいんだろうかって漠然とした不安を常に抱えて、頑張っても頑張っても全然できてる気がしない。

これはなんなんだろう。

自分のことは、好きなほうだと思う。だけど自分を信じているようで、全然信じていない理由はどこにあるんだろう。

サクちゃんの本の中に、「ガマンの鎧を来てる人」という章があった。

そこで初めて、ピンと来た。

ああ、自分はガマンしなければいけないと思ってるんだ。と。

自己肯定感が高いところと、低いところがある理由

一人っ子で、一人娘。従兄弟たち4人を見回しても全員男の子で、一人だけの女の子が私だった。両親・祖父母・叔父叔母みんなから可愛がられた。(希少価値的なところだろうか)

母親は自分のことがあまり好きではなかったそうで、「自分のことを大好きな子になってほしい」と思って、育ててくれたらしい。

母子関係は色々あったけれど、総じて感謝している。愛情も注いでもらったし、自分のことをまあまあ好きだ、と思う。

じゃあなんで、社会人になって仕事を始めてからずっと、自己肯定感が低いままなのか。サクちゃんの本を読み進めながら、数日かけて考えて、やっと気づいた。それは胸の奥深くに仕舞い込んで、自分の一部かのように凝り固まっていたから無意識の領域にあった、母からの呪いだった。

「一人っ子だから、わがままだって言われないようにね。」

幼い頃は確かに、我が強くて主張が激しいタイプだったと自覚もしている。

小学校〜中学校にかけて、数回いじめられたこともある。

そうやって心を折られるうちに、「自分はわがままだから、ありのままの自分でいたらいけないんだ。ガマンしないと嫌われちゃうんだ」と思うようになった節は大いにある。

今思えば、自分の主張が激しいのが問題なのではなかった。「私はこう思う。あなたはどう?」って相手への敬意を持って意見を尊重しあったり、「こうしたいと思ってるけど、大丈夫?」だとか、思いやりを持って伝えることができなかったのが原因だった。

「一人っ子だからわがままだと言われないように」は、人の顔色を伺ってガマンを重ねてしまう呪いだったんだ。

母親が私を産んだのは若い方で、常にママ友の中では最年少で、色んなことを言われたんだろうな。そう思うと、誰のことも責める気にはならない。

まあでもその呪いのせいで、学校社会での挫折を引きずったまま、社会人になった。学校社会なんかより、さらに広い人間社会とのつながりだ。

様々な価値観を持つ人がいて、チーム単位部署単位、はたまた外部の会社の人たちまで、色んな人と関わって仕事は進んでいく。

元来の完璧主義で敏感な性質も相まって、「失敗してはいけない、迷惑をかけてはいけない」と、常に怯えて縮まってキョロキョロと様子を見ている小動物のようだった。

会社という組織の中に属することで、途端に自己肯定感が下がってしまうトラウマは、この呪いから来ていたんだ。自分の中で点と点が繋がった。

夢は呪いの裏返しだった

サクちゃんとの雑談の時に、「一人っ子だからわがままだと言われないように」という呪いがあったことを話した。

そして「ワーママのロールモデルになりたい」という目標があるけれど、10年間で仕事を楽しいと思ったことはほとんどないし、いつだって誰かに迷惑をかけてるって思って自信がないし、会社員として働き続けることに疑問を感じていることを伝えた。

するとサクちゃんは、

「ロールモデルになりたい、というのは呪いの裏返しかもしれないね」と言った。

「迷惑をかけちゃいけないって思ってるから、ロールモデルになりたいってことでしょう?」と。

うわあああああああまじかああああそういうことかあああああ

って、頭の中の新しいニューロン回路が、繋がった。

自分は迷惑をかける存在であり、マイナスな状態だと思ってた。ロールモデルになれるくらい仕事ができるようになったら、やっとプラマイゼロだって思ってた。

「ロールモデルになりたい」と思っていた私は、呪われていただけだった。

そっか・・・そういうことか・・・

ずーっと背負っていた重荷を、やっと下ろせた気がした。

ってことは、私が今まで目標だと思って叶えてきたことは、よくよく考えれば「すごくやりたいこともないからいい匂いのする方へ行く」を繰り返してきただけだったんだ。

私は夢組じゃなくて、叶え組だったってこと。

・・・・っはああーーーーん、そういうことね。

自分のことを夢組だと思い込んで、呪いに突き動かされていただけだったんだ。

自分を押さえつけていたガマンの鎧が剥がれ落ちて、朽ちていく音が聞こえたような気がした。

ガシャガシャガシャ、ガシャン。

雑談は、人生を救う

さて、サクちゃんとの楽しかった1時間半もあっという間に終わりを告げようとしていた。

雑談なのにアジェンダを用意して驚かれた冒頭から始まり(「アジェンダ作って来た人初めてだ」って言われた)、目から鱗はボロボロ落ちるしガマンの鎧は剥がれるし、すごくすごく貴重な時間だった。

雑談は、人生を救う。

カフェでサクちゃんと会う雑談は、それもまた得られるものがたくさんあるんだろうけれど、オンラインの雑談だって素敵なものをたくさんもらった。

一旦、私の夢は棚上げだけど。全然いい。呪いを夢だと信じて抱え込んでたときより、ずっといい。

今はこうやって好きなこと、文章を書くことをのんびり続けながら、育たなかった自己肯定感を少しずつ育んであげたいと思う。

サクちゃん、素敵な企画を考えてくれて、本当にありがとうございました。

私もいつか、自分のやりたいことが誰かの役にたつ、そんな何かを見つけられたらいいな。

【今回抜粋したnoteはこちら】





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松下はるか
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