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子どもと一緒に理科を学ぶ

理科を教えることができる教員がいない

「小学校の教員は文系出身が圧倒的に多い。自分が理科の楽しさをわかっていないから、子どもにもカリキュラムだけで教えてしまう。これでは子どもが理科好きになるはずがない」

独身のころ、先輩の研究者たちが揃ってこのように言っていて深く納得しました。

「なんでこんなことを覚えなくてはいけないの?」

元素記号の暗記で「水平リーベ僕のおふね」と唱えながら、「なんでこんなこと覚えなくてはいけないのだろう」と思ってつらかった記憶があります。(根性で覚えて今はすっかり忘れました。意味のない苦労だった)

勉強を続けていく中で「なんでこんなことを…?」と子どもに思わせない。子どもに接する際に大切にしていることです。知るって楽しいよ、これがわかるとこんなことがわかるんだよ。そういう発見や「つながり」が見えて「へぇ!」「そうなんだ!」と感じること。それが学びの原動力かなと思うのです。根性で覚える局面はどうしても出てくるので、極力それを減らしたい。しんどいだけですしね。

かがくのとも・たくさんのふしぎは「へぇ」のあつまり

都心で育ってしまった私は理科の素養が全くないまま大人になりました。子どもが保育園になってはじめて「かがくのとも」を読んだときには感動しました。図鑑よりもわかりやすく、ストーリーで知識をインプットすることができる。寝る前の読み聞かせはこれです。図書館にあるバックナンバーはほとんど読んでいます。

おかげさまで子どもたちは図鑑遊びもするようになり、完全に理解できないまでも「たくさんのふしぎ」もめくって楽しむようになりました。

おもしろいとおもえるかどうか

「おもしろさ」の伝え方はいろいろですが、こと子どもに関しては
「周りの人間(特に親)が一緒におもしろがること」「実際にやってみること」が大切なのではないかと思います。

やった!できた!の発見は、なかなか教科書だけではできない。今までの「へぇ」を積み重ねて、最後は教科書で知識をまとめる。もしくは教科書で読んだことを実際にやってみる、体験してみる。

世界をつくるのは「理科」「社会」

理科と社会が世界の中心にあり、それをより深めるためのツールとして国語(日本語)、英語、算数(数学)があるのだと個人的には考えています。

中学受験で「理社は暗記だから後回しでいい」という言説にはちょっと反対というか、悲しくなります。合格をすることが目的の受験勉強はつまらないなぁと。受験のあとにも人生は続くので、せっかく勉強をするなら知識習得だけではなく、発見や学びにつながる体験があったほうが良いのではないかなぁと思うのです。

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