環境のせい、環境のおかげ

それって環境のせい?
これって環境のおかげ?

ふと、蘇る記憶

食材が溢れるのが日常だった幼少期

父は横浜中央卸で働いていて、毎日市場の新鮮な食材で食卓は溢れていたものだ
鮮魚は発泡スチロールの箱に敷き詰められ、野菜や果物はダンボールにぎっしりあり
それを家族皆で食べるのが楽しみだった

とくに裕福ではなかったけれども、当たり前、普通、疑うこともなく日々が続くとしか思っていなかったし、そんな事を考えるという発想すら無かった

家族じゃなくなった小学生時代

そんな薄っぺらい常識は急に消え去った

祖父が他界した事がきっかけだったのか
祖母の嫁いびりが強くなったのか

何がコップの水を溢れさせたのか知らないけれども私の両親はわたしが小2になる時、離婚した

それでも何か母親が辛そうであった事は鮮明に覚えてる、そう母親が辛そうな時点で、その家族は存続する価値はないのだ

子供にとっても、家族を維持する事が大切だなんて微塵も思わなかった事は記憶している

それはそうと

父に「育てられる自信はない」と放棄され、母に「たいして食事もさせられないかも」と言われ、小2にて人生岐路に遭遇し、母を選んだ。

母がそう告げたのは時代背景が大きく影響していて

当時は男女雇用機会均等法がなく、女性は雇用機会すら不平等で、まともに収入がある職に女性が就労することが困難だったから

その予言は見事に的中して

中学3年までの間、米と味噌汁で生活していた
お菓子などは勿論無く、なんならアパートを借りる事すら困難で

ようやく決まった部屋は急坂の途中にある半地下のような1階
家の周りはクローバーが湿度で生い茂り、天井は蜘蛛の巣だらけだった

風呂も狭いバランス釜で
引越しした当初は母と2人で部屋中を掃除したものだ
日陰な環境は変わらないけれども
暮らしていける喜びで、何かが心から溢れ、嬉しいという気持ちで満たされていた

この6年間近い年月のあいだ、私はどう過ごしていたかと思い出せば

学校は授業が終わると遊ぶこともなく、真っ直ぐ帰宅し、洗濯物とりこむ、風呂洗う、米を炊き味噌汁をつくる(おかずなんて金銭的余裕は無い)までやり終えると、パートで働いてきた母が帰宅

一緒に夕飯を食べ、後片付けをして、狭い和室で、薄い布団を敷いて寝る

こんな生活を小2から中学3年まで続けていた

母が働いて生活を支えていたから、親が学校行事に参加するなんて「ありえない」事に違和感は皆無だった
授業参観はもちろんだし、その他も言わずがもがな

クラスメイトと話したりする時間は、授業と授業の合間だったし、金銭的余裕も無かったので、休日に何処か出かける事もなかった

それでも

他者を差別する事はしなかったし、「この年齢だから」「男だから」「女だから」「家族とは」みたいな偏見とかは無かった

家事をやり、遊ぶ時間は無かったけれども
褒めて褒めてと承認欲求オバケにもならなかったし、自省もせずに相手が悪いとか歪んだ感覚もなかった

自分の至らぬところを、それをフォローしてくれない人のせいに感じた事すらないし、成長に繋がらない慰めを喜ぶような怠惰で愚鈍な感覚も無かった

何よりも「自分がしてあげてること」よりも圧倒的に「誰かがいてくれること」「誰かがしてくれたこと」への感謝を最優先にしていた


とにかく生きている事への感謝で満たされていた

ほんとうに

欲まみれな人格は形成されなかったし、
非行不良にもならなかった

何より

金銭や物品や、余暇がまるでなく
生活をしていく事に一所懸命であること

生きていく事で、とてもとても幸せだった

あらためて振り返ると

何なら、50年生きてきて、あの清貧な日々が一番幸福感に満たされていた

もしも、あなたが

これを読んでいる、そこのあなた自身が

強欲だったり、言動が荒れていたり
承認欲求が強すぎたり、感謝が足らず傲慢
だったりしたら

それは環境のせい?

欲に縁がなく、言動が落ち着いていて
適度に自制心があり、感謝を常に、謙虚で
いるとしたら

これは環境のおかげ?

もちろん、環境はとても大切だとおもう

過保護、過干渉
放任、放置

誰かを堕落させたり、他責傾向にさせるのも
自分勝手で我儘になったり、攻撃的になるのも

少なからず、その瞬間、瞬間の環境に影響は受けるし、影響を受けさせる側になるとは思う

とくに子供の頃は選択する現実的なチカラがどつやっても足りなくなりがちだ

それでも

自分がどうありたいのか

それを軸に選択を実行していけば、いくほどに

誰かの
何処かの

環境のせいには少なくとも、しない

残るのは環境の
おかげ、だけだと思っている

だから、誰かや、環境のせい
にしているならば、思い返して

ありたい自分になることを選択してこなかった
経過が

その何度も訪れた分岐点を
その場しのぎで、選択し続けた
自分自身が、いまの環境を育てたんだ

そのことを

目の前にある分岐点を選ぶのは
いつでも、あなた

周りの世間体や、周りの常識や、
周りの嫌悪や、周りの人生や

そういう周りを言い訳に分岐点を選ぶことだけは、それだけはしちゃいけないよ

と思うんだ

いいなと思ったら応援しよう!