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美術史第11章『ビザンティン美術-前編-』
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話をローマに戻して330年、分裂していたローマ帝国を再統一しキリスト教を承認するミラノ勅令を出したコンスタンティヌス1世がギリシア人の都市ビザンティウムを新しいローマ帝国東部の拠点として整備しコンスタンティノポリスと改名、その後ローマ帝国が東西に分割統治されると、東ローマの首都となった。
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5世紀には分裂していたローマの内、本拠地のイタリアやフランス、スペインなどを収めていた西ローマが事実上崩壊、ローマ帝国は発祥の地ローマを失い、コンスタンティノポリスを首都、ギリシャ人を主体とする中東、東ヨーロッパ、北アフリカを支配する東ローマ、もといビザンツ帝国のみが残存、これにより初期キリスト教美術はギリシア文化圏に残っていたローマ美術やギリシア美術、そして東に隣接するサーサーン朝ペルシアの美術などの影響を受ける様になり、ビザンティン美術と呼ばれる美術が誕生した。
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ビザンティン美術の特徴としては荘厳なデザインの中に豪華な装飾が施されている様な傾向や、非常に優れたモザイク画、敢えて写実性を無くした宗教画などがあり、6世紀、ユスティニアヌス1世の時代、ビザンツはかつてのローマ帝国の広大な領土を取り戻そうとし、領土を大きく拡大、現在の法律の土台となっている「ローマ法大全」を発布するなどビザンツ一回目の黄金期を迎えると、ビザンティン美術などのビザンティン文化が隆盛した。
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その後、正教会の中心地となる「ハギア・ソフィア大聖堂」というキリスト教のローマ美術由来のバシリカ式とヘレニズム美術に起源を持つ集中式の二つの様式を合わせた様な新しい様式の巨大な教会がコンスタンティノポリスに建設され、また、この時代には近東の美術の影響で、装飾のモチーフに、聖樹、要するにクリスマス・ツリーや、獅子、幾何学模様など抽象的な浮彫装飾が好まれる様になり、人間をモチーフにした美術が減少した。
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西暦7世紀にはアラビア半島でキリスト教から派生したイスラム教という新しい宗教で結束した「イスラム帝国」が出現し、中東、エジプト、北アフリカをイスラム帝国が占拠、西暦8世紀に入るとビザンツ帝国でキリスト教本来の教えで、当時接触していたイスラム教で固く守られていた偶像崇拝禁止、つまり「イエス・キリストや天使、聖書の物語など神を形、偶像にして表した美術作品イコンを禁止する教義」を守るべきという考えが知識人の間で広まり、皇帝レオーン3世によりキリスト教やギリシア神話時代の宗教美術作品が破壊されるイコノクラスムが行われ、これに宗教美術を制作していた正教会の修道士達が猛反発し、ビザンツ内部が真二つに割れ武力抗争まで発生した。
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さらに、西ローマの崩壊後に数百年前からローマ帝国内に住み、アスパルやスティリコなど特に軍人を輩出してきたゲルマン系諸民族の独立した国々が乱立していたヨーロッパの西側で最大の権威となっていたローマ教皇率いるカトリック教会勢力がイコノクラスムに反発、ビザンツに渡していた税金を停止し、さらに西暦800年丁度にはローマ教皇が乱立したゲルマン系民族の中でも広い地域を支配したフランク族の王カール大帝(シャルル・マーニュ)にローマ皇帝の称号与え、教皇とカール相互での権威の向上を行なっており、これにローマ帝国の東側の生き残りで本当にローマ帝国だった東ローマもといビザンツ帝国は反発、ビザンツに住むギリシア人などの正教会とローマ教皇を頂点とするカトリックは分裂した。
また、ビザンツはイコンを制作し、イコノクラスムに大反発していた、キリスト教の教義を遵守して共同生活を送る修道士達が暮らす「修道院」を弾圧し、修道院の持つ莫大な農地などを没収、それらの土地を国家所有とした事で、皇帝の権限が強くなり、イコノクラスムが完全なものになると、人を表現した美術は極端に減少、ビザンティン美術は衰退の時代を迎えた。