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シルクロードの歴史4『中央アジアの遊牧民-前編-』
*天文学史に続いて中学生時代に作った書いた40ページくらいの短い奴です。改行などの部分は直していますが細かい部分は修正していません。悪しからず。
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シルクロード貿易が発達したユーラシア大陸中部は、家畜の中で最も早く人や物を運べる馬の原産地でもあり、シルクロード誕生より遥か以前の前20世紀頃からすでにゴビ砂漠、アルタイ山脈、アラル海、カスピ海、黒海、キプチャク草原を通る、絹や馬、毛皮、武器、楽器、宝石などを輸送した貿易路、いわゆる「草原の道」というものが存在した。
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そこではスキタイに代表されるの騎馬遊牧民が工芸を行い、それを飼育している馬で輸送していたのがわかっており、その他にもバダフシャン地方の鉱山から採れたラピスラズリやスピエルなどの宝石がパミール高原を超えてヤルカンドやホータンなどまで運ばれ、それが中国に送られるという貿易路も存在していたとされる。
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また、ヤルカンドやホータンなどが存在するタリム盆地、現在の新疆ウイグル自治区に当たる地域では、前18世紀頃から前1世紀頃まで「タリム・マミー」と呼ばれるミイラ文化が存在しており、それらのミイラには赤毛なども多く見られ遺伝子的にもヨーロッパ系に近く、近年には彼らが残した碑文にインド・ヨーロッパ系の中でも早くに分岐して東に移住したとされるトカラ諸語が書かれていた事も判明している。
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ちなみにインド・ヨーロッパ語族とは元々、ロシアやウクライナ付近で話されていた言語の子孫の言語達の事で、ヨーロッパではドイツ語・英語・オランダ語・スウェーデン語などを含むゲルマン語、ロシア語・ウクライナ語・ポーランド語・セルビア語・チェコ語などを含むスラブ語、ラテン語・イタリア語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などを含むロマンス語、アイルランド語などのケルト語、そして其々独自の語派を成すギリシア語やアルメニア語などが話される。
また、アジアでもインド・ヨーロッパ語族に属すペルシア語、タジク語、パシュトー語、ソグド語、スキタイ語などのイラン語派、ヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語、サンスクリット語、マラーティー語などのインド語派が分布してた。
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彼ら中央アジアや南アジア、東欧などのインド・ヨーロッパ系の人々はシルクロードの歴史において非常に重要であったが、現在では中央アジアの部分はほぼ全てトルコ系民族によって置き換えられ、トカラ語やソグド語は滅んだ。
また、古代エジプト文明の遺跡では前11世紀頃の中国産の絹と思われる残骸が見つかっており、この時代すでに中央アジアのオアシスに作られた都市国家が中国の品を中東に売っていたと考えられるが、この絹が絶対に中国で養殖された絹かどうか、完全な証明が難しいので、いつ頃から中東と中国を結ぶ貿易が行われていたかというのは不明である。
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前8世紀頃、中国系の国家達が中央アジアの遊牧民達と接触すると、中央アジアから金が輸入されるようになり、おそらく、それまで翡翠の加工などを行なっていた職人達により、中央アジアから齎されたanimal styleという動物の描写を彫った金が作成され、この動物を象った金は北欧の遊牧民にまで作られており、特にスキタイ文化の象徴的な遺物の一つと言えるだろう。
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ちなみにスキタイとは現在のペルシア人、タジク人、パシュトゥーン人(アフガン人)などのイラン系民族、特に領土問題で有名な南オセチア共和国とロシア領の北オセチアに居住するオセット人や、アフガニスタンのパシュトゥーン人、パミール高原のパミール人などに近い民族であるとされており、その詳細については後編で触れることとする。