思い通りにしようとしないことが、心の安らぎをもたらす
朝目覚めると、足元で猫が伸びをして、寝るポジションを変えている姿が目に入りました。
心底気持ちよさそうな様子で、ただ「今この瞬間」を生きているのは間違いないなと確信するほど。
そんな一日のスタートを切ったあとに書き始めた今回の記事です。
人も、本来はそうやって自然に生きられる存在なのかもしれません。
でも現代を生きる私たちは、どうしても目に見える結果を優先して求めてしまいがち。
たとえば、ジョギングを習慣化すれば健康になれるかもしれない、というように「これをすれば、きっとこうなるはず」と、何かと何かを結びつけて考えてしまう。
「まだ人の少ない早朝にジョギングしたら気持ちよさそう」だからやってみよう、という人は少数派のような気がします。
それは、今抱えている問題を解決したいとか、将来困らないようにしておきたいという、とても自然な願いからくるものかもしれません。
けれど、結果だけを求める比重が重くなり、そのプロセスを楽しむことを忘れてしまっているように感じることがあります。
たとえば、誰かに親切にするとき「この親切は相手に伝わっているだろうか」「感謝されるだろうか」と考えてしまうことがあるかもしれません。
けれど、その親切な気持ちそのものには、すでに十分な価値があります。
また、一生懸命努力しているのになかなか思うような結果が出ないとき、それは単に、まだ目に見えない何かが熟している段階なのかもしれません。
季節ごとに美しく咲く花々や実をつける木々を見ていると、種は自分がいつ芽を出すべきか、どのくらいの大きさの花を咲かせて実をつけるべきか、そんなことを悩むことはありません。
ただその時々の環境に応じて、自然と成長していきます。
時には厳しい寒さや雨風に耐えることもありますが、それもまた成長の過程として受け入れているかのようです。
人の感情も、実は似たものなのではないかと感じます。
悲しいとき、寂しいとき、そんな感情が湧き上がってくるとき「こんなことを感じてはいけない」と抑え込もうとしたり、別のことで気を紛らわせようとしたりすることがあるかもしれません。
でも、風が通り過ぎていくように、感情もまた、ただそこにあることを認めてあげれば、自然と流れていくものと捉えられないでしょうか。
お天気の良い日、空を見上げると雲が風に流されるままにゆっくりと形を変えていきます。
それは決して無理なものではなく、とても自然な変化です。
私たちも、もしかしたらそんなふうに、実はあまり力まずとも生きていけるのかも...…
もちろん、これは「何もしなくていい」ということではありません。
むしろ、今この瞬間に必要なことは自然と見えてくるもので、それに気づいたときに行動すればいい、ということなのかもしれません。
たとえば、のどが渇いたと感じたときに自然と水を欲し、疲れを感じたときは、自然と休息を取ります。
同じように、人生の様々な場面でも、必要なことは自然と分かるようになっているのかもしれません。
学生の頃にボランティア活動で一緒になった、アクティブでステキなご高齢の女性がいました。
とてもお元気でハツラツとした感じ、一緒にいさせてもらえるだけでこちらの気分まで自然と明るくしてくれるような方でした。
その方の言葉で印象に残っているものがあります。
「若い頃は何でも思い通りにしようとして、かえって苦労した。でも年を重ねるうちに、あれこれ考えすぎずに目の前のことを一つずつやっていけばいいんだと分かってきたのよ」と。
私たちは、強くあろうとしすぎたり、完璧を求めすぎたりすることがあります。でも、時には力を抜いて、今の自分をただそのまま受け入れてみる。
そうすることで、意外にも物事がスムーズに運んでいくという体験をすることがあります。
それは、川の流れに身を任せて泳ぐように、自然な流れに乗って生きていくような感覚かもしれません。
こうして考えてみると、私たちの人生には、実はもっとシンプルで優しい道筋が用意されているのかもしれません。
それは、今この瞬間をただ受け入れながら生きていく道です。
そんな生き方も一つの選択肢としてあり得るのだと覚えておくだけでも、気持ちが少し楽になってきます。