2021/06/02 そうやって春日部ハルは無邪気に僕に問い掛けてくる
胸を張って好きなコンテンツがあるという方はブラウザバックをして下さい。こんな大人には、なるな!!!
読みはじめちゃったら最後まで読んで♡
キモヲタのヲタの部分が抜け落ちて「キモ」だけ残ってしまった、という言葉を度々耳にするようになりました。
この「キモ」とは年を取るに連れて体力や自由時間の低下などが理由で、好きなコンテンツを好きでい続ける事が困難になり、大人になり切れなかったけどオタクでもい続けられなかった人間を指す言葉です。
今まで1つの事にお金も時間も掛けてきた彼らは、就職し始めると高い確率でこうなってしまうと思います。もちろん「脱オタしたわ笑」と言っていてもオタクの性質はそう簡単に変わるものではなく。勿論コンテンツに掛けていた時間もお金も戻ってはきません。そしてオタク達は自虐的に自嘲気味に「キモ」だと自称するようになってしまいます。
例外も漏れもなく自分だってそうです。そんなつまらない大人になるもんか!なんて言ったってフィクションに対する体力が衰えてしまいます。そして残ったものはそう多くはありません。前後の関係上、限りなく0と聞こえているかもしれませんが、その限りではないです。かけがえない物や楽しかった記憶や友人は残るでしょう。オタクで良かったと思っていますし。
しかし無常にも時間が経てば自分は変わらなくたって周囲はどうしても変わっていきます。
人だってコンテンツだって諸行無常でとめどなく変化を繰り返して大人になっていきます。彼らには新しくやりたい事が増えたのでしょう。
そんな置いてけぼりの自分に「ねぇ、君はなにがしたい?」と言われても困ったことにやりたい事がありません。
何者にもなれず、目標のない人間には挫折も成功も存在しません。そういう人間になりたくは無くて絵を描いたり文章を綴っては、生産性のあるオタクだと言い聞かせていたはずなのに。
そんな問い掛けの幻聴は耳を反芻します。しかしフィクションの中のキャラクターは実在する人間を認識なんてせず、話を掛けてくることはありえません。問い掛けているのも、返答に困っているのも自分自身なのです。
最後に……
別になにも自分をカテゴライズする必要はないと思います。不必要だって言い切れます。しかしカテゴライズは名刺替わりになるでしょう。SNSでつながる上でBIOは重要な情報源です。
オタクだからってグッズ買わなきゃいけない、ライブに行かなきゃ行けない訳ではないです。オタクというハードルを下げて行きましょう。大人のハードルを下げましょう。悲観的な人生観は悲観的な人生を創ります。楽観的に生きていきましょう。
本当に最後の最後
思考を纏めるために書いた日記なので(何言ってるんだ……)という気持ちで読んでくれたのなら嬉しいです。言い訳がましぃなぁ……
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?