吊るされた男の見る夢
私は小学校低学年の時に精神を病んでしまい、今に至るまで心身が不調だったので、いわゆる『ふつう』の生き方が出来ずにきた。
これは成長期の多くの大事な時に不協和音として現れたように思う。
落ち着いて勉強をするような精神状態ではなかったし、人間関係も恐怖が伴って構築してこられなかった。
勉強は、学歴に響いてしまったけれど、私にとってあまり悩みの種にはならなかった。もう少し調子が良かったら、学歴を求めていたかもしれないけれど、それよりも人間関係を構築出来ないことの方が、深刻だった。
今回は、特に恋愛について書いておこうと思う。
家族に対して信頼を持てず、他人には興味と恐怖が葛藤して、自然になることが到底できなかった。
年頃になれば好きな男の子もできたけれど、必要以上に緊張や恐怖があって、せっかく友達にまでなれても、いまひとつ彼氏をつくるには至らなかった。
家に引きこもっている間に、あっという間に成人してしまった。
家にはいつも専業主婦の母がおり、多くの時間を母と過ごした。
母は励ましもしてくれたけれど、色んな呪いもかけた。
「あなたは、純粋無垢の、穢れを知らない天使みたいな子。」
浮いた話の無い私を励ます気持ちもあったと思う。
母本人にしたら褒め言葉かもしれない。
だけどこれは後々に呪いになってしまった。
私には7歳年上の姉がいる。
母は何かあるたびに姉と私を比較して、姉をけなすことで私を持ち上げ、励ましとコントロールの両方をかける癖があった。
恋愛下手でモテないなりに彼氏ができていた姉を『不潔な女』と表現して言っていた。
誰かと付き合うことなんて、ごく普通のことだし、母だって誰かと付き合ったり父と結婚したりして私が生まれているのに。
『恋人が出来ないことを、気にしなくていいのよ』という意味もあったのだろうことは重々わかっているけれど、それを言うために、姉が誰かと付き合うことを不潔に言うのは、どう考えたっておかしかった。
母の気持ちも少しだけわかる
だけども母は母で、夫にモラルハラスメントを受け、時に暴力され、夫を嫌悪し、家庭の中で寂しい思いをしていて、男女関係について怒りを抱いていたのだと思う。
その怒りや寂しさを『自分の産んだ子供』で埋める人だった。
これは度々、私に対して「あなたが経済的に自立したら、お母さんはついていく」という言葉になっていた。(いつまでも叶うことはなかったけれど。)
私は母と過ごす時間が長いから、父の色んな酷い話を聞いた。
成人するまでに腹の底から父を憎む娘になっていた。
母としては、私が『自分の味方』として見えていたのかもしれない。
いっぽう姉は「それでも父の稼ぎで専業主婦出来て、働かずに生きているのだから」と言う人だから、母としては良い気がしなかったのだろう。
母は姉に対して、娘として愛情はあるだろうけれど、『自分の味方をしてくれない娘』というだけで苛立ちがあったのかもしれない。
それが私に対する「あなたは穢れを知らない天使のような子で、あの女とは違う」という言葉になってしまったのだろう。
私はただ、単純に、出会いもなければ出会う勇気もなかっただけ。
それだけ。
私は病気で外に出られなかったから、結婚なんて飛躍した夢だった。
時間はあるけどチャンスはなかった。
ほんとは、ほんとは、信頼できる人と、いつか結婚して、ほのぼのと生きていたかった。
何より、この家から出たかった。
私に自立する自信や勇気、力があったなら、母の呪いの言葉なんて突っぱねて、もっと自由に生きていけたと思う。
だけど大事なところで不調になり、思う通りに体も心も動いてはくれなかった。
仕事をしてお金を稼ぐことができたら、誰かに何か言われても、へっちゃらでいられたと思う。
いつもそう思ってる。
今でもそう思ってる。
母も、経済的に自立する力があったなら、選択は多かっただろうし、父に恐怖しながら生きる必要も無かった。
離婚したくても、母は実家に「帰ってきてもらっては困る」と言われていたようで、帰る場所なんて無かった。(離婚は今ではごく普通のことですが、当時では大変に体裁が悪く堂々としていられなかった)
もしも自立する力があったら
いくら『もしも』のことを言っても過去は変えられないけれど、『もしも自立する力があった』なら、母も私も、自由に恋愛して、自由に結婚できたと思う。恋愛や結婚をしない選択もある。恋愛・結婚に限らない。
力があれば、自由になれる。
母のことを悲しい女性だと思うし、歪んだ形でしか愛せない父も悲しい男性だと思う。
世の中の女性がだんだん自由になってきて、力をつけて社会進出したことは女性一人一人としても良いことだし、負の連鎖を断ち切るためにも、良いことだと思う。
女性も男性も、また性別を超えて、自由になれる。
大切なのは、より多くの選択肢があること。
固定観念に縛られて、身動きが取れなくて、自立ができないことは本当に苦しい。
これは本人だけの問題ではない。
固定観念は隣にいる人にも確実に伝搬し、社会全体に、そして未来にまでも影響を与えていくことを、私は知っている。
理想を語るのは簡単だし、自分が次に何をすべきかも暗中模索で、恐怖にまかせて保身になってしまうことはよく自覚しています。また自分の存在が弱く小さいものだとも理解しています。
それでも
それでも私の経験が、もし誰かの心に届いたなら、何かを感じてくれたらいいなと思いました。
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