好評御礼!『宗教の起源』試し読み第2弾
白揚社新刊『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』は、おかげさまでご好評いただき、早くも2刷、3刷と重版が決まりました!
そこで今回は試し読み第2弾として、本書の全体像がつかめる「はじめに」をお届けします。
少々ボリュームはありますが、ぜひ最後までお付き合いください!
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はじめに
人類の歴史が始まってから、宗教はつねに重要な営みのひとつだった。民族誌学や考古学で実在が確認されている文化には、形はどうあれかならず宗教が存在している。数世紀前からは、宗教と一線を画す世俗社会が世界の主流となってきたが、それでも信仰心があると自負する人びとが、宗教の儀式を積極的に行なっている。宗教といっても、形式、流儀、規模はいろいろだ。カリスマ指導者と数百人程度の信奉者がつくる小さなカルトもあれば、世界中に何千万人、何億人と信者がいて、国ごとに拠点を持つような組織もある。仏教のように、救済されるかどうかは自分しだいという個人主義的な立場の宗教もあれば、もっと古いアブラハムの宗教[1]のように、集団が一連の儀式を遂行することが救済につながると考えるものもある。またユダヤ教のように、明確な死後の概念を持たない宗教もわずかにある。キリスト教とイスラム教は全能の唯一神[2]を信奉するが、ヒンドゥー教や神道は大小さまざまな神々を一堂にまつる。仏教のように、少なくとも正式にはいかなる神も信じない宗教も少しは存在する(ただし仏教のほとんどの宗派では迷える凡夫に配慮して、菩薩[3]という仏に準じる存在を拝むことを認めている)。
他者と関わりながら道徳的に生きることが正しい道だという考えは広く見られる。いっぽうでヒンドゥー教やジャイナ教の一部の禁欲主義者は、虚飾をすべて捨てさり、衣服さえも排除しないと救済は得られないと信じている。キリスト教の歴史においても、ローマ帝国時代終盤のエジプトに出現したアダム派は、全裸で儀式を行なったという[4]。ロシアにはその名も去勢教というさらに過激な一派があって[5]、エデンの園時代のアダムとイヴ本来の状態を回復すると称して、女性の乳房と性器、男性の陰茎と睾丸を熱した鉄ごてで焼ききっていた。このように宗教は驚くほど多様であり、一見すると支離滅裂だ。創意と想像力の許すかぎり何でもありで、部外者からすると全体を貫く主題があるようにも思えない。
もちろん宗教は近代に始まった現象ではない。人間ははるか昔から、死後に生きる世界があると信じていたようだ。死後に使う副葬品を墓に入れる習慣は、およそ四万年前から少しずつ定着していった。なかでも目を見張るのが、ロシアはモスクワの東にある約三万四〇〇〇年前のスンギール遺跡だ。クリャージマ川に面する小さな土塁の近くに、墓が集まった場所がある。そのなかには一〇~一二歳の二人の子どもを、頭をくっつけるようにしていっしょに埋葬した墓がある。この時代のヨーロッパとアフリカに多く見られた墓と同様、この墓もひときわ手のこんだ豪華な埋葬がされており、二人がこれからも別の世界で生きつづけると信じていたことがうかがえる。
この時代の埋葬によく見られる特徴として、子どもの骨は真っ赤に染まっている。レッド・オーカーを身体にたっぷり振りかけてあるのだ。レッド・オーカーは赤鉄鉱を含む岩石からつくられる顔料だが、細かくすりつぶすのはたいへんな労力だ。それでも、死後の遺体に重大な役割を果たすと思われていたから、手間を惜しまなかったのだろう。さらに骨の上には、マンモスの牙からつくった約五〇〇〇個のビーズが残っていた。ビーズの形にして穴を開け、子どもたちに着せる服にひとつずつ縫いつけるには、高い技術と途方もない時間が必要だったはずだ。ホッキョクギツネの歯を約四〇本つなげた輪は頭飾りの一部だったと推察される。腕には象牙の腕輪もはめている。喉元にある骨製のピンはマントの留め具だったのだろう。男子と思われる年長の骨のほうは、キツネの歯を二五〇個つなげたベルトも腰に巻いていた。遺骨の周囲には、彫刻をほどこした象牙の槍が全部で一六本置いてある。長さは四六センチメートルから二・四メートルまでいろいろだ。さらにレッド・オーカーを詰めた人間の大腿骨が一本、末端に錐で穴を開けたシカの角、模様が刻まれた象牙の円盤数枚、動物をかたどったペンダント、マンモスの彫り物もあった。要するにこの二人の死を周囲は深く悼み、贅を尽くした衣装を遺体に着せ、何千時間もかけてこしらえた品々を副葬品として墓に入れてやったようだ。財産を持たない者からすれば、気前がいいにもほどがある──だがそれは、ひとえに子どもたちがあの世で使うと信じていればこそだった。
こうした埋葬の様子からは、死後の世界の存在を信じていたことしかわからないし、それもあくまで間接的な証拠だ。これだけでは、共同体がどうやって宗教を実践していたかについてはまるでわからない。人びとがまつる神は複数だったのか、それとも地上と霊界を支配する絶対神だったのか。祭壇の前でひざまずき、祈りを唱える祭司のような者がいたのか。行動は化石で残らないから、どんな儀式を行なっていたかも推測するしかない。
古代の埋葬例からは、根本的な疑問が浮かびあがる──私たちは何をもってして「これは宗教だ」と認識するのか。ここでひとつ問題になるのが、私たちの宗教観が、ここ数千年に主流となった、教義主体の啓示宗教に色濃く影響を受けているということだ。それは仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など片手で数えられるほどしかない。いずれも精緻な教義を軸として、死後世界を信じ、祈祷や典礼、ときに供犠をともなう複雑な儀式を行ない、特定の文化を背景としている。だがこれらの啓示宗教は、いまでこそ信者の数で圧倒しているが、歴史においてはたかだか数千年の新参者だ。いまも続く世界宗教のなかで最も古いのはゾロアスター教とされており(現代ではインドでパールシーと呼ばれる人びとが信仰している)、紀元前一千年紀〔前一○○○~前一年。千年紀は一○○○年を単位とした時代区分。百年単位の世紀に対していう〕、もしくは紀元前二千年紀のどこかでペルシャの預言者ゾロアスター(ザラスシュトラ)が創設したという。その歴史だけでなく、ほかの世界宗教への影響力という点でもゾロアスター教は傑出していた。しかし、いかんせんこうした啓示宗教は、人類が過去に信仰し、一部はいまも続いている多種多様な宗教を代表する存在ではない。
宗教の定義は、宗教研究において最も激しく議論されてきた題目だ。なかには宗教という概念そのものが、啓蒙主義以降の西欧を特徴づける、特殊な思考様式の産物だとする過激な意見もある。この時代を支配していたのは、肉体と魂を分けて、人間がいる地上世界と、神のいる霊的世界に一線を引くキリスト教的二元論だという[6]。しかし多くの小規模な民族誌的(部族的)社会においては、霊的世界も人が生きる世界の一部だ。あらゆる局面に霊が宿っており、けっして別世界ではない。霊も人間と同じ世界にすみ、壁を通りぬけたり、人間の運命を左右したりするが、実体を持つことに変わりはない。特定の文化が持つ信仰や儀式の慣習を調べることは可能だが、できるのはそこまで。別の文化の宗教との関係までは掘りさげられない。なぜなら文化ごとに、目に映る世界の姿はまるで異なっているからだ。その意味で私たちはただの観光客だ。見物して感想を述べ、ときに感心もして、旅の雑感を残す以上のことはできない。
個人的には、そこまで悲観的にならなくてもと思う。これでは探究も始めないうちに可能性を放棄しているし、究極的には独我論[7]に陥って何も生みださない。対して科学は、目に見える世界をそのまま受けとめる。途中の解釈が誤っていても、さらに知識を獲得していく過程で修正される。そして知識は、観察と、理論や考えを実証可能な事実に照らして検証することによってのみ得られる。詰まるところ、多くの宗教学者は自らが信仰するアブラハムの宗教の視点からこのテーマを論じてきたために、人類が積みかさねてきた豊かな宗教経験の多くを見すごしてきたのだ。だからといって、宗教経験の本質を議論しようとすることすら不可能だといってしまうのは、まったく的外れな話なのである。
たしかに現実世界のさまざまな現象と同じく、宗教もつかみどころがない。そういう漠然としたものの定義を考えるとき、「連帯して正しい」という表現をする。どんな例に対しても、定義のどこかの部分がかならず当てはまる。ただしどの部分が該当するかは、例によって変わってくるということだ。これは良い方法だ。定義の細かいところをめぐって、大仰な主張を延々と展開しなくてすむ。理解したいのはあくまで現実世界の現象であって、定義ではないのだ(定義は頭のなかにしか存在しない)。ということで、宗教の構成要素は思いきり広くとらえることにして、それでどこまで行けるかやってみよう。
これまでの宗教の定義については、二つの大きな流れがあると考えていいだろう。ひとつは一九世紀に活躍した社会学の父、エミール・デュルケームに始まったものだ。宗教を道徳的共同体──同じ一連の信念を共有する集団──で実践される慣行体系と位置づけて、人類学的な立場から、儀式などの慣行が果たす実用的な役割を重視する。宗教は「行なうもの」という考えだ。もうひとつはより哲学的、心理的な視点から、宗教を包括的な世界観ととらえる。共同体のなかで、さしたる証拠もなく受けいれられている一連の信念であり、この場合の宗教は「信じるもの」である。
両者は正反対の定義のようだが、どちらも正しく、信念と儀式がそれぞれ宗教の異なる側面を表わしていると受けとるのが、より現実的な解釈だろう。両方を高く掲げているか、どちらかだけか、両方とも軽視しているかは、個々の宗教によって異なる。いっぽうが正しく、もういっぽうは誤りという話ではなく、宗教という多面的な現象で、別個の側面に注目しているだけの話だ。
ある意味これらの定義は、以前は「アニミズム」宗教(起源もたどれないほど古くから存在した普遍的な宗教形態)と呼ばれていたものと、数千年前から登場した教義宗教または世界宗教とのあいだに、宗教史家たちが引いた一線と対応している。二つを区別するのは、儀式か信念か、行動か思考か、ということだ。一九世紀アメリカの偉大な心理学者ウィリアム・ジェイムズは、これらをそれぞれ「個人的宗教」「制度的宗教」と表現した。そして両者を統一するのが、すべてではないがほとんどの宗教が、見えない生命の力の存在を認めているという事実だ。その力が私たちの生きる世界に影響をおよぼし、ひいては私たちの生活にも影響を与えると考える。
以上を踏まえて宗教を最小限に定義するならば、霊もしくは力が存在する超自然的世界に対する信仰、ということになるだろうか。この超自然的世界は、目に見える物質世界と一致することもあればしないこともあるし、そこにある霊や力は、私たちが生きる物質世界に関わって影響をおよぼすこともあれば、そうでないこともある。この定義であれば、神の存在を信じていない仏教も含めて、世界宗教はすべて含まれる。宇宙の見えない中心に神秘の力が存在して、私たちの生活を動かしているというニューエイジなど、実際には宗教と呼べないようなあいまいな運動も当てはまってしまうが、とりあえずはよしとする。こうした擬似宗教については、本物の宗教を理解し始めたところで、あらためて検討していこう。
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総じて宗教は難問だが、この本ではとくに基本的な二つの問題を考えていきたい。
ひとつはその普遍性だ。宗教らしき形式を持たず、人智がおよばないものをいっさい信じない文化は、ほぼ存在しないといっていい。いまの世界は世俗化が強まる傾向にあるが、それでも宗教信仰は根強く残っており、いくら弾圧されてもしぶとく続いている。一九世紀フランスの実証主義哲学者たちは(博識家ピエール=シモン・ラプラスや、哲学者オーギュスト・コントの先導で)、宗教はおおむね迷信であり、教育の欠如の産物だと考え、科学を中心とする普通教育が行きわたれば、最終的に宗教は消滅すると主張した。革命後のロシアでは、宗教を禁止して国家無神論に置きかえようというさらに過激な試みが行なわれた。教会の財産は没収され、信者はいやがらせを受け、宗教は嘲笑された。のちに共産党体制の中国でも宗教は非合法化され、聖典を持っているだけで犯罪者になった。モスクや歴史ある仏教僧院はブルドーザーで破壊され、宗教的少数派は不当に扱われて「再教育」施設に送られ、聖職者は投獄の憂き目にあった。しかしどんなに徹底的な弾圧を受けても、宗教や信仰は地下に潜伏して存続し、制約がなくなればすぐに息を吹きかえす。どうして人間はこれほどまでに宗教を信じようとするのだろう。
もうひとつの疑問は、なぜ宗教はこんなにたくさんあるのかということだ。ひとつあればよさそうなものだが。宗教が時代とともに分裂していく傾向は、今日も新しい宗教運動が次々と生まれていることから明らかだが、既存の世界宗教もすべて、同じ分裂の過程に直面してきていまも直面している。ときには分かれた一派が勢いを増していき、独自の宗教に成長することもある。キリスト教とイスラム教が、ユダヤ教から派生したことはよく知られているし、シク教(一五世紀に北インドの諸宗教から発展した)やバハイ教(一九世紀にイスラム教シーア派から分かれた)もそうだ。ただ妙なことに、誰もが分裂した事実を当たり前のように述べるだけで、そこにはなぜすぐ袂を分かつのかという問いかけがない。世界宗教の多くは、自分たちこそ真の宗教だと信じているが、もし真の宗教がすでに啓示されているのであれば、なぜ人びとはそれに納得せず、ついには別の宗教を立ちあげるようなことをするのか。
この本では、主にこれら二つの疑問に対する答えを探っていく。ひとつは信念、もうひとつは歴史に関するものだから、まったく別の疑問のようにも思えるが、くわしく見ていけば、実は密接な関連があることがわかるだろう。どちらも宗教が先史時代の社会に果たしてきて、いろいろな形で現代社会にも果たしている役割、もしくは機能に関係しているからだ。まずは二つの疑問にどう取りくむのかを大まかに説明しておこう。便宜上、具体的な研究や主張の出典は、註と参考文献にまとめている。さらに参考文献には、特定の問題に関する文献のほかに、より全般的な情報源も収録した。
第1章では、宗教の発展と、宗教の研究に用いられてきた手法について、歴史的な視点で見ていく。続く二つの章で議論の土台を据える。なぜ人間は宗教を信じる傾向にあるのか、宗教を信じることがなぜ実際に有益なのか──この二つをそれぞれ少し変わった切り口で考えていきたい。前者の軸となるのは、人智を超えた世界を信じたがる人間心理、いわば「神秘志向」であり、そこに宗教の起源があるというのが私の考えだ。後者に関しては、進化論を重視する人たちにはひっかかりがあるかもしれないが、宗教を信じることは個人の利益になると私は考えている。たしかに宗教は人を健康にする可能性があり、実際に効果も認められているが、あいにくそういうことではない。本当の利益は社会レベルで存在し、宗教によって共同体の結束が強まれば、組織が有効に機能するようになり、ひいては個々の構成員の利益になるという話だ。
これは続く第4章でくわしく見ていく、人間の共同体の性質の話につながる。共同体の規模は実際のところとても小さい。私たちが維持できる社会集団の大きさには限界があり、それが宗教の信徒集団や共同体の大きさにも関係してくる。第5章はそれを心理学的に説明し、社会的結束の基盤となる神経生物学上の仕組みを紹介する。第6章では、共同体の絆を深める過程で宗教儀式が果たす役割と、第5章で触れた神経心理学的な仕組みがいかにそれを支えているかを探っていく。
宗教的性向とその働きを理解する枠組みが整ったところで、第7章では人類の進化のなかでこの宗教的性向がいつ出現したかという、歴史的な疑問に立ちかえる。神秘志向について神経心理学的側面からわかったことを考えると、この疑問については従来では考えられなかったほど正確な特定が可能になった。ここまでは本質的にシャーマニズム宗教と呼べるもので、その時代は数十万年にわたって続いた。第8章では、約一万年前の新石器時代の到来によって一連の人口変動が生じた結果、教義宗教が誕生した背景に迫る。人びとが密集した環境で暮らす大規模な共同体での生活は、こうした形態の宗教があったからこそ可能だったと私は考える。第9章ではカルトやセクトをめぐるより一般的な現象を取りあげ、宗教の歴史とカルトの起源におけるカリスマ的指導者の役割を見ていこう。最後の第10章では、なぜこれほどたくさんの宗教が存在するのかという疑問に戻る。その答えはこれまでの章で学んできたように、社会の結束を強める過程で宗教が果たす役割と、カリスマ的指導者の性質にある。
この本で私が採用した手法は、従来の宗教研究とは多くの重要な点で異なっている。伝統的な宗教研究は、神学に注目するか(この宗教は何を信じるのか)、歴史に注目するか(この宗教はどんな経緯で生まれたのか、以前のどの宗教に影響を受けているのか)のどちらかで、近年は認知科学や神経心理学から宗教的行為に関心を向ける動きも出てきている。ここでもときおりそうした話題に触れるが、この本の主眼ではない。宗教を論じる際に不可欠とされる領域もあえて素通りしているが、それも承知のうえだ。宗教研究で取りあげられることが少なかった論点に踏みこむことが、私の最大のねらいだからである。それによって、人間はなぜ、そしてどのように宗教を信じるのかを説明する包括的な理論の土台が築かれ、この分野にひしめきあう無数の主張を統一する足がかりになるのではないかと思っている。
[1]旧約聖書の預言者アブラハムを共通の祖とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の総称。
[2]一神教はアブラハムの宗教のほかに以下のようなものがある。シク教、ゾロアスター教、ヤズディ教、ドゥルーズ派、マンダ教、バハイ教、ラスタファリ運動、古代中国の上帝信仰。ナミビアのヒンバ族、ナイジェリアのイボ族、アフリカ北東部のクシ語系諸族も一神教を信仰する。
[3]仏教の二大宗派のひとつである大乗仏教では、菩薩とは悟りを開いて仏になる最終段階まで到達していながら、人間にかぎらず悟りのために苦心する衆生を助けるために、あえて先に進まないでいる者を指す。
[4]アダム派の儀式ではかがり火のまわりを裸で踊っていたという──この儀式は19 世紀に魔女の集会でよみがえった。アダム派は2 世紀から4 世紀まで200 年近く続き、中世ヨーロッパに出現した多くの教派がそのやりかたを踏襲した。たとえば15 世紀のボヘミアを拠点としたタボル派、オランダの自由心霊兄弟団は、堕落する前のアダムとイヴの無垢な状態に戻ることが救済につながると信じ、人前でも全裸でいることを提唱した。
[5]この教派は1740 年代に誕生し、1940 年代まで続いていた。ただし去勢の慣習は1900 年ごろにすたれたようである。
[6]二元論を構成する要素はそれ以前の哲学にも見られたが、この概念は17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトと結びつけられることが多く、そのため一般に「デカルト二元論」と呼ばれている。
[7]自分自身の心のほかには何も存在しないという哲学的な考えかた。
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