0210_7つの人類化石

「科学標本」から「メディアの寵児」へ―『7つの人類化石の物語』試し読み


国家の英雄になった化石、カルチャーアイコンになった化石、悪名高い捏造化石……なぜこれらの化石は、科学界を超えた「有名人」になったのか? 数奇な運命をたどった「人類化石」のドラマに焦点を当てた、異色ノンフィクション『7つの人類化石の物語』より、「はじめに 有名な化石、隠された歴史」をお届けします。 

■ ■ ■

有名な化石、隠された歴史

 私が初めて「有名人」に会ったのは南アフリカのヨハネスブルク、南半球の冬にあたる六月のことだった。

 当時私は学部生で、南アフリカで古人類学の課外授業を受講していた。古人類学の夏のカリキュラムの一環として、ウィットウォーターズランド大学の著名な科学者フィリップ・トバイアス教授が同大学で開いた講義に参加していたのだ。トバイアス教授は大学の化石保管庫からよく知られた化石標本をいくつか出してきて、それらを赤いベルベットで覆った木製のトレイの上に載せて披露してくれた。私たち学生が部屋に入り、席につこうとしているあいだ、化石はまるで私たちの査定を待つ希少な宝石のようなたたずまいを見せていた。それらの化石の模型は見たことがあったが、目の前にあったのは正真正銘の本物だった。

 トバイアス教授は小柄で痩せた男性で、白髪はていねいに櫛で整えられ、ネクタイもまた注意深く結ばれていた(私は身長一六三センチほどだが、それでも教授を見下ろしているように感じた)。糊のきいた白衣に身を包んだ教授は、部屋に到着すると、手に持っていた小さな木箱を作業台の端のほうに置いた。講義の序盤は、南アフリカで発見されたいくつかの有名な化石人類(つまりヒトの祖先)の説明だった。前に置かれた人類化石を手にとり、ひっくり返しながら、その解剖学的な特徴を解説する。それを終えると化石を再び慎重にトレイに置いた。生真面目な教授の性格と、科学者としての威厳が醸し出された所作だ。目の前で披露されている化石は何十年もの研究の成果であり、人類進化の謎を解き明かすうえで南アフリカが果たしてきた重要な役割を示すものでもある。それぞれ異なる化石に関するストーリーが、一つになってよどみなく流れる。トバイアス教授がこの講義をそれまで何度もしてきたのは明らかだったが、学生たちにとっては初めて聞く話だ。話に引き込まれた。

 化石のなかでもとりわけ全員の目を釘づけにしたのが「タウング・チャイルド」だ。古人類学界での来歴よりも、発見にまつわる歴史のほうがよく知られている化石である。一九二四年に発見されて以来、タウング・チャイルドのストーリーには数々の英雄や悪党、仮説、つまらない争い、そして「科学的真実」の探求が盛り込まれてきた。化石を発見したレイモンド・ダート博士の粘り強さは以前から認められている。この化石がヒトの祖先のものであり、化石類人猿の異常な個体ではないというダートの主張は、二〇世紀初めの科学界の常識と相反するものだった。その主張がようやく科学界で認められると、化石の解釈に対する彼のかたくなな態度は、優れた科学研究が懐疑派の厳しい批判にさらされても最後には立証されることを示す好例として、古人類学界で語り継がれるようになった。

 話を化石の披露の場面に戻そう。トバイアス教授はテーブルの隅に置かれた木箱に近づき、目を輝かせながら、それを自分のほうへ引き寄せた。ゆっくりした動作で学生をじらし、期待をふくらませたところで、教授はようやく大げさなしぐさで木箱を開けた。そして、うやうやしく取り出したのは、ちっぽけな頭骨と下顎骨だ。骨は小さくて優美な曲線を描き、教授のごつごつした手の中にすっぽりと収まっていた。この木箱はレイモンド・ダートがウィットウォーターズランド大学で何十年もこの化石の保管に使っていたのとまさに同じものなのだと、教授は説明した。トバイアスの指導教官だったダートがバクストン石灰岩採掘場から届いた角礫岩が入った箱の中から化石を発見したことを語り終えると、教授は二つの化石を組み合わせて、タウング・チャイルドの小さな顔に下顎を収めてみせた。

 化石は私たち学生を見定めるように見つめている。するとトバイアス教授は、化石の小さな顎を上下に動かし、前歯をカチカチ鳴らしながら、コメディーのような芸を披露してくれた。事前にみっちり練習したのだろう。タウング・チャイルドがいくつかジョークを放ち、天気について話し、よき友であるレイモンド・ダートと過ごした古人類学の黎明期についていくつか知見を語るというものだ。腹話術のようなこの芸に、学生たちは衝撃を受け、教室は静まりかえった。

 トバイアス教授が化石の歴史的な重要性について語ったときに教室全体を包んでいた畏敬の念は、場違いだったように思えてきた。私たちのような熱心な学部生にとって、その芸は俗っぽい喜劇のようだった。トバイアス教授のような尊敬すべき人物が、タウング・チャイルドほど有名な化石をあのように扱うなんて?!? 貴重な化石の見せ方としてふさわしくないように思えた。あの化石は保管庫に収蔵しておくか、博物館のガラスケースの中に展示しておくべきものだ。生真面目な人物がお笑いコンビのコントのオーディションを受けているような場で披露すべきじゃない。

*  *  *

 二〇世紀にはヒトの祖先を探求する調査が四つの大陸に及び、数多くの化石が発見された。そうした人類化石のほとんどは博物館のコレクションとしてひっそりと保管され、専門家の研究対象になっているが、タウング・チャイルドやルーシーといった少数の化石は世界的に名を知られる「有名人」となった。そうした化石は博物館の棚や標本番号の世界とはかけ離れた日々を過ごしている。専門家以外の人々にサイエンスの魅力を伝える大使のような存在だから、科学的な発見としての地位を超えた文化的な評価を十分に受けているのだ。ここ一〇〇年かそこらの古人類学調査で、研究上の疑問や科学界のパラダイムだけでなく、科学研究の手法も大きく変化したが、有名な化石は依然として文化の枠の中にとどまっている。名声と重要性を獲得したということはつまり、これらの化石人類がその科学研究の総和以上のものであるということだ。人々が科学的な発見と接するうえで重要な役割を果たしている。

 しかし、有名になる化石とそうならない化石を分けるものは何だろうか。ニックネームを与えられ、博物館に展示され、さらにはツイッターのアカウントまで取得した人類化石がある一方で、ほかの化石は博物館の引き出しに保管されるだけなのはなぜか。こうした疑問への答えが化石自体の文化のなかでの物語に大きく依存しているとしたら、それはどうしてなのか。「骨格や遺体が語るのはストーリーの一部である。骨は無口だ」と人類学者のコパノ・ラテレは述べている。「それについてのストーリーを語らなければならない。講義のテーマにする、解説する、崇拝する、検索する、修復する、記念する、アーカイブする、絵に描く、撮影する、表現してその意味を再発見する、といった行為が必要だ。知識はそれらにもとづいて構築しなければならない」

 なぜ一つの化石が広く知られるようになったかを理解するには、その化石が何なのか、どこから来たのか、そして、それがどんな時代や環境を生きていたかを理解することが重要だ。言い換えれば、化石をそれ自身の文化史のなかに置き、博物館やアーカイブ、メディア、人々の視点(化石が発見されたあとの無数の相互作用)から「伝記」を構築しなければならない。

*  *  *

 どの化石のストーリーにも生と死がかかわっている。化石というのは、植物や動物が一生を終え、その亡骸(動物ならば骨)が地層の中で何千年、時には何百万年も保存された末に生まれるものだ。どのような環境でも化石がうまく保存されるとは限らない。保存に適した地層や環境があり、そのような地域は化石を発見する可能性がほかよりも高いので、研究者に重視されている。化石の保存に適した岩石(たとえば石灰岩は化石をとりわけきれいに保存してくれる堆積岩)があるだけでなく、生き物が死んだあとにその化石の周辺を保存しやすくするような環境もある。周りの岩石や環境を理解しなければ、つまり化石を発見するだけでなく、それが置かれていた環境を適切に説明できなければ、化石を正しく解釈することはできないのだ。化石人類(現代のホモ・サピエンスと進化の上で近縁な絶滅種)はとりわけ発見が難しく、その解釈も複雑になることがある。

 化石、特に化石人類の発見という営みには、長く入り組んだ歴史がある。ほとんど偶然見つかった化石もあれば、綿密な発掘調査によって発見された化石もあった。化石人類の化石が初めて発見されたのは一九世紀だが、そうした初期の発見で化石が系統立てて発掘された事例はほとんどない。ヒトの祖先探しが本格化したのは二〇世紀初めのことだ。研究者が発見した人類の化石は新聞の紙面をにぎわし、博物館で展示され、ときどきパロディーのネタになった。現代でも、人類化石の発見は珍しいし、そこにいたる過程はさまざまだ。野外調査で偶然見つかった化石も多い一方で、一人の研究者の研究課題に適合する場所に調査地域を絞り込み、特定の地域の一つの現場で何十年にもわたる系統的な調査の結果、ようやく発見された化石もある。あるいは、過去に化石の出土事例があった現場でも、研究者たちがその地域や現場で化石を発見するのに何年もかかることもある。

 とはいえ、化石人類の発見は、その化石が進化でどのような意味をもっているかを理解するうえで最初の一歩にすぎない。化石は野外で発見されたあと、その研究プロジェクトに取り組む研究室や博物館に移されてクリーニングされ、標本番号を割り当てられて、コレクションの一部となる。そして、研究者によって研究され、ほかの似たような化石と比べられる。大きさを計測され、写真を撮影され、分析が行われる。化石を比較する技術の一部は二〇世紀前半から現在までに変化しているものの(顕微鏡用のスライドでの観察からCTスキャンに変わったのがその一例)、比較というのは新たに発見された化石を記述するうえで今でも基本的な作業となっている。一九世紀後半に発見されたネアンデルタール人の化石から、二一世紀に入って新たに記録されたデニソワ人の化石まで、すべての化石は記述され、それぞれのコンテクストに当てはめなければならない。この段階でのコンテクストとは、化石が出土した地質(堆積層や岩石層の種類)のほか、化石とともに出土した石器やビーズ、顔料などの考古学的な遺物のことだ。

 こうした初期段階の研究が学術誌で発表されたあとに化石がたどる道筋は多種多様だ。単に博物館や研究室の棚や引き出しにしまわれる化石もある。そうした標本は研究が続けられ、将来の科学研究にとって貴重な知見をもたらすだろうが、データの表の一部として記述されるだけで、ほかに類例のない独特な化石として扱われることはない。一方で、博物館や研究室で使うために模型が制作される化石もある。こうすることで、本物の化石をほかの場所に送ることなく、ほかの研究者が標本を参照しやすくなるのだ。一部の化石はメディアで取り上げられて脚光を浴びる。とりわけすばらしい発見の場合、発見者が記者会見を開いて、一般向けに化石を紹介することもある。その人類の外見を想像してつくられた復元模型が、博物館で展示されることだってある。科学研究は続けられるが、化石が過ごすこうした「第二の人生」はあらかじめ決まっているわけではなく、さまざまな要因に左右される。一部の化石が、古人類学の歴史の重要な瞬間を照らし出す存在になるのはこの段階だ。文化の世界で古人類を考える基準、いわば「文化的な試金石」となるのだ。ほかの化石が決して獲得しえない名声である。

*  *  *

 学部生時代にタウング・チャイルドを目の当たりにしたときのことを思い返してみると、トバイアス博士があの化石を使ってコメディーの持ちネタを披露するのを見た学生や科学者、研究者、訪問者は数多くいたのではないかと考えてしまう。生前のトバイアス博士がタウング・チャイルドを箱から取り出し、歯をカチカチいわせるのを目撃したこと(そして、その芸の話を語ること)は、化石の発見や科学的な議論について文献で読むのと同じくらいの重みをもつ、化石の来歴の一部だ。タウング・チャイルドの独自性や歴史にとって、この独特な体験は科学論文や博物館の刊行物と同じくらい欠かせないものである。

 化石の重要性とはその科学的な価値からのみ生じるものだと考えられがちだ。確かに、科学的な重要性は化石の名声を生む理由の一つではあるのだが、理由はそれだけではない。「最初の」「最大の」「最古の」といった言葉が付くために有名になった化石もあれば、それにまつわる謎や陰謀で広く知れ渡った化石もある。偶像視されるようになった化石、捏造された化石、そして、忘れ去られた化石。文化批評家のダニエル・ブアスティンの言葉を借りれば、単に有名だからというだけで有名な化石もある。とはいえ、どの有名な化石も根本的にはそれを見る多様な人々によって形づくられ、見る人や背景が変わるにつれて、化石の名声の性質も変化していく。どの有名な化石にも、科学と文化、歴史が交錯して名声が生まれる転換点がある。有名な化石の運命はその文化的な起源(その背景と歴史)のなかで決まっていくのだ。

 それがとりわけよく当てはまるのは、化石人類などの化石が擬人化されていく過程である。名声を獲得する過程で、化石標本は単なる有名な物体(「それ」と呼ばれるもの)から、「彼」や「彼女」と呼ばれるものへと変化する。ニックネームや個性が与えられ、それらは化石がもつ歴史的、物質的、心理的な要素を文化のなかで簡潔に言い表す言葉となる。名前や代名詞を与えるだけなのではあるが、私たちはそのことを通じて化石に力や好ましさ、さらには道徳的な側面を実質的に与えているのだ。「名声は人に知られることによって作られ、マスコミによって刺激され、補強される」とブアスティンは主張している。「有名人は、それゆえ、『最もよく知られているものは最もよく知られているものである』という同義反復の完全な具現者である 」〔『幻影の時代』星野郁美・後藤和彦訳(東京創元社、一九六四年)より〕。私たちは化石を、それについて語られるストーリーによって評価する。有名な化石とはヒロイズムや悪名、名声のストーリーだ。化石には内に秘められた力のようなものは何もないから、その意味や重要性は周囲の人々や文化によって形成される。かつて歴史的な力が化石の解釈を形成したように、現代の私たちは化石の名声のストーリーを形づくる。そうした化石のストーリーを理解すると、科学と歴史、大衆文化の相互作用によって有名な科学的発見がどのように生まれるかがわかってくる。そうやって混じり合うことで、化石になったヒトの祖先は世間に出回る大量の文章を通じて、文化の世界で古人類を考えるうえでの判断基準となる。

 本書で取り上げる七つの有名な人類化石のそれぞれを、こまごまとした世間の事物が取り巻いている。絵はがきや公式のポートレート、博物館での特別展、Tシャツ、ポスターなどがその例だ(私はあるビジターセンターのギフトショップで、南アフリカで出土した有名な化石「ミセス・プレス」に似たものがエナメルであしらわれた爪切りを見たことがある)。有名な化石を取り巻くはかない品々は、その化石が社会で過ごした記録であると同時に、化石自身が文化のなかで得た独自性の一部でもある。

*  *  *

 しかし、一部の化石だけが有名になるのはなぜか、という疑問は依然として残る。スーパースターとしての地位を獲得できるのはどんな化石か。そして、文化史のなかで一つの化石をほかの化石と分けるのは、どのような名声なのか。

「有名な化石についての本を書くのに、ミセス・プレスについて書かなくてどうするの?」私が本書のアイデアをざっと説明して、取り上げるつもりの化石の名前を挙げたとき、驚いた同僚がこう尋ねてきた。「あと、アルディとか。一八九一年に見つかったジャワ原人は? リーキー一家が東アフリカで何十年もかけて発見してきた化石は一つも取り上げないの?!? それを入れないでどうやって本を書くのよ???」彼女は礼儀をわきまえていたのか、こんな質問は続けなかった。「いったい、それってどんな本?!?」

 その質問はもっともだ。ここで取り上げる七つの化石は、研究室やコレクション、博物館に収蔵されている大量のほかの化石と何が違うために有名になったのか。ほかの化石は科学的な意義や文化的な重要性はあるにもかかわらず、なぜ七つの化石のような名声を獲得できないのか?

 私がこの七つの化石を選んで来歴を語ろうと思ったのは、科学的な発見が大衆文化や科学の精神にどのように浸透していくかを教えてくれるのではないかと思ったからだ。これらの化石は風変わりな発見のストーリーを通じてこの世に登場し、それを見聞きする人々とうまく共鳴し合いながら何十年にもわたって存在してきた。「[博物館に展示されている標本の]生きていたときの名声と死後の偶像としての地位は、学問上の分類とは関係ない」と博物館の歴史に詳しいサミュエル・アルバーティは述べている。「標本であると同時に有名人でもあり、また、データであると同時に歴史記録でもある」。言い換えれば、これらの化石にかかわるストーリーや伝説(文化のなかでの独自性)は、化石が誰に解釈され、どのように意味を獲得していったかも伝えているということだ。

 このような種類の有名な化石は簡潔なニックネームを与えられ、進化の歴史に書き加えられ、大々的に宣伝され、そして、議論の余地を残しながらも、たやすく文化の世界で試金石のような役割を果たす。日々メディアで取り上げられ、博物館で展示され、深遠な疑問を科学界に提示し続けるなかで、それらの化石は文化的な需要を生む。「文化や学問分野、プロジェクトの一部になるためには、化石は古生物学者、画家、彫刻家、同類の化石といった通訳が必要である」とコパノ・ラテレは述べている。私たちが化石となった人類の祖先をどのようにとらえるかを理解するうえで、有名な化石がその助けになる。

 七つの化石はどれも広く知られた発見であるというだけでなく、それぞれが科学界や世間で違った名声や悪名を示す例となっている。ルーシーは偶像に、タウング・チャイルドは国民のヒーローになった。フランスのラ・シャペルで発掘された「老人」は、文化の世界でネアンデルタール人のイメージを生み出す「元型」(アーキタイプ)としての地位を確立した。ピルトダウン人の捏造事件は、科学研究で先入観を抱くことがいかに危険か、その教訓を伝える物語となった。中国の周口店遺跡から出土した北京原人は、化石が失われていまだ再発見されていないというドラマティックな展開を繰り広げ、映画『マルタの鷹』のような伝説をつくって姿を消した。フローレス原人の「フロー」はホビットのイメージとどうしても切り離せない。そして、最も新しく有名になった化石「セディバ」は、二〇一〇年に論文が発表されて以来、研究成果や情報を広く伝える努力をしたことによって、科学界で大きな話題になっている。化石の発見がどのように受け取られ、記憶され、不朽の名声を獲得していくのか、そして、生物種としての人類の過去が現在の文化や想像力にどれほど大きな影響を及ぼしているのか。これらを鮮烈に示す事例になっているのが、七つの化石だ。

 これらの化石はそれぞれ博物館の保管庫に収蔵されているとはいえ、わくわくするような豊かな来歴をたどっている。ホモ・サピエンスに先立つ人類の進化上の祖先について教えてくれ、何百万年にもわたる適応や淘汰圧、さらには古環境に関する詳しい情報をもたらすほか、科学とは社会や文化がかかわるプロセスだということも示している。どのように仮説が検証され、学説が変化していくか、そして、知識をもたらすツールとしてのテクノロジーが絶えず変化している様子も例示しているのだ。七つの化石のストーリーが繰り返し語られ、文化的な意味の層が積み重なっていくにつれて、それらの歴史は私たち自身の歴史といっそう絡み合っていく。

『7つの人類化石の物語』紹介ページ

最後までお読みいただきありがとうございました。私たちは出版社です。本屋さんで本を買っていただけるとたいへん励みになります。