eスポーツの栄光と挫折に満ちた軌跡を描く『ライズ・オブ・eスポーツ』試し読み
Amazon、コカ・コーラ、インテルなど世界的大企業が出資し、いまや4億人が熱狂する一大エンターテインメントとなったeスポーツ。
皆さんも一度はどこかで目にしたり、実際に試合の様子を見たことがある人もいるかと思います。
本書『ライズ・オブ・eスポーツ――ゲーマーの情熱から生まれた巨大ビジネス』はそんなeスポーツが世界的な大ブームを巻き起こすまでにたどった軌跡や、ゲーム史を彩るスター選手たちの試合や大会の様子を、著者のローランド・リーが当時の関係者やゲーム開発者へのインタビューを通して描いたノンフィクション作品となります。
ゲームファンはもちろん、また新たなeスポーツという文化やその背景に興味がある人にオススメのエンターテインメント作品です。
そんなeスポーツの現在と過去を端的にまとめた本書冒頭「試合前 なぜ、いまビデオゲームなのか」を全文公開します。
試合前 なぜ、いまビデオゲームなのか
1972年10月19日、スタンフォード大学人工知能研究所に24人の学生が集まった。星間戦争の火蓋を切って落とすためである。学生たちは星が点在する虚空に宇宙船を進めながら、ミサイルを撃ち、無重力空間を飛びまわった。世界で最初のコンピュータゲームの一つ、『スペースウォー!』をプレイしたのだ。優勝賞品は、ローリング・ストーン誌の定期購読1年分だった。
『スペースウォー!』のプレイに使われたマシンは、PDP ─ 1。重量約550キロ、主に学術機関だけで使用されていた初期のコンピュータである。マサチューセッツ工科大学の学生たちが開発した『スペースウォー!』は、原始的だがわくわくするようなゲームで、虜になったプレイヤーたちによるコミュニティがすでに形成されていた。
「北アメリカでは営業時間外の夜更けになると、ほぼ毎晩のように何百人ものコンピュータの専門家が現実から抜け出し、夢の世界に遊んでいる。嘘ではない。彼らは目が充血し指がしびれるまで、ときには何時間もぶっ続けで、ブラウン管ディスプレイに投影される生きるか死ぬかの宇宙戦争に没頭する。コントロールボタンを狂ったように押しながら、嬉々として友人を殺戮し、雇い主の貴重なコンピュータの時間を無駄に浪費している。単純ではあるが、何か重要なことが起きているのだ」
ローリング・ストーン誌に掲載された、スチュワート・ブランドの記事である。
競争は、つねにビデオゲームの中核をなしてきた。初期のアーケードゲームは、プレイヤーのスキルを得点の高さで判断した。トッププレイヤーの名はアルファベット三文字で表示され、あとに続くプレイヤーの羨望のまなざしを集めた(それも他のプレイヤーに蹴落とされるまでの間だが)。
『スペースウォー!』のソースコードは無料で公開されていたが、ビデオゲームが営利事業になるにつれ、ゲーム開発会社はより多くの顧客を獲得する手段としての、公式大会のポテンシャルに気づきはじめた。
1980年、アタリが「スペースインベーダー・チャンピオンシップス」を開催し、数千人のプレイヤーが覇を競った。翌年には、出演者がアーケードゲームで対決するテレビ番組「スターケード」が放映される。1990年代には「任天堂ワールド・チャンピオンシップ」が開催され、子どもたちが『スーパーマリオブラザーズ』のスキルを競いあった。
ゲームが複雑になるにつれ、プレイヤーの数はふくらみ、グラフィックやシステムは豊かになっていく。インターネットの登場で競争は激化し、世界各地の多くのコミュニティがゲームの攻略法を編み出しては、詳細に分析していった。
初のビデオゲーム大会から40年以上がたった今日、競技としてのビデオゲームは「エレクトロニック・スポーツ」、略して「eスポーツ」と呼ばれ、全世界で社会現象を巻き起こしている。毎月数百万、数千万人の視聴者が大会を視聴し、選手たちは数百万ドルの賞金を目指して、日々フルタイムでトレーニングに励んでいる。
猛烈な勢いでキーボードを連打し、マウスをクリックし、スクリーンを一心に見つめるプロゲーマーの姿は、四十数年前のスタンフォード大学生にも見慣れた光景かもしれない。有名ブランドのヘッドセットを装着し、色鮮やかなユニフォームに身を包んだ姿は、当時の学生の目にはいささか奇異に映るかもしれないが。
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テクノロジーが生活のあらゆる局面にまで浸透した結果、ゲームをするのはごく当たり前の日常と化した。インターネットによって瞬時につながったプレイヤーたちが、ストックホルム、ソウル、サンフランシスコなど、世界各地でビデオゲームに興じている。いまではコンピュータでもタブレットでもスマートフォンでも、一度クリックやタップをするだけで、ゲーム大会のライブ配信を見ることができる。莫大な投資や一部の起業家の粘り強い交渉のおかげで、ゲーム大会の放送権料はうなぎのぼりだ。だがeスポーツがこれだけの成功を収めた最大の要因は、むしろ強迫観念とさえ言えそうなほどの、人々のゲームへの情熱である。プロゲーマーの、大会主催者の、投資家の、ゲームデベロッパーの、そして何よりもファンの熱い情熱が、eスポーツを支えている。彼らがいてこそ、eスポーツはここまで栄華を極めたのだ。と同時に、彼らに起因する失敗や軋轢のせいで、eスポーツは旋風を巻き起こしつつも、欠陥を多く内包した競技となっている。当初、金銭的理由でeスポーツの世界に飛びこむ者は一人もいなかった。だがいまでは、eスポーツは金の成る木である。
情熱だけでは十分ではない。ゲーム業界には、デジタルの藻屑と消えたチームやプレイヤーや組織の残骸が、未払いの給料や、いまはなきウェブサイトといった負の遺産とともに、いたるところに散らばっている。数日単位で新たな組織が生まれては消え、チームは絶えず所属選手を刷新し、結果を残せなかったり、「実生活」でごたごたを起こしたプレイヤーは姿を消す。八百長試合や、賞金の未払いや、詐欺行為といったスキャンダルにも事欠かない。業界が急成長しているにもかかわらず、規制はほぼなきに等しい。NBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)やNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)が贅肉がつき、資産を蓄えた中年だとしたら、eスポーツは最高の仕事に就いてはいるが、まだ人生の先が見えていない25歳の青年である。
競技であり、双方向であるという二つの特徴によって、ビデオゲームは映画、テレビ、音楽、演劇といった大半の芸術表現とは立場を異にする。コンピュータや人間相手に技を磨くことで、ゲームのプレイはいわば職人技に近いものとなる。多くの優れたゲームでは、一部のプレイヤーがその他大勢とは別格のスキルを持つことが可能だ。そうしたゲームは、選びぬかれ、カスタマイズされたキャラクターに見られる絵画的・演劇的な芸術性と、スポーツの競技性との二つの顔を併せ持っている。ゲームは映像と音を通じて、プレイヤーをまったく未知のバーチャルな空間へといざなう。ゲームは新たな媒体であり、これを、現実から乖離した未来世界を暗示する不気味な体験ととらえる者もいる。──時間の無駄、というわけだ。
ビデオゲームに意味はあるのか? この問いは、他業種にも投げかけることができる。スポーツ選手や俳優や画家は、どのような価値をもたらしているのか? 彼らが競技や映画や芸術作品を通じて社会にどこまで貢献しているかは完全には知りえないが、その多くは、食物や住まいや仕事を供給して直接的に私たちを支えている人々よりも、敬愛されていると言えるだろう。
プロゲーマーや彼らがプレイするゲームは、ファンの胸に強烈な感情を呼び起こすことで、注目に値する対象となった。ファンの意思表示は、彼らがゲームに費やす金額だけでなく、ゲームに傾注する時間によっても明らかである。
ゲームはいまや一大カルチャーであり、経済の強力な推進力である。ゲーム調査会社ニューズーは、2017年の全世界でのビデオゲーム業界の収益が1000億ドルを突破すると見積もっている。ファンから投下される資金の大きな一部を占め、日々その規模を拡大しているのが、eスポーツだ。大手会計事務所デロイトは、2016年のeスポーツの収益を5億ドルと予想している。
映画評論家の故ロジャー・イーバートは、ビデオゲームは芸術にはなりえないと言った。だがプロゲーマーの動きや反射神経、チームが一丸となる協調性や一糸乱れぬ調和には、ある種の芸術的な美しさがある。優れたプレイヤーは、そのスキルによって、凡庸なプレイヤーとは明らかに一線を画している。
では、優れたプレイヤーにはどうしたらなれるのか? まずは、基本となる操作スキルに熟達していなければならない。マウスのクリックとキーボードのタップによる物理的なコントロール法を、完璧にマスターする必要があるだろう。シューティングゲームでは、銃撃の精度とプレイヤーの位置取りが肝心となる。
その他のゲームでは、フェイントと攻撃の入り交じる熟練のプレイは、いわばオーケストラの演奏に等しい。デジタル空間を縦横に行き来するキャラクターは、じつは一見しただけではわからないことの多い、ひそかな演奏意図に従って動いている。爆発や銃撃や火球などの派手なメッキの下には、チェス盤上の駒の動きにも似た、緻密な戦略が隠されているのだ。ゲームのシステムに精通し、最大限の効果を挙げる方法を熟知することで、おのずと戦略が生まれる。戦略こそ、プロゲーマーの第二の武器である。
最高クラスのゲームはつねに進化し続けるため、それに従い戦略も変わっていく。ヒットした対戦型ビデオゲームのタイトルにはつねにバランス調整が加えられ、キャラクターが追加されることもあるため、その変化に柔軟に適応できるかどうかで選手の腕が試され、トップ選手の顔ぶれも変わることになる。ソフトウェアがアップデートされるたび、ゲームの力学や統計データは変更を余儀なくされる。つまり、長年一つの戦略が他を圧し続けるという事態は起こりようがないのだ。競技においてどの戦略、あるいはどのキャラクターを選ぶと勝率が上がるかという要素をメタゲームと呼ぶが、メタゲームはつねに時流に応じて進化していくものなのである。
凡百のゲーマーとは違う際立ったスキルや経験を殺すことなく、それを活かしつつも、メタゲームの進化とのバランスをどう取るか。それこそが、人生を賭けて戦うプロゲーマーが挑む難題なのである。
「一流のプレイヤーになるにはどうしたらいいか? なりたかったら、人生のすべてを犠牲にするしかありません」そう語るのは、ニューヨーク大学ゲーム学センター部のセンター長、フランク・ランツだ。「人生のすべてを賭けたものが1週間後、1か月後に変わってしまうこともあります。そうなったら、まさに悲劇です。
同時に、ゲームの進化に対応できる柔軟性を持つことも大切です。深いレベルまでゲームを極める持続性を保ちつつ、ゲームが進化し、成長し、向上するのを許す柔軟性を持つこと。この健全な中間点をうまく見出せるかどうかが鍵です」
2016年の時点で最も人気のあるジャンル、チーム対戦型ゲームは、eスポーツに新たな一ページを加えることとなった。通常5人のプレイヤーからなるチーム内で、選手は互いにコミュニケーションをとりながら、連携プレーをしなければならない。大会に出場するチームは、ただゲームをするにとどまらず、選手の心情や懐具合、いかに集中力を高めるかまでをマネジメントすることが求められている。
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eスポーツは、はたして本当にスポーツなのだろうか?
これをスポーツと呼ぶことに、ばかばかしさを覚える向きもあるだろう。マウスをクリックし、キーボードを打つ動作は、物理的な空間を跳躍し、走り、泳ぐ労苦には比ぶべくもない。使うのは指と頭脳ばかりで、見たところ体はお留守ではないか──というわけだ。
だが、ゲームはNASCARのカーレースとどれほどの違いがあるだろうか。チェスとは、ポーカーとはどうだろう。いずれも、ESPNで放映されたことのある競技だ。アメリカのスポーツ専門チャンネル、ESPNが放映したということは、スポーツと認定されたか、少なくとも放映時間を割くに足るほどスポーツに似ているということだ。1990年代、ESPN2は世界初のトレーディングカードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング』の大会を放映した。プレイヤーがカードを使ってファンタジー世界のクリーチャーを「召喚」し、「稲妻」や「溶岩の斧」といった呪文を唱えて戦うカードゲームである。これが、台頭しつつある新たな競技プラットフォームの前例となった。ESPNのEは、「エンターテインメント」の略である。2016年1月、ESPNはウェブサイトにeスポーツのセクションを開設した。
eスポーツの興隆に居心地の悪さを感じる理由の一つは、新奇なものへの恐れだろう。ゲームは誕生からわずかに数十年。数千年の歴史を誇る陸上競技や水泳などのスポーツに比べれば、新参者にすぎない。だがバスケットボールや野球が発展したのは、20世紀に入ってからである。数十年の歴史を築いたゲームは、ここからさらに新たな歴史を紡いでいくことができる。
古参ゲーマーたちは、eスポーツがスポーツとみなされるかどうかは、究極的にはどうでもよいと語る。eスポーツには、競技としてのあらゆる要素がすでに備わっているのだ。のるかそるかの大勝負。高い技術と厳しいトレーニングを要求される、トップレベルの壁。ファンの高揚感。そして現代では、以上すべてを支えるITインフラも整備されている。
ゲームに内在する競争原理を、一定のルールを設けて規定し、公式大会という形の環境へと落としこむ作業は、一筋縄ではいかなかった。NBAやNFLは、長年の商業的成功があってこそ結実したプロスポーツリーグである。対するゲームは、担い手となっているのは相対的に若い企業で、10年以上業界を生き抜いている企業は数えるほどしかない。しかもゲームの著作権という揺るぎない権利を所持するデベロッパーの存在が、規制を難しくしている。
伝統的なスポーツにも、ただ一人が編み出したとされる競技がある。だが多くの場合そうした考案者の存在には疑義が唱えられ、競技のルールには、世界中からマイナーチェンジやローカルルールが加えられてきた。プロリーグの運用に沿うよう、ルールに微調整が加えられたケースもある。
だがビデオゲームの場合、どれほど人気でも、ゲームは一商品にすぎない。開発の責を負うのも、ゲームが売れて懐が潤うのも、通常は一社である。とはいえ、デベロッパーは大会主催者でもなければ、リーグ運営者でもない。eスポーツの大会を継続的に運営していけるデベロッパーは、ほんの数社にすぎないのだ。
デザインを決定し、時に強引に新たなルールを押し付けてくるデベロッパーは、無視することのできない存在である。バスケットボールや野球は、これ以上の負荷がかかればビジネスが立ち行かなくなるという危機感から、ついに小さなコートや野球場を飛びだし、巨大なスタジアムへと活躍の場を移した。eスポーツが学生の寝室から巨大アリーナへと飛躍を遂げる際にも、大金の流入と一部企業の統率力が不可欠だった。
eスポーツの潜在的市場規模は膨大である。ゲームが世界の共通語であるように、eスポーツもグローバルな競技だ。ゲーマーはアメリカ中西部の片田舎にも、人のへしあう韓国のネットカフェにも、モスクワやベルリンなどのヨーロッパ都市にもいる。
伝統的スポーツに比べれば、eスポーツに流入する資金はまだまだ少ない。総収益が100億ドル超のNFL、210億ドルの欧州サッカーリーグに比べれば、2015年のeスポーツの総収益の見積もりが2億7800万ドル(ゲーム調査会社ニューズーによる)というのは微々たるものだ。世界のトップゲーム『リーグ・オブ・レジェンド』決勝戦の視聴者数が2013年に3200万人に達したとはいえ、2015年のスーパーボウルの瞬間視聴者数、1億2000万人には見劣りする。
とはいえ、eスポーツの成長速度は、他のどのエンターテインメント業界をも凌駕する勢いだ。コカ・コーラ、アメリカン・エキスプレス、インテルといった世界の一流企業がゲーム市場に参入を果たしている。わずか5年前には笑ってしまうほど矮小だった市場に、である。
プレイヤーとファンにとって、eスポーツは単なる職業以上のものだ。それは、取り憑かれているとさえ呼べるほどの情熱である。負けた選手の悔しさは、勝った選手の歓喜に負けず劣らず、観る者の心を鷲掴みにする。だれが勝とうが負けようが、それで世界が変わることはないだろう。だが、eスポーツがすでに無数の人々の人生を一変させていることは、紛れもない事実なのである。
『ライズ・オブ・eスポーツ――ゲーマーの情熱から生まれた巨大ビジネス』(ローランド・リー著/小浜 杳訳)は現在発売中です。
■著者紹介
ローランド・リー(Roland Li)
1988年、北京生まれ。 カリフォルニア州オークランド在住のジャーナリスト。ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ニューヨーク・タイムズ紙、ニューヨーク・オブザーバー紙、インタビュー誌などで活躍。医学部進学後、専攻を変えてニューヨーク大学でジャーナリズムと歴史を学ぶ。8年間ニューヨークで暮らしたのち、2015年に西海岸に転居。現在はサンフランシスコ・クロニクル紙で商業不動産の記事を担当している。
■訳者紹介
小浜 杳(こはま はるか)
横浜生まれ。翻訳家。東京大学英語英米文学科卒。書籍翻訳のほか、映画字幕翻訳も手がける。訳書に『ピーターラビット2』、『サーティーナイン・クルーズ』シリーズ(以上KADOKAWA)、『WILD RIDE(ワイルドライド)―ウーバーを作りあげた狂犬カラニックの成功と失敗の物語』(東洋館出版社)、『超一流が実践する思考法を世界中から集めて一冊にまとめてみた。』(SBクリエイティブ)ほか多数。
■目次
試合前 なぜ、いまビデオゲームなのか
第1章 悪の天才――アレキサンダー・ガーフィールドと北米の台頭
第2章 ソウルの皇帝――ボクサーと『ブルードウォー』
第3章 核ミサイル発射を検知しました――『スタークラフト2』の爆発的人気
第4章 夢のストリーム――Twitch
第5章 挑戦者、現る――『リーグ・オブ・レジェンド』の登場
第6章 アンバランス――女性と人種とゲーム
第7章 勝つために生まれてきた――『DOTA2』が賭け金を上げる
第8章 資金の奔流――eスポーツにふたたび大金が流れこむ
第9章 1800万ドルへの道――ザ・インターナショナル第5回大会
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
原註
最後までお読みいただきありがとうございました。私たちは出版社です。本屋さんで本を買っていただけるとたいへん励みになります。