マイケル・トマセロの野心作『行為主体性の進化』試し読み
11月7日発売のマイケル・トマセロ著『行為主体性の進化――生物はいかに「意思」を獲得したのか』(高橋洋訳)の試し読みをお届けします。
何をするべきかを自分で意思決定し、能動的に行動する能力、それが行為主体性。生物はどのようにして、ただ刺激に反応して動くだけの存在から、人間のような複雑な行動ができるまでに進化したのでしょうのか?
認知科学の巨人マイケル・トマセロが、太古の爬虫類、哺乳類、大型類人猿、初期人類の四つの行為主体を取り上げ、行為主体の心理構造がどのように複雑化していったのかを読み解いていきます。
進化心理学、進化生物学、行動生態学、認知科学など、これまで別々に取り上げられることの多かった人間と動物の研究をまとめ上げ、包括的な行為主体のモデルを提唱する画期的な新理論です。
それでは、冒頭の第1章の抜粋をどうぞ。
【試し読み】
第1章 はじめに
霊長類や他の哺乳類は、昆虫のようなより小さな生物より「知的」であるように思える。しかし、この印象に明確な根拠はない。行動の複雑さの相違によるものでないことに間違いはなかろう。塚を築くアリ、巣を張るクモ、あるいは蜜の在りかを巣の仲間に伝えるミツバチの行動は、霊長類や他の哺乳類が取りうるいかなる行動にも匹敵するほど、あるいはそれ以上に複雑なのだから。
違いは行動の複雑さではなくその制御(コントロール)〔訳注1〕にある。アリやクモやミツバチの行動は、それがいかに複雑なものであっても、個体がコントロールしているようには見えない。実のところ、進化した生物学的機制(バイオロジー)が個体をコントロールしているのである。それとは対照的に、霊長類や他の哺乳類は比較的単純な行動を取っている場合でも、少なくともある程度は個体のコントロールのもとで、情報に基づく決定を能動的に下しているように思われる。また進化したバイオロジーに加え、個体レベルの行為主体〔訳注2〕としての心理的機制(サイコロジー)〔訳注3〕を備えている。
個体レベルの行為主体であることは、その個体が完全にバイオロジーから自由でいられることを意味するわけではなく、つねにその生物は進化を通じて獲得した能力の範囲内で行動している。一例をあげよう。明らかにリスは、木の実を隠して蓄えるべく何らかの方法であらかじめプログラムされている。しかし時と場所によって要件がその都度変わるので、生物学的に行動をあらかじめ細かくプログラムしておくことは不可能だ。だからリスの個体は、行為主体として現状を評価し、木の実を隠匿する決定を自ら下さねばならない。多くの生物〔訳注4〕にとって、そのような決定を下すことに対する自由度はごく限られている――また行動領域によっても異なりうる。とはいえ限られたものではあれ、通常行動の自由は存在し、その範囲内でいかに行動するかを決定しているのは個体レベルの行為主体なのである。
動物の行動にせよ人間の行動にせよ、それらを扱う進化生物学的アプローチには、経緯は置くとしても、個体レベルの行為主体性を無視する傾向があった。おそらく行為主体性という概念は、実際には何一つ説明しない小人(ホムンクルス)の亡霊を呼び起こすからなのかもしれない。しかし生物学者自身も一世紀前に、生命一般を説明するという触れ込みのエラン・ヴィタールという概念が提唱されたとき、似たような問題に直面したことがあった。しかしやがて、生物は生気を与える物質や実体ではなく、特殊なタイプの化学的組織によって非生物から区別されることが判明する。それとの類推で言えば、行為主体的存在は行為主体的な物質や実体ではなく、特殊なタイプの行動組織によって非行為主体的存在から区別されると言えるだろう。その行動組織とは、フィードバック制御組織のことであり、個体はこの組織のもとで、情報に基づく意思決定や、自己の行動の監視によって、行動プロセスをコントロールし、さらには自己調節することで、特定の目標(ゴール)に向けて自己の行動――その多くは生物学的に進化したものだ――を導いていく。かくして生物種のバイオロジーが、個体の心理によって補完されるのである。
行為主体はなぜ、そしていかなる経緯を経て進化したのか?(特定の行動領域において)生物によってその進化の度合いに違いがあるのはなぜか? 以上の問いを考察するにあたり、次のような仮説を立てることができる。生物が生息する生態的地位(ニッチ)は、生得的な知覚と行動の結びつきが効率的に機能するには、時間的にも空間的にもあまりにも大きく変化し、予測不可能なものになりうる。だから自然は、そのような予測不可能性に直面したとき、――わかりやすく説明するために、自然選択による進化を擬人化して表現すると――「現場」にいる者に、当面の局所的な状況を評価させ、最善の行動指針を決定させなければならなかった。かくして、行為主体の基盤をなす心理が進化し、それによって個体はいくつかの重要な状況のもとで、最善の判断に基づいて次になすべき行動を独力で決定することができるようになった。このような活動様式は、現存する大多数の動物種を特徴づける、太古の時代以来の組織構造に依拠しているのであり、アリやクモやミツバチでさえ、高度に制約されたものではあるにせよ、個体としてわずかながらも何らかの決定を下していると私は考えている。
したがって行為主体性とは、生物によるさまざまな行動――アリ塚の構築から木の実の隠匿に至る――に関するものではなく、生物がそれを実行するあり方に関するものなのである。行為主体として行動する個体は、自己の行動を、その具体的な内容に関係なく管理しコントロールする。ここでの科学的な課題は、個々の管理やコントロールを可能にしている、基盤となる心理組織を特定することにある。この課題への取り組みは、進化心理学の通常の見方を反転させた、写真のネガのようなものを生む。つまり通常は焦点を置かれている要素(適応による生物種の特殊化)を背景に追いやり、通常は背景に追いやられている要素(個体レベルの行為主体性)に焦点を絞るのだ。とりわけ人間の行為主体性を最終的に解明するためには――それが私の望みである――、高度に制約されたわずかな決定を行なうだけの生物から、何をなすべきかをつねに独力で決定する生物に至る、行為主体的な行動組織の進化の段階を跡づけていくことが必要になる。とはいえ、意外に思えるかもしれないが、そのような段階は数えるほどしかない。
(中略)
本書の目標
本書の目標は、人間の心理的行為主体性が進化した道筋を再構築することにある。動物全般を対象にすると行動適応の数と種類は膨大なものになるが、個体レベルの行為主体が行動に関する意思決定を管理コントロールするための心理メカニズムの数は限られている。最初期の細菌(バクテリア)などの人類の太古の祖先は、心理的行為主体ではまったくない。それらの生物の行動は何らかの目標に向けられてもいなければ、個体がコントロールしているわけでもないからだ。また行為主体的な生物でも、鳥類やミツバチのような生物は人類に至る進化の系統からはずれており、したがって本書では考慮しない。人類に至る系統に着目すると、人類の重要な祖先を代表する四つの分類群において、四つの主要なタイプの心理的行為主体――個体レベルでの意思決定と行動制御を可能にする組織構造の四つの型――を見出すことができる。進化の歴史のなかで出現した順序に従うと、それらは太古の脊椎動物の目標指向的行為主体、太古の哺乳類の意図的行為主体、太古の大型類人猿の合理的行為主体、太古の人類の社会規範的行為主体の四つから成る。
この進化の歴史を再構築するためには、行為主体の組織構造を説明する、理論的に一貫し広く適用可能なモデルをまず考案する必要がある。それには、単純な形態から複雑な形態へと進化する際につけ加えられたり、変化したりしなければならない、必須の要素を特定することも含まれる。それゆえ本書の第二の目標は、適切な修正を施せば人類のもっとも古い祖先から現生人類に至るさまざまな動物の行動に対して広範に適用できる、単純ながら包括的な行為主体のモデルを提起することにある。そのようなモデルには、任意の動物種の個体が、必要な行動決定を下し、加えてそのプロセスを経時的に自己調節するために必要とされる知覚能力や認知能力が必然的に含まれるはずだ。行為主体性とは、単なる特殊化した行動や認知のスキルではなく、個体が自己の行動を策定し実行するための基盤となる、もっとも一般的な組織的枠組みなのである。よって人間の行為主体性の進化的な起源の探究は、人間の心理組織一般の進化的な説明と何ら変わらないものになるだろう。そのような説明を構築するためには、既存の進化心理学の理論を、拡大すると同時に深める必要がある。
(第1章 おわり)