【広告本読書録:085】帝王の誤算
鷹匠 裕 著 角川書店 刊
サブタイトルに「小説 世界最大の広告代理店を創った男」とくれば、もうこの連載の読者であるあなたならおわかりでしょう。そうです、電通を舞台にした経済小説です。
ちなみにいまさらではありますがぼくの名前は「ヒロミチ」なんですが、漢字で書くと博通、つまり博報堂の博に電通の通になります。なにがつまりなんだか。まあ、それぐらい電通には思い入れがあるということですね。どうでもいいか。
この本、巻末には「この小説はフィクションであり、実在の個人・団体とはいっさい関係ありません」との但し書きがあります。でも、それが白々しく感じるほどノンフィクションな一冊です。
ぼくと電通~青春編~
ぼくと電通との出会いは高校2年生の終わり。ちょうど季節が冬から春に移る頃でした。ぼくは実家の手芸店を手伝っており、学校が終わるとそのまま店に立ち、ボタンや毛糸、裏地にファスナー、ボビンにコットンなどを売っていました。
実家の店は私鉄駅前のショッピングセンター内にありました。そのショッピングセンターは昭和の終わりぐらいまで地域の一番店であり、衣食住遊すべてが手に入るランドマーク的な存在。
ぼくのお店が入っているフロアには紳士婦人服、レコード、化粧品、家電、時計メガネ、カメラ、タバコ、靴、書籍の店舗が顔を並べていました。昭和50年代の終わりぐらいまでは、そこへいけば全て揃うという楽園でした。
ある日、本屋さんに新人アルバイトが入りました。風のうわさでは近所に住む高校2年生でキヨミちゃんというらしい。ショッピングセンターで働く全てのヤングボーイがざわつきます。
ぼくは本屋の前を通り過ぎる度にキヨミちゃんに視線を送ります。何度かするうちにお互い目が合うようになったので、ぼくは微笑みかけました。するとキヨミちゃんも笑うじゃありませんか。
脈ありだな…
そうおもったぼくは、アルバイトの帰りにバイクに跨ったままキヨミちゃんを待ち伏せします。案の定、パートのおばさんたちに紛れてキヨミちゃんが登場。おばさんたちはみんなぼくのことを小さい頃から知っている天使ばかりなので、笑いながらナイスアシストしてくれます。
そうして、ぼくとキヨミちゃんは付き合うことになりました。
■ ■ ■
高3の春休み。ぼくはキヨミちゃんと名古屋の繁華街、栄のセントラルパークでデートしていました。目的は映画鑑賞。
上映時間まで少しあったのでコンパルでコーヒーを飲み、オリンピアで文具を物色し…という今からおもえばかわいいデートでしたが、ふいにキヨミちゃんが「ちょっとこっちいこう」と先導しはじめます。
ぼくは(どこに行くのかな…もしかしたらラブホ?)とワクワクしながらキヨミちゃんのあとをついていきます。するとあるビルの前に立ったキヨミちゃんがいいました。
「ここ、わたしのパパの会社なの」
そこにはローマ字で『DENTSU』と書かれていました。ぼくは『DENTSU』はおろか日本語表記の「電通」も知らないカントリーボーイ。ただ「ふうん」と間抜けな相槌を打つことしかできません。
キヨミちゃんはちょっとガッカリした様子でしたがすぐに切り替えて「じゃあそろそろ時間だからいこっ!」と約束どおり映画館に足を向けました。
その日のメインイベントである『子猫物語』を観たぼくたちは、特になにか甘酸っぱいこともせず、夕方には名鉄常滑(とこなめ)線という妖怪みたいな名前の電車に乗って豊田本町という小さな街に帰ったのでした。
これが、ぼくにとっての電通初体験です。
電通マンを父に持つキヨミちゃんとはその後、何もなく自然消滅しました。それもそのはず、新学期がはじまった瞬間にぼくはチカちゃんという商業高校に通う女の子に急速に惹かれていったからです。浮気ものですね。
あのときキヨミちゃんはどういうつもりでぼくを電通ビルに誘ったんでしょう。パパが電通マン、ということでぼくが驚いたり羨ましがったりするとおもったんでしょうか。いまなら結婚を前提にお付き合いしますけど。
それともふだんから「パパは天下の電通マンで偉いんだゾ!」とキヨミちゃんを洗脳していたのか。いずれにしても残念なのは、ぼくと電通とをつなぐ接点は、後にも先にもこれだけだった、ということです。
キヨミちゃん、元気でやってるかしら。
ぼくと電通~立身出世編~
次にぼくが電通を意識したのは社会人2年目の夏。ぼくの大先輩の話です。大先輩は某制作プロダクションに勤務していて、その会社は『アドフラッシュ』(その月の広告制作物を集めて編集した専門誌)などに超ド派手に露出していました。
ぼくたちは「はー、今月もすごいなー、おれたちも早く大先輩のようにならなくちゃ」と必死に腕を磨いていたのです。
するとそのあまりにも派手派手しいプロモーション(?)が電通様の怒りに触れてしまった。取引先という取引先に圧力がかかり、全てのクライアントから出入り禁止にされたんだそうです。まるで大魔神ですね。
以下は大先輩の話を聞いたあとの同僚や小先輩との会話です。
「やっぱ電通だけは敵に回しちゃいけないんだ」
「しかしアドフラに数回掲載しただけで…」
「いやどうも電通との競合コンペで勝ってしまったらしいよ」
「それでか……」
「でも…不謹慎ですが、なんかカッコいいっすよね」
「そうだな、俺たちなんか電通からしたらアウトオブ眼中だしな」
「相手にされるだけそのプロダクションがすごいってことよ」
「ぼくらも早く電通に潰されるようにがんばりましょうよ!」
「おお!」
若さとは馬鹿さ、とはよくいったものです。
ぼくはそのとき「この先、もし万が一電通様からお仕事をいただくことになったら、なにがあっても逆らうのはよそう」と固く心に誓いました。しかし、その誓いが果たされることはついぞありませんでした。
なぜならその後も、そのずーっと後も、いまでもぼくが電通と仕事をすることなど一度もなかったからです。電通様からお声がけをいただく機会などついぞ一度も、というクリエイター人生でした。涙。
これを取り越し苦労というんですね。
■ ■ ■
さてようやく本編『帝王の誤算』の紹介です。
『帝王の誤算』は電通を舞台に、9代目社長の成田豊さんがその剛腕で自ら出世の道を切り拓き、都知事選、オリンピック、博覧会などを裏で仕切っていく様をノベライズした作品。
当然フィクション仕様なので登場人物や会社名などは仮名を与えられているのですが、その絶妙なネーミングがフィクションとノンフィクションの境界線を曖昧にしてくれます。
成田豊⇒城田毅(これはわかるようなわからないような)
電通⇒連広(これはわからない)
鬼十則⇒十の掟(これはかわいい)
博報堂⇒弘朋社(ほうしかあってない)
吉田秀雄⇒押多英世(いい線いってる)
トヨタ⇒トモダ(そろばんみたい)
マツダ⇒マツノ(マラソン選手みたい)
日立電機⇒日同電機(雰囲気しか)
世界ふしぎ発見⇒ワールドふしぎ大全集(爆笑)
NHK⇒NHC(日本放送なに?)
磯村尚徳⇒阿曾村久成(うまい!)
…と、まだまだ掘ればいくらでも出てきますが、どうです?この絶妙なまでの仮名っぷり。絶妙というか微妙というか。なのでフィクションといわれても、読みながら脳内で自然とノンフィクションに変換されるのです。
それがこの小説の面白さのひとつ、とは言い過ぎでしょうか。
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もうひとつ、この小説に入り込めるファクターが「倉澤真美」という架空(おそらく)の人物を登場させて話を進めているところです。倉澤真美の旦那さんは連広の営業マン。城田に仕え、身も心も傾倒するがあまりモーレツな働き方で過労死してしまいます。
その夫の代わりに「思いやり雇用」制度の特例として、城田の秘書として中途入社するのが真美さん。城田の出世を献身的に支え、ついに彼が天寿を全うするまで仕えることになる重要な人物です。狂言回しといってもいい。
旧態然としたサラリーマン男社会に、あくまでフラットで現代的な感覚を持つ彼女が入り込むことで、でんつ…じゃなくて連広の過重労働の実態やワンマン体制による組織の歪みなどが輪郭をもって見えてくる。
これは作者である鷹匠さんの筆の力、構成の妙だとおもいます。その証拠に城田が競合企業に仕掛けた裏工作や都知事選におけるダーティ・ワークなど本編の核心ともいうべき場面には一切登場しないんですね、真美さんって。
それがコントラストをなして、物語全体の主張をハッキリさせるとともに読み手を飽きさせない効果にもつながっているとおもいます。
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巨大広告代理店の上層部による政治やさまざまな利権への関与が鮮やかな筆致で描かれた経済小説『帝王の誤算』。ふだんから電通の存在にもやもやしている人たちにとっては快哉を叫ぶ一冊かもしれません。
でもですね。
ある日、ぼくはクライアントの経営トップとお酒を飲んでいて、残業時間の話題になり、そのまま電通に対する批判的な声に話が及びました。
そのとき、彼が言ったのです。
「確かに見積もりの金額は目ン玉飛び出るぐらい高いけど、できないだろうなこんなこと、って仕事をやってのけるのって電通ぐらいなんだよ」
そして横で聞いているだけでワクワクするような、ある空港のプロジェクトについて話してくれました。最近とんと聞かなくなったスケールの大きなエピソードでした。
小説の中で連広がその後どうなったか、については触れられていません。現実の中で電通がこれからどうなるか。もちろん過労死を招くようなブラック体質は許されるものではありませんし、すぐに是正すべき問題です。
ただ、まともな働き方と、夢中になって無理難題を解いていくような熱中時代な仕事ぶりとを両立させることってほんとうに不可能なんでしょうか。
クソがつくほど優秀な人が何人もいる電通のことですから、きっと実現してくれるんじゃないか。それこそ、アイデアやクリエイティブのチカラで。ぼくは、そんな期待を捨てきれないでいるのです。