【広告本読書録:107】川崎徹全仕事 広告批評の別冊②
川崎徹 著 マドラ出版 発行
いよいよ広告批評の別冊『全仕事』シリーズも5冊目を数えるまでになりました。今回は「ハエハエカカカ・キンチョール」「それなりに…」でおなじみのCMディレクター、川崎徹さんです。
いま、おなじみの、と書きました。
もしかすると、いまの人にはおなじみではないかもしれません。特に20代、30代には顔も名前も知られていない可能性があります。40代でも『たけしの元気がでるテレビ』に出ていた人、ぐらいの認識かも。
しかし間違いなく80年代の広告ブームは糸井重里さんと仲畑貴志さんと、この川崎徹さんによって作られたものでした。
もし糸井さんと仲畑さんだけなら広告ブームではなく、コピーライターブームだったでしょう。ここにCMディレクターの川崎さんが加わることで、そのムーブメントは大きな渦となって日本中を巻き込んだのです。
もちろん広告を生業にされている方なら20代でも30代でもご存知ですよね。そんな一世を風靡した川崎徹さんの『全仕事』をご紹介します。
これまでの『全仕事』に比べるとずいぶんと薄い造りです。全200ページ。しかも後半100ページ弱は絵コンテ集と川崎徹論。それもそのはず川崎さんの作品は全てTVCFですから、紙メディアとは相性がよくない。
せいぜい2~3コマの静止画とナレーションでの作品紹介になります。映像を1コマに省略すれば1ページに4作品ぐらい掲載できる。それだけページ数も少なくなるわけです。
だけど中身はこってりです。1971年の『富士ゼロックス・赤い傘』から83年の『カチット』まで全172作品が収められています。
はじめて知ったCMディレクターという職業
ぼくは子供の頃、広告とはTVCMを指すものだ、と思い込むほどのテレビっ子でした。どれぐらいテレビのコマーシャルにうつつを抜かしていたかというと、まずおもちゃのコマーシャルを頭から信じていた。
たとえばマジンガーZの超合金のコマーシャルで、ロケットパンチが火を吹きながら飛んだり、ブレストファイヤーが野山を焼き尽くしたりするシーンを「本物だ」と思って疑わなかったのです。
よく考えたらそんなおもちゃ危なくて仕方ありません。しかし思考能力の低い、というと言葉が悪いので言い換えるとバカな子供のぼくは、ブラウン管に映る光景と現実の区別をつけることができなかったんですね。
そうして、親に泣きながらねだって、年に数回のイベント時に買ってもらった超合金マジンガーZ。当然ですがロケットパンチは飛びませんし(いや正確には飛ぶんですけどコマーシャルのそれとはまるで別物)ブレストファイヤーも火を吹きません。
「またコマーシャルに騙されて…」
あからさまに落ち込むぼくをみて、両親や祖母はあきれ気味にこのセリフを口にしていました。「また」というところがミソですね。一度や二度ではないのです。
そんなぼくが成人して広告の世界に入るとは親類縁者だれも予想だにしていなかったことでしょう。事実は小説より奇なり。
話を戻しますと、そんなテレビコマーシャルっ子だったぼくですが、先ほども言いましたが頭の出来がよろしくない、というと言葉を選ばないにもほどがありますから正しく言うとバカなので、それらを作っている人がいる、ということに考えが及びません。
時を経て、思春期のようなものを迎えたころ。名古屋の片田舎に住むぼくもサブカルチャーの残滓のようなものを掬うことになります。
YMOブームやNHK教育『YOU』、『ビックリハウス』、『ガロ』…なぜ名古屋にはピテカントロプスがないのか。ツバキハウスはないのか。レッドシューズはないのか。
詮無いことに思いを巡らせて悶々としていたころ、コピーライターという職業を知ります。『YOU』の司会や『ビックリハウス』のヘンタイよいこ新聞などでヤングの教祖的存在だった糸井重里さんの本職が、どうやら広告の文章を書く仕事らしい。
そして、その文脈で知識として仕入れたのがCMディレクターです。テレビコマーシャルの演出を手掛ける仕事ですね。その最前線に立っていたのが川崎徹さんだったというわけ。
上京後、川崎作品を貪ることに
とはいえ当時はどのコマーシャルが川崎作品なのか、わかっていません。無意識のうちに川崎作品に触れていたことになります。
いずれもぼくがまだ名古屋に住んでいるとき、なにげなく見ていたテレビCFの中で特に記憶に残っている作品たちです。これらすべて川崎さんの手によるもの。
そして、コピーライターになろう、いやなるんだ、もうなったも同然、というおかしな自意識を過剰にしながら上京。とあるコピー学校に通うのですが、そこで偶然にも川崎作品を浴びるように見ることになります。
電通の山川浩二さんという大御所が講師でいまして。この方、当時は知らなかったのですがあの「はっぱふみふみ」(パイロット万年筆)という一世を風靡したコマーシャルを手がけられていたんですね。
で、山川先生の授業というのが、ひたすら過去のCFを見るというもの。そこで川崎作品をとにかく毎回浴びるように視聴することになります。
中でも特に印象的、かつ衝撃だったのが『関西電気保安協会』のコマーシャル。電通大阪支社の堀井博次さんとタッグを組んだ名作CFです。
便利な世の中になったもので、You Tubeにまとまった作品集を見つけることができました。ぜひご覧ください。
どうですか?このシュールな世界観。出演者はみんな素人、というかモノホンの関西電気保安協会の方だそうです。素人を起用することについて川崎さんはこう述べています。
川崎さんは素人の味を出すために、スタジオに前もって入れないとかするんですって。あと20人ぐらい撮るとき、控室で順番を決めておきながらその順番に呼ばない。急に呼ばれたその人は心の準備もできていないから頭まっしろになるんですよね。そこを撮るという。
この『関西電気保安協会』をはじめ、山川先生には本当に山のようなアーカイブから珠玉のコレクションをこれでもか、と見せてもらいました。当時はまだ田舎から出てきた無知で無礼な山猿だったので、その価値もわかってなかったし、感謝の言葉すらお伝えしていなかったのですが…
「意味」の無重力化
たくさんの川崎作品を見て、そしてあらためて今回この『全仕事』を読んでおもうことがあります。それは、川崎徹さんがやりたかったのはとにかく「予定調和を壊す」だったんだな、ということです。
吉本隆明さんによる『川崎徹小論』にもありますが、テレビ画像の「比例」「均衡」「調和」の点を少し壊したところに、不協和な効果を意思をもって作っていたのですね。
それは役者選びにはじまり、画面の構成、配置、画角、セリフその全てにおいて不調和なアンバランスを狙っています。その結果、それまでのTVCFが必死になって追求していた「意味」がまったく意味をなさないものになる。
つまり意味の無重力化を実践していたのです。
川崎さん自身も言葉について「①広告のための造語」「②日常語」「③言葉とも言えない言葉」の3つにわけて解説しています。
①は「トンデレラ、シンデレラ」みたいな広告のためのギミックを凝らした言葉。②は「それなりに」「大胆なご意見」といった広告の世界では捨てられた死語。そして③は言葉を何も使わないもの。
メンフラハップのCMで江川が箱の裏に書いてあることを読み上げて、みんなで「ワハハハ」って笑う、もはや言葉じゃない世界です、③は。
このときの川崎さんは、①はもう飽きちゃって、②はやってはいるけど、目下いちばん興味があるのは③だ、と言っています。より無重力な言葉、というか音声といってもいいかもしれません。
この言葉の意味を解体する、という行為はその後もいろいろなクリエイターがチャレンジしていきます。広告の世界だけでなく、文学や芸術、音楽などの分野にも見られました。
ぼくが最後に言葉の意味をなくそうとした例を見たのはユニコーンの3rdアルバム『服部』です。
あのアルバムタイトルには意味がありません。事実、奥田民生さんも当時のバンドブームのお約束的な流れから脱却するために、あえて意味のない言葉でインパクトがあるものを選んだとインタビューで答えています。
あれが1989年リリースですから、もしかしたら1990年代には言葉の意味の解体という行為自体がレガシーになっていったのかもしれません。
最近の広告やコマーシャルの世界では真逆の力学を感じますよね。特にWebが出てきてからは気味が悪いぐらい「わかりやすく」表現が幼稚化しているように思えます。
そして、川崎さんにもしお会いできることがあったなら、聞いてみたいんです。いまのビールや発泡酒のコマーシャルの、あの、タレントがグビッと一口飲んでからの「うまっ!」とやる、クリエイティブやアイデアのかけらもないCFはいったい何なんでしょうか、と。
いまこそ川崎さんの才能が広告業界に必要なんじゃないかとおもうんですよね。ですからいま第一線を張っているCMディレクターの方に読んでいただきたいのです、『川崎徹全仕事』を。
温故知新。