【広告本読書録:106】葛西薫の仕事と周辺
葛西薫 著 六耀社 発行
最初に勤めた会社は求人広告の代理店でした。しかし経営者が比較的野心家で、業容の拡大をいつも狙っていたんですね。隙あらば求人媒体版元に依存しない事業への進出に挑戦していました。
おかげでその会社の制作部門は比較的恵まれていて、きちんとアートディレクター、デザイナー、イラストレーター、コピーライターと独立した職能のクリエイターがそろっていたんです。
あとになってわかったことですが、リクルート系のクリエイターはコピーもデザインも、なんならイラストや撮影まで一人でこなす『制作職』というのがデフォルトでした。一見すると素晴らしい多能工なのですが、キャリアやスキルを考えるとビジネスサイドに都合いいだけです。
そんな効率や生産性みたいなモノサシだけで考えられた『制作さん』の呪縛からまったく無縁だったぼくたちは、安心して自らのスキルを磨くことに専念できました。
求人媒体に依存しないということはさまざまなメディアがステージになります。専門誌への広告出稿、パンフレットやブローシャ、チラシ、DMなど…クリエイティブの最小単位であるコピーライターとデザイナーがタッグを組んで思いのままに表現創作に取り組んでいました。
そして、ぼくが人生ではじめて出会ったデザイナーという職種の人たちは、本当に個性的で想像力も創造力も豊かな才能の持ち主ばかりでした。
今回ご紹介する広告本『葛西薫の仕事と周辺』を手にして最初に頭に浮かんだのは、そんなMY FIRST DESIGNERたちだったのです。
キャリア30年目の作品集
葛西薫さんといえば言わずと知れた広告の名門、サン・アドのアートディレクターであり、デザイナーです。現在は取締役副社長にまでのぼりつめ、東京造形大学の客員教授もなさっています。
『葛西薫の仕事と周辺』はそんな葛西さんの作品集。第一刷が1998年なのでいまから23年も前の出版になります。そのころ葛西さんは49歳。脂が乗りきっている頃、とはいえキャリアのスタートは1968年なので既にベテランの領域です。
ほとんどがサン・アドで制作された広告作品ですが、一部グラフィックアートだったりエディトリアルデザイン、造形物なども含まれています。だからでしょうか、ページをめくるごとに葛西さんの持つ独特の空気、世界感に包まれていく錯覚におちいります。
きわめて個人的な印象で言葉をあてはめると、葛西さんは繊細で大胆。新しくて懐かしい。堅くて滑らか。夢と現実をいったりきたりするデザインテイストをお持ちだとおもいます。
ぼくがはじめて葛西さんの仕事を意識したのは、冒頭で述べた求人広告代理店。昔から音楽好きだったのでソニーのカセットテープやミニコンポなどの広告を通して作品に触れていたのですが、当時のぼくはそこにデザイナーという人間が存在していることを意識できていませんでした。
いきなり飛び込んだ求人とはいえ広告制作の現場で、ぼくがいちばん痛切におもったのは周囲との知識差でした。コピーライターの先輩はおろか、同僚よりも広告のことを知らない。デザイナーの先輩たちとの会話にもついていけない。これはまずい。
ある日、デザイナーの先輩とADC年鑑を眺めながら広告の話をしているとき。ハヤカワはどのデザインが好きなの?と聞かれました。ぼくはパラパラめくりながらこれとこれとこれです、と答えました。
「あー、ハヤカワはカサイカオルが好きなんだね」
カサイカオル?その名前をはじめて聞いたとき、女性かとおもいました。でもそれもうなずけるほど、ぼくがチョイスした広告はどれも繊細な作品ばかり。偶然、すべて葛西さんの仕事だったのです。
書体と組み方が美しい字面を生む
この作品集にはもうひとつ、個人的に惹かれるページがあります。葛西さんがまだサン・アドに入る前、高校を卒業して入社した印刷会社時代の作品も掲載されているのです。
もっといえば原体験といってもいいのかわかりませんが、高校時代の修学旅行の手製のアルバム、ガリ版刷りによるクラスの卒業記念文集も載っています。
修学旅行のアルバムに付帯しているキャプションによると、旅行中に友人からレタリングの通信教育の話を聞き、いたく刺激を受けたとのこと。そして同じ講座に入会したんだそうです。
もともとレタリング、文字を模写することから葛西さんの歴史がはじまっているのですね。誌面にレイアウトされている習作の書体や時代を感じさせるチラシ、ロゴデザインからは若き日の生真面目な仕事ぶりが垣間見ることができます。
そして、そんな話を読むにつけ、確かに自分も葛西さんの作品の何にいちばん惹かれるのか、というと、その独特な書体使いにあるな、と気づかされました。なかでも特に明朝体の使い方に味があるというか、うまいなあ、といつもおもうんですよね。
白地に文字を置いて、言葉が立つのはやはりローマン(明朝系)。大きくしすぎたり字間をつめすぎたりすると、言葉の香りを消してしまう。逆に、美しい組を見ると字面に酔い、文章を読むのではなく、見てしまう。
葛西さんはグッとくる言葉とか一節は字面においても優れている、と言います。そしてその美しさの要因に書体とその組み方が大きくかかわっている、とも。
無造作に組まれた文章のゲラ刷りや資料に貼られた単なる記録用のラベルなんかに見とれることもあるそうです。それを「何もしていない」せいかもしれない、と結論づけるあたり、さすがレタリングからデザインの世界に入ってきただけのことはありますね。
極私的ベストデザイン
最後に、同書に掲載されている葛西さんの作品から、極私的にベストデザインを選んでみます。
◎「お歳暮はサントリー」ポスター(83年)
酒屋さんの店頭ではじめてみた。当時15歳。足が止まった。吸い込まれるようだった。達郎の歌とともに流れるテレビコマーシャルも名作。そしてコピーライターという仕事ならできそうに思えた。
◎「モルツ新発売」新聞広告(86年)
親の職場の仲間たちと海に行った夏。缶ビールの概念を大きく変えるパッケージに目がいったが、その新聞広告は穴があくほど読んだ。青字の万年筆を使うきっかけにもなった。当時18歳。お酒は20歳になってから。
◎モリサワ『文字からのイマジネーション展』出品ポスター(93年)
どれだけでも眺めていられる。葛西作品の中でも特に書体が美しい作品。文字の大きさ、字間、組み方、置き場所すべてが考え抜かれた結果、これ以上でもこれ以下でもない答えを提示しているようにおもえる。
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MY FIRST DESIGNERたちとの会話でしょっちゅう名前があがっていたのは葛西さんのほかサイトウマコトさん、松永真さん、細谷巌さん、浅葉克己さん、奥村靫正さん、井上嗣也さん、戸田正寿さんでした。
ちょっと調べたところでは、みなさんご存命でいらっしゃいます。一方で同時期に名前があがったコピーライターの土屋耕一さん、岩崎俊一さん、眞木準さん、梅本洋一さん…みなさん天に召されてしまいました。
その事実を知ったとき、デザイナーがちょっとうらやましくおもえました。クリエイティブの世界だけは、重鎮がいつまでも重鎮らしく、ドカッと漬物石のように業界に睨みを効かせていていいと、ぼくはおもうのです。
そうして、葛西さんにもこれからもできるだけ長く、第一線でなくてもいいので表現世界で腕をふるいつづけていただきたいな、と願うのです。