【広告本読書録:115】私、誰の人生もうらやましくないわ。
児島令子 著 パイ インターナショナル 発行
と、いうわけで昨年11月に更新したきり5ヶ月も放置してしまっていた広告本読書録。いよいよ満を持して児島令子さんの言葉集を取り上げます。
いま、言葉集といいました。
その昔、コピーライター黄金時代と呼ばれていた1980年代前半に広告批評から出版されていた伝説の「全仕事」シリーズ。ぼくが駆け出しだったころなどそれこそ穴があくほど読んだ、正真正銘のバイブルです。
もちろん広告本読書録でも取り上げています。
児島令子さんの『私、誰の人生もうらやましくないわ。』はまちがいなくこの系譜に連なる書籍といえるでしょう。
だったら全仕事とか作品集とか、そういう紹介の仕方をしたっていい。だけどあえて言葉集と呼ぶのには、わけがあります。それは児島令子さんがそれまでのコピーライターとあきらかにちがう、オリジンな存在だからです。
独立までの道がちがう
コピーライターといえばフリーランス!が定説だった時代。明日のイトイを目指す若者は比較的ランクの高い大学を卒業し、電博あるいは読広、第一企画、旭通信社といった大手代理店に入社します。すみません例えが古くて。
クリエイティブ編入試験を経て制作部門に配属され、売れっ子クリエイターが在籍するチームに潜り込めればしめたもの。
2~3年でTCC新人賞、5年以内にクラブ賞(最優秀賞)を獲得。その実績と栄誉をひっさげて独立、というキャリアビジョンが一般的でした。だいたい10年弱経験を積んだ後に自らの事務所を立ち上げるというのがエリートコースだったわけ。
しかし児島令子さんはちがうんですね。
まず大学卒業後は一般企業に就職。働きながらコピー講座に通ったそうです。その後25歳で広告代理店に転職。コピーライターとしてデビューします。ここまでは、まあ、割とよくある話です。
しかし、あろうことか児島さん、1年後にいきなり独立しちゃいます。
おいおいおいおい、おいおいおいおい。グラップラー刃牙第一話に出てくる空手家ばりのツッコミが入るところです。
しかもまったくの無名でなおかつ無冠。こんなことは、それまでのコピーライター界ではありえなかったことです。無謀です。
でも児島さんは、やった。まだ何者でもない状態で独立し、コピーライターの名刺を刷って、自分の足で歩きはじめた。
ぼくはその話を聞いたとき、ずるい!とおもいました。そんなんありかよ!とおもいました。だってぼくがこんなにしんどい目に遭いながら、なおかつ挫折しちゃってるのに。ぼくだって独立して名刺刷ればよかった。
そうなんです。自分もそうすればよかった、とおもうようなことをやってのける人こそが成功するし、生き残れるのです。仲畑さんが作品がない駆け出しの頃、全15段の新聞広告のキャッチを切り抜いてそこに自分のコピーを書いたという逸話は有名ですが、あれとおなじ。
むしろ、クリエイティブな仕事をイキって目指していた割に、誰かが敷いたレールにのっかろうとして脱線したぼくが、いかにノークリエイティブだったか。
天才は、はじまりからして人とちがう。
まさしく児島令子さんのことです。
コピーづくりのお作法がちがう
ぼくが駆け出しのころ、口酸っぱく言われたのが「ターゲットのことを考えろ」「ターゲットの気持ちになれ」でした。そして苦しくて苦しくて、もう息ができない!というところまで書け。もう書けないところから、一本をひねり出すんだ。そこに本物のコピーがある!と教えられました。
それはまさに、コピー道。武道を究めるように艱難辛苦を乗り越えた先に輝く珠玉の一行。コピーとはそういうものだ、と信じていました。
しかし児島令子さんはちがうんですね。
児島さんのコピーづくりのモットーは「毎日楽しくコピーを書く」です。それは独立当初からいまだに変わっていないといいます。
おいおいおいおい。おいお(以下略)
しかもターゲットの気持ちになって書くのには無理がある、と児島さん。そんなにカンタンに他人の気持ちなんてわからない、といいます。うーん、ごもっとも。
無責任に他人の気持ちになるよりも、自分の気持ちをとことん掘り下げたほうがいい。
そうだよな、誰だって自分の気持ちには正直になれるもんな。それは俺だってそうだ。
なおかつ児島さんは「どんな仕事も自分の土俵で勝負する」「書けないことを書かない」「誰かの代弁者になるのはしんどい」「コピーライターはイタコじゃない」「企業と商品と自分の接点を見つけて自分の気持ちで書こう」「根性論でいいコピーは出ないよ」などなど、ぼくがボスや先輩から仕込まれたことの正反対のお作法で名作コピーを量産します。
そして、こうやって文字にするといかにもお気楽ににコピーを書いているようにおもえますが、よく考えるとこれがめちゃくちゃ難しい。
だって、どこまでも自分を耕さないといけないわけだから。自分の考えや感覚をメーカーやプロダクトに込められた思想と同じレベルに持っていき、なおかつ多くの人の「そうそう!」につなげなければいけないのだから。
だけど、それまで「こうやればコピーが書けるようになる」と言い伝えられてきた王道のやり方とは明らかに異なる方法論、独自のスタイルで、児島令子さんはコピーライティングという仕事を楽しんできました。
ぼくはそのことを知ったとき、またもや、ずるい!とおもってしまった。そんなんでいいなら、ぼくだってやるわ、と。
じゃあやればよかったじゃん、俺。
なんでやんないの、俺。
そういう話なんですよね。
ゆえにコピーそのものがちがう
キャリアの積み方も、コピーの書き方も、それまでの王道や常識、定石とされていたものとまるで異なる道を歩んできた児島令子さん。
当然のことながら、実際に手掛けられるコピーの顔つきも、斬新なものが少なくありません。斬新、というとアバンギャルドみたいにとられるかもしれませんが、そうではなくて、なんというか型にはまっていない。いかにもコピーでござい、というフォルムではないのです。
いくつか印象的なコピーをあげましょう。
別ヨ。
(全日本空輸/2000年)
This is
わからん人にはわからんぞ物体。
(パナソニック/1997年)
あした、
なに着て
生きていく?
(ストライプインターナショナル/2010年)
死ぬのが恐いから
飼わないなんて、
言わないで欲しい。
(日本ペットフード/2003年)
のびのびしています。どれも生の言葉たちです。いわゆるコピーコピーしていないの、わかりますよね。
しかもどの広告も、児島さん自身が言っているように、きちんと企業と商品と自分の接点を見つけて、自分の言葉で書かれています。
そんな児島さんのコピーはキャッチコピーだけでなく、ボディコピーにもダイヤモンドが埋め込まれている。
たとえば「死ぬのが恐いから…」のボディコピー。一部引用します。
普通の一流コピーライターなら「すごく生きている。」で終わる。すごく生きるなんて、じゅうぶんキャッチーな言葉だから。ところが児島さんは「すごく生きているよ。」と続ける。この「生きているよ。」の「よ」が効いています。海老の尻尾理論の体現です。
児島令子さんはおそらく、コピー以外の分野に進まれたとしても、その類まれなる才能をいかんなく発揮したことでしょう。
それはこの本におさめられているコラムからもうかがいしることができます。たとえば本書タイトルの「私、誰の人生もうらやましくないわ。」について書かれたコラム。
このコピーが生まれた背景について語られているのですが、中身は割愛します。最後のブロックが沁みる。
いかがでしたか。ぼくがこの本のことを全仕事とか作品集ではなく言葉集とした理由がなんとなく伝わったでしょうか。
そう、ここに収められている60本以上のコピーは、コピーである以上に児島令子さんの生の言葉として、嬉しいや切ないや戸惑いや頑張るを、あますところなく伝えているのです。
児島令子さんは、コピーライターかくあるべき、を壊してくれました。コピーライティングはこうじゃないと、を崩してくれました。
そしてその先に、コピーライティングに必要なことは人間としてごく当たり前のことなんだよ、と灯りをともしてくれています。
すごい人です。
すごい人と同時代を生きていられるというのは、メインストリームから遠く離れた辺境のコピーライターにとっても、これ以上幸せなことはない。
私、児島令子さんの人生がうらやましいわ。