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営業的なもの:日報とはなんぞや

この世にはびこる営業的なもの。

それは時に滑稽で、時に信仰の対象になりうる。

営業的なもの。

最近ではすっかり影を潜めつつある、ようですが、いやいやどっこい私たち勤め人の価値観にはうっすらと営業的なものが刷り込まれています。インプリンティングというやつです。地味に洗脳されています。

そんな、超営業的現象を探る連載の第3回。今回はあなたの会社でも、っていうかあなたも日々せっせと書いているかもしれない「日報」にメスを入れて考察してみます。


まったくの筆不精であった僕は昔から何かを定期的に書くという行為が大の苦手であった。そんな人間がよくコピーライターになりたいと思ったものだと自分でも不思議に思う。

幼稚園時のれんらくちょうにはじまり、小学校時代の夏休みの絵日記、交換留学生との文通。読書感想文も卒業アルバムに寄せる作文も、寄せ書きですら嫌いであった。

唯一、中学の頃のクラスメイトとの交換日記だけは熱がこもった。珍しく続いた。しかしそれは恋心という名の下心によるものであり、決して筆まめになったわけではなかった。

そんな人間がまさか社会に出ていきなり強制的かつ定期的に文章を書かされることになるとは。

それが

日報

であります。

制作部門コピーライター枠はとっくに大卒で埋まっていたのに、常務と営業本部長の目論見からアルバイトで拾ってもらい、そのまま新卒研修に組み込まれた僕。出社初日からよくわからない営業のようなことをやらされて、一日クタクタになってさあ帰るか!帰りに駅前のションベン横丁で一杯やっか!みたいな気分でそそくさと帰ろうとしたとき。

「おいハヤカワくん、日報は書いたか?」

キツめの栃木弁で呼びとめられた。

え?なんすか?日報て。

どうやらこの会社は一日の仕事の終わりに日報というものを書いて上司に提出するらしい。それをやらないと帰ってはならぬ、という鉄の掟があるという。

なんだそれ?幼稚園や小学校低学年のガキじゃあるまいし。日報の意味や意義、目的を正確に理解していなかった(つまり馬鹿です)僕はかなり呆れてしまった。呆れて適当に思いついたことを書き連ねた。

翌日の朝礼。営業本部長が苦い顔をして日報とはなんぞや、ということについて30分にもわたって講釈してくれた。美大卒で美人のゆきちゃんが話の途中で貧血で倒れた。僕のせいだ。ゆきちゃんのためにも今日からきちんと書こう、と誓った。


その会社では制作部門でも日報を書く習わしがあった。ネットはもちろんパソコンもワープロすらない時代だ。みんなタイトルや枠がそれっぽく敷かれている日報用紙にカリカリと鉛筆で書いていた。日報を書き始めると「おっ、今日はもう帰るのか?」なんていう、いまならキタハラ(帰宅ハラスメント)と糾弾されてしまいそうなやりとりがあった。いい時代であった。

営業研修時代に教えてもらった日報の意味とは、日々現場を飛び回る営業メンバーが最前線でキャッチアップした情報、自社サービスへの顧客の声、競合情報、マーケット情報をデスクワークに勤しむ上司に報告する、というものだった。

それを理解してからというものの僕も一応は、デスクにふんぞり返っている営業本部長の役に立ちそうな情報を、とリアルな顧客の声をお届けすることにした。

「求人広告なんか効果でないから張り紙にする」
「求人広告に出すぐらいなら新聞に出すよ」
「求人広告の営業は出入り禁止にした」
「求人広告は…」

あまたの求人広告に対する罵詈雑言を日々報告するうちに、営業本部長からハヤカワくんはもう少し有益な情報を報告するように、と釘を差された。一方で営業部期待のホープとされていたアズマくんはこんな日報を書いていた。

「本日、訪問先の電子機器製造会社にて、君は若いのになかなか見込みがある。求人広告はこれから君に頼むことにすると言われた。<受注>フロムエー年間契約:150万円」

朝礼でこの日報を朗々と読み上げた営業本部長。その表情は誇らしげであった。ちなみアズマくんは半年後、この会社に転職していった。南無。

そんなだから客先訪問する機会がさほどない制作部門(当時のリクルート系代理店では取材に行く暇があったら一本でも多く原稿を作れという思想であり姿勢であった)で日報を書く意味は果たしてあるのか?と思っていた。

しかし先輩方やリーダーの日報をのぞいてみると、それなりに意味のあることが書かれている。

曰く、ハヤカワの育成方針に頭を悩ませている。曰く、ハヤカワは本当に適性があるのだろうか、いくら人不足でも適性のある人材を採用してほしい。曰く、どうすればヒロちゃん(僕のことですね)に正しい日本語を教えられるだろうか。

僕は先輩方の日報を見るたびに深く落ち込み、のち奮い立たされることになる。

これじゃまるで日報の役割が逆転しているじゃないか。やれやれ。


やはり日報というものは営業的な環境に最適化されているんだな、とあらためて実感したのはそれから約10年後インターネット求人広告メディアに入社してからだ。

その会社も出自はリクルートの代理店だったことから、当然のように全社員に日報が義務付けられていた。ただ僕が入社した時はまだ独立したばかりで社員数も20人に満たず、常時雑多な転職者を受け入れる状態。そうなると社内はいろんな社外からの文化がぶつかりあって割とカオスになる。

僕はいちばん最初の会社が同じくリクルート代理店だったので特に違和感なく、その会社のお作法やしきたりを受け入れられていたが、中にはまったく理解できないナンセンス!と営業的な風習のすべてにアレルギー反応を起こす社員もいた。

成り行き上僕が仕切ることになった制作部門などその最たるものである。入ってくる新人はどいつもこいつも冒頭の僕よろしく、は?日報?なんすかそれ?なのである。

そうするとまあ、中身のないスッカスカの日報ばかりになるわけ。それはそうだろう、いくら時代が進化し、紙からネットへと情報発信の主戦場が移ったとしてもリクルートイズム(=営業魂)は変わることなく、つまり制作マンは客先に行く暇があれば一本でも多く原稿を作れ、という思想であり姿勢であるからだ。

いいですか、冷静に考えればわかると思うのですが、世間知らずのコピーライター風情が日がな一日営業マンと打ち合わせしては原稿を書いて修正対応して入稿して、というルーティンの中から上司の胸を打ったり、ハタと膝を打たせたり、くわと開眼させるような気づきを与える報告なんてできるわけないじゃないですか。

そのうち僕は(ううむ、この不毛な風習をなんとかしたい。なんとかせねば。あきすとぜねこ)と考えるようになり、ある日まずは自分から、と意を決してあることに取り組み始めた。

それは日報の機能、効果、目的をまるきり正反対にすること。

具体的には僕が日報の場を借りて、求人広告のつくり方を毎日小出しに連載していく、という企画である。メンバーの日報はそのレクチャーから得られた学びを書けばいい、というルールにした。学びがなければどんな内容だったか、あるいは単純に感想でもいいということにした。

ちょうどその頃、僕が面倒を見るコピーライターの人数が30人を超えたぐらいで、それまでやっていた一子相伝みたいなコピー技法の伝授ができなくなりつつあった。

そういう背景もあって、そうだ、日報をラジオ番組みたいにすればいいんじゃね!とひらめいたのである。そのほうがよほど意味があるんじゃないかと。書く僕も、読むみんなも。

これはなかなかおもしろかった。途中から「萬流コピー塾」のようにお題を出して、翌日の日報でメンバーから作品を集め、そのまた翌日に講評するというインタラクティブな場にもなった。

なんか、このときに日報を営業的なものから奪取したような気がする。この企画は好評で1年近く続いた。2年目もやろうと思ったがネタが尽きた。あと飽きた。

まあ、でも、とはいえ、本日も日本中の会社ではいわゆる営業的な日報が飛び交っていることでしょうね。なんだかんだ営業界隈は平和です。


実はこの話にはおまけがあって(と、いうより本編がすべておまけではないか疑惑もありますが)このときの日報の内容をまとめて一冊にした本があるんです。

本といってもKindle本なんですが、それでも当時(2013年)はまだKindle本は世の中に出はじめたばかり。やっさん福ちゃんという同僚の手を借りながらやっとこさ形にしたものでした。

しかも、その時点で10年前の内容ということは、日報を教育ツールにしたのは2003年だったんですね。もう21年も前。思えば遠くへきたもんだ。

それがこちら『早川博通のコピー道』です。

今回のnoteを書くためにひさしぶりに読み返してみたんですが、熱いです。求人広告制作への愛情が詰まっています。そして文体を見るといまとまったく変わっていません。つまり成長していないってこと?いやんなっちゃうなあ、もう。

発売当時は一冊600円で販売していました。いまは0円で購入できるみたいです。600円でご購入いただいていた方、その節はお世話になりました。新しくこの本を知った方でKindleのライブラリに入れてやってもいい、という奇特な人は無料みたいなのでポチってみてください。

なんか営業的なものの象徴として取り上げるつもりだった日報でしたが、僕のKindle本の営業みたいなことになってしまいました。すみません。

私、すぐ謝る。
インディアン、嘘つかない。

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