国会図書館へいこう
AI、使ってますか?
最近あちこちで「セコムしてますか?」とでも言わんばかりにAIの活用が礼賛されています。僕もChat GPTやGeminiを発想のうんと手前のところやアイデアの壁打ち相手として使う場面が増えています。
特にGeminiは言葉がより滑らかであり、まるで本当に中の人がいるかのようなナビゲーションをしてくれるので、用もないのに「よう」と声をかけることもしばしば。
近づいてきてんなあ、AI。
そんなふうに思います。
そしてそんなふうに思うとともに、心のどこかでなんともいえない抵抗感というか、この流れにやすやすと乗ってしまうことへのなんとはなしの危機感のようなものを覚えてもいます。
こんなときはどうするのがよいか。
つかえ、つかえ、からだをつかえ!
と、いうことで、
(おうおうオイラも似たようなモヤモヤを抱えているよさ…)
という日本全国約5800万人にものぼるご同輩や諸先輩に向けてわたくしは国会図書館の利用をおすすめするものであります。
国会図書館とは
国会図書館とはなにか。以下、Geminiパイセンに質問を投げたらものすごく細かく丁寧に教えてくれたのですが、長いし(1500文字ぐらい)いらん情報もあったのでゴリッと要約します。
国会図書館とは日本の全ての出版物が収集されていて、貴重な資料もたくさん所蔵している情報のパラダイスです。国会議員でなくても満18歳以上のすべての日本国民が利用できます。また外国籍の方も利用できます。
(ただし書庫内の資料の利用には登録が必要だったりするので詳しくは国会図書館のHPをご覧ください)
ポイントは国内で出版されたほぼ全ての出版物がある、というところ。その数なんと東京本館だけでも12,000冊!発売禁止や絶版本もございます。さらにデジタル化されているものもあり、もはや印刷・出版された情報でアクセスできないものはない、といえるでしょう。
ここで一次情報にあたると、わかってくることがあります。
それはインターネットで得られる情報や知識はほんの断片的な、一部の塵芥でしかないということです。もちろん最近ではネットでも網羅性が高まってきてはいますが、それでもある一定のジャンルに限定されがち。
やはり専門書として出版されたものはその前後の文脈も含めて深く、奥行きがあります。デジイチ使ってRAWで撮影するのとスマホでパシャるのとぐらい違います(全然違うよね?)。
それをそのままアウトプットするには消化が悪いので一度咀嚼して吐き出す。ここにライターの介在価値があるのかなと。それをさらに噛み砕いたものがネットだ、とあくまで個人的に思うのですがどうでしょうか。
気軽に使えます
もちろん専門的な調査や探求以外にもカジュアルに利用したっていいんです。館内では難しそうな専門書を山のように積んで、なにやらカリカリ書き物したりパソコンに入力している人もいます。
それを見て(あ、やっぱスタバでMBAを開いてドヤリングしている輩とは住む世界が違うんだ…)と怯む必要はありません。
ぼくも最初はビビリマクリマクリスティだったのですが、深呼吸して落ち着いてよ~く観察してみてください。
漫画読んでる人もいます。週刊誌読んでる人だっています。館内据付の端末と格闘している人も画面に写っているのは30年ぐらい前の週刊文春がデジタル化されたものだったりします。
そうなんです。国立国会というネーミングに気圧されてしまいがちなのですが、利用の目的は広く開かれているんです。
なにもみんながみんな、難しい顔をしてオスマン・トルコ帝国の収税政策について調べているわけではないのです。みんながみんな、国立国会図書館サーチの書名検索窓に『オスマン・トルコ帝国内における非納税運動とその弾圧について』と入力しているわけでもないのです。
安心してください。
安心して『ビジネスジャンプ1985年12月号』をじっくりと閲覧し、一本包丁万太郎の名台詞「うんこの香りだあーっ!」が単なるコラ画像であることを掲載誌で確認してください。
手間はかかるよ
ただしこの国会図書館、利用は決して楽ではありません。もちろん艱難汝を玉にす、というほどの難易度ではありませんが、ここまでなんでもかんでもスマホでポチポチやる習慣が身につくと、ハードルの高さを感じてしまうのもやむなしかと。
まず永田町に足を運ばないといけないですね。
世の中に永田町にお勤めの方もそりゃいらっしゃいますでしょうが、なんとなく地下鉄というよりは黒塗りのハイヤーや社のロケバス、あるいは白と青の特別警備車あたりが幅をきかせているような気がします。
国会図書館に行くには永田町の2番出口が最寄りなのですがなんとなくうすら暗いです。そして地上に出てから信号をわたってなだらかな坂を下るんですが、これまたなんとなくだるいゾーンに感じるのは僕だけでしょうか。
おかげで夏場は本館に入っても汗が引かず、新館でしばらく涼んでからでないと本を探す気にもなりませんでした。
情報やら知識やらいろいろあるかもしれませんが、やはり健康と体力は何よりの宝だなあ、運動しなくちゃなあ、血圧も気にしなきゃ。といろいろ反省させられます。
初めて訪れる方は本館の受付で「あの…はじめて利用するんですが…」と自信なさげに申告してください。とてもやさしく利用者登録について教えてくれます。そこであなたはここ本館ではなくちょっとだけ離れた新館に行くべきだったことに気付かされます。
晴れて利用者登録できたとしても館内に入るにはもうひとつ関門があります。ロッカーです。バッグや紙袋などは図書館閲覧で必要なもの以外すべて入口のロッカーに入れなければなりません。
ロッカー前にかかっている白いビニールの手提げをとって、ロッカーの前でPCやタブレット、筆記具、お財布など必要なものを詰め替えます。
そう、館内には私的な袋ものは持って入れないのです。盗難防止の観点から当然なのですがお財布など忘れてしまうといざ複写を取ろうというとき「はっ!カネがない」となるので要注意です。
館内には至るところに端末があり、利用者カードをリーダーの上に置けばいつでも誰でも利用できます。端末を介して読みたい本を探し、貸出なり複写なりの依頼をするシステムです。
最初ちょっと戸惑うかもしれませんがなれるとめちゃ快適です。がんばりましょう。
もちろん館内は私語厳禁ですが、だいたいみんな一人で来館しているので特に困りません。中にはサークル帰りの大学生カップルも見受けられますが、こんなところでデートをするぐらいですから品行方正な番ばかりです。
優しさにふれる
実は僕は人見知りで、初めて行く場所や行き慣れていない場所、格式や品性が問われる場所では極度に緊張する引っ込み思案なタイプです。
こう書くとリアルで僕のことを知っている人は「はっ、なにいってんだか」と呆れるかもしれませんが、そう思われるだろうなあと想像するたびに因幡晃の「わかってください」のサビが頭に浮かびます。
なんども足を運んでいるはずなのに、そして気楽な使い方(ばかり)しているくせに、国会図書館は僕に一定の緊張感を持って接するように無言で迫ってきます。
だからいつも借りてきた猫(ところでなぜ猫を借りることがあるんでしょうか)のように大人しく、図書館員のみなさんに怒られないように気をつけて行動をしています。
しかし、そんな僕のビビリバイブレーションが伝わるのでしょうか。図書館員のみなさんはとても優しいんです。うっかりミスやおっちょこちょいも柔らかい笑顔で包んでくださいます。
ついせんだってもうっかりペンを忘れて館内に入った。しかし資料複写申込書に必要な情報を記入しなければいけない。あわててキョロキョロすると図書館員さんの座るカウンターにえんぴつが置いてある。
「必ず返却してください」の文字にビクビクしながら蚊の泣くような声で「すみません…鉛筆を…お、お借り…」と懇願すると明るく笑顔で喰い気味に「どうぞ!」と促してくれました。
もうこれだけで僕なんかまいっちゃうのね。最高にやさしいじゃんね、国会図書館のおねえさん。次の人生ではぜひ妻として娶りたいものだ…と思いました。
またある時は傘の鍵とロッカーの鍵を間違えて「963、963っと…あれ?ロッカーに900番台なんかない!600番台までしかない!あわわあわわ」となり、まるでトワイライトゾーンに迷い込んだかの如く前後不覚な状態で傍らに佇む図書館員のおねえさんに「あわわあわわこれロッカー900番台なんかないんですけどこれはいったい」とロウバイしつつ尋ねると、ニコッと笑顔で「あっ、これは傘の鍵じゃありませんか?ロッカーの鍵は別にお持ちでは?」といたって平静に、かつ優しく対応いただけました。
「あっ、あったあったありましたありがとうございます!」とズボンのポッケからロッカーの鍵を出して子どものように喜ぶ僕。あと5年で還暦だぞ。しっかりしろよな。
その時僕は思いました。
世界中が国立国会図書館だったら戦争なんて起きないのに。
と、いうことで、国立国会図書館。いつか行ってみよう、と言う人にいつかは一生訪れないので、ぜひ明日にでも足を運んでみてください。
行ってよかった、利用してよかったと思うこと間違いないです。
帰りは地下鉄永田町駅構内のCafé & Bar T-Crossingで『永田町ハイボール』をいただきます。そして図書館独特の紙の匂いを思い出しながら、ひとりでクスッと笑うのです。結構いい趣味だと思うんだけど。