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未来の自分に夢が持てますか?期待できていますか?

ほのかにでも、描くこと、それから希みを持つことだけは
その手で、この手で棄ててしまいませんように。

目隠ししても、仲良しの仲間とみんなで一緒に手を繋いで、暗闇を1歩進む感覚を
忘れずに、感覚として肌に呼び起こしながら、たとえそれが架空でも、
綱渡り期は「落下」だけしなかったらいい、進まなくてもいい。
そう思ってみようと試しています。

イメージトレーニングと思えば最高かもしれません!

きっと、幸せな想像力は、あらゆる面で良い効果を奏でてくれます。


弱り目に祟り目とよく言ったもので、なぜか急病に引き続き怪我までしました。家族も周りもそのようになっています。少し前に身内の看病・お見送りをしました。かなりの年月を……。初期から数えると結局20年近くは拘束されたような不自由がありましたが、費やし、そして看取ると、こう家族側に出て来るのだなと実感しいています。

介護その後に、自分たちが壊れがち。ここまで含めて視野にいれ、ケアする前提が必要とは知りませんでした。大事なことです「after家族にキマス⚡️❤️‍🩹」
周囲には子供の世話をしながら親や祖父母の介護、看病をする人が多く、兄弟があっても全員がローテーションや分担で看る・お世話するよりも「1人に覆い被さる」方が傾向としては強いように見受けます。
兄弟や親戚の複数ある方は、せめて資金援助をしなくてなならないように思います。口出しはするけど一切、実際的に手伝わない人が多く驚きました。
私の身内の、こちらは家族順次早逝が多かったため、ラストのお仕事。そんな感覚でやり遂げましたが、人によっては、自身の親戚や家族構成、そこにパートナーのある方はそちらの親戚や家族・兄弟のありようを事前に考慮してからでないと「親戚付き合い」で済むようなお話でない『更なるもの』がやってきますね。
個人的には良い勉強になりました。
周囲に見え隠れする凄まじきものとしては、障害児を抱えて高齢の家族の介護をするため、その子供を一時的に施設に預ける手続きをしている、そんなお母様にも出会いました。
その逆転だけは世が強いてはいけないと思うので、社会の毒になるものや家族の結びつきを阻むものや健康を害するほどにくる圧力は互いに共有し、その課題を共に掲げながら、一緒に考え解決に届くよう、そうして歩みを分かち合いたいです。
板挟みになっている人間ほど、怪我や病気をしているものです。それも往々にして重症になったままで。1人に強いる現状を全く知らないという方は、このような時代にあってもはや0人でしょうけれど、知らないとなると周囲の誰かを潰している可能性も否めないかもしれませんね。前方不注意になりませんように。

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