思いがけず届いた過去からのメッセージ
みなさんこんにちは。あしざわのりこです。
今年のバンクーバーは気温が低くて、セーターをなかなかしまえない春でした。
それでも季節は移り変わり、よもぎは茂り、葉桜の季節になり、ハナミズキの花が彩を運んでくれています。
当たり前だけど、時間は流れているんですね。
地面の下でも、地面の上でも。
今回は、先日起こったちょっと不思議な出来事を、皆さんに聞いていただきたいと思います。
さゆりさんのバンクーバーでの親子教室ひよこクラスが、残すところ後2回で今期を終えようとしています。
長年勤めた職場の退職、親子教室の終了。
今、彼女は身辺整理と言いますか、一つ一つの事柄を”閉じていく”という作業に向き合っています。
たくさんのTo Do リストをこなしながらも、目の前に心を置こうとしているのが隣で見ていてわかります。
そんな中、必要な人へ読んでもらいたいと絵本やシュタイナー、子育て関連の本を整理し、親子クラスの皆さんを対象にチャリティ古本販売コーナーを作りました。
その中にふと目についた本がありました。
北海道のひびきの村の元代表で、シュタイナー教育に関するたくさんの著書を出されている大村祐子さんの本でした。
”人はなぜ生きるのか” シュタイナー教育が目指すもの
そう題された冊子を手に取ってさゆりさんに言いました。
『これ、私読みたいなあ、この本私が買わせてもらうわ』
『それだったら、法子さんにその本あげるよ』
というわけで、この二冊をいただいて
寝る前にページをめくっていました。
読み進めていくと、とあるページにコピー用紙が折り畳まれて挟まってました。
『あら、さゆりさんのメモ用紙が挟まったままだった』
そう思って広げてみたら
”わたしたちが確かめあい、これからしようとすること”
と言うタイトルの議事録のようなメモでした。
シュタイナー土曜学校を作る会
とあるので、白山ウォルドルフコミュニティを進めていく上での
さゆりさんのアイデアのメモ書きみたいなものかと思いそのまま畳んで
次の日、ひよこクラスに持っていきました。
『いただいた本の中にこんなメモが挟まったままだったよ、気が付いてよかったねー』
っとその紙を渡したら、さゆりさんが
『なにこれ、知らない。私のメモじゃない』と言い出したのです。
そこには
1999年9月25日と言う日付が書いてありました。
今から23年近く前です。
そしてそれを作った人の名前は一切書かれていない UNKNOWN(名無し)の議事録メモだったんです。
続きます。
続きです。
聞くと、その本はさゆりさんが10年ほど前に中古でまとめ買いしてカナダまで持ってきた本の中の一冊だと言うことでした。
ただ自分が読んだときもそのメモには気が付かなかったし
その後、幾人かに貸出したけど誰もこのメモに気がついていなかった、とさゆりさんは言います。
私たちは、その議事録を読みました。
どうやら23年前にとある場所にとあるグループがあり、シュタイナー教育を望む保護者と、保育者、教育者が『シュタイナー土曜学校』を作るために
時間をかけて、なにを求めてなにを学ぶべきかの話し合いがなされているようでした。
そこで確認できたこととしてこうあります。
『講座出席などによる親の学び、こども達向けの芸術教育、オイリュトミー教室などの体験からさらに一歩進めたこども達のための場所が欲しい』(抜粋)
そしてこの共通確認をもとに具体的になにをしたらいいのかグループでの話し合いの中で出された意見が綴られています。
その一つ一つが、まさに今の私たちに向けてのアドバイスかのような内容で、私たちは驚きました。
そして、おそらく白熱した(?)議論の末、以下のようにまとめられていました。
シュタイナー教育に関心があり
シュタイナーの思想、理念をもっと学びたい気持ちがあり、
シュタイナー教育の実践の場として土曜学校を作り、
こどもを参加させて、運営に協力する親などが中心となって、
いつから、どこでどのような方法で誰を対象に行っていくか決める時が来ました! (抜粋)と。
意気揚々とした希望と意志にみちたまとめの言葉とともに このグループ名を『作る会』から
『シュタイナー土曜学校運営会』と移行すると宣言しているのです。(胸熱)
さゆりさんが中古で買ったこの本の元オーナーさんが関わっていたであろうこのグループと
時空を超えてつながったような不思議な感覚でした。
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話は少し変わりますが
2022年下半期「まなびの庭にじと白山」は、これまで講座で続けてきた学びをさらに一歩進めて、シュタイナー教育を実践する上での必読書とも言える『霊学の観点からの子どもの教育』と言うシュタイナーの著書を皆で読みながら、さらに深い学びにつなげるという形にしてみてはどうかと言う話し合いがなされていました。
この一年半の講座を通して共に学んできた皆さんと、シュタイナー教育の観点から見たこどもの教育を学び合う読書会/勉強会という形態に変わることにちょっとした躊躇もありました。
理由はなんと言っても日本とカナダの時差の問題です。
読書会とは、同じ時間に集まって同じページをめくりその内容を深めていく会です。
私もいくつかの読書会に参加していますが、録画参加だと受け身になりがちだなあという感想もあったりします。
ただ、この本は、一緒に読み・共に学びあうことで、素晴らしい叡智が得られることだけは確信していました。
そして、まさにこの日に読んだ議事録の一文に、私は鳥肌が立ちました。
『いずれその思い(学校を作る)を現実的な形とするためにも、まずはコンスタントに共通した親の学びが必要であるとのことで、毎回会合の前半を使って読書会も始まりました
*霊学の観点からの子どもの教育 シュタイナー著(抜粋)』
なんと、数あるシュタイナーの本の中から、同じ本を読書会の学びの本として選び、当時の親と教育者は共に学び合っていたのです。
私とさゆりさんは、鳥肌が立つ思いでした。
1999年9月にシュタイナー学校を作ろうと頑張っているグループがいた。
そして、学びの一歩として
同じ本の読書会を行なっていたという偶然。
”Zoomでの、霊学の勉強会。やらないチョイスは、もうないよね?”
そもそも、私たち白山ウォルドルフコミュニティは、パンデミックの中で生まれ、オンラインで繋がり、
形にとらわれず自由に歩みを進めている学校です。
オンライン読書会(オン読)やろう!
そう後押ししてもらった気分でした。
このグループの方々はその後学校を作ることはできたのかなあ。
23年前にこの本を読んでいた親、先生そしてその周りにいた子ども達は今一体どうしているのかなあ。
ちょうど、以前このnoteの記事で書かせていただいたお気に入りの本
『思いがけず利他』と言う本のことを思い出しました。
この議事録を書いた人は、誰かの役に立とうとこのメモを挟めていた訳ではなく、そんな意図はなかった。
ただそこには偶然性というファクターXが加わって、時空を超えて私の手元に届けられ、私たちに思いもかけない勇気を届けてくれた。
”We are on the right track”(うん、私たちはちゃんとやるべき道を歩いてる)そんな確信に似た決意を抱かせ、背中を押してくれた。
ファクターX。それは高次の世界からの導きのようなものかも知れません。単なる偶然ではなく。
見返りのない利他的行為は、日々私たちが一生懸命自分を生きていたらこういうふうに時間も土地も超えて誰かに届くのだというのを目の前で見せられた瞬間でした。
そんな不思議な体験話を定例のミーティングに参加したメンバーとシェアして、読書会を今後の「まなびの庭にじと白山」の大切なコンテンツの一つとしようと決定しました。
数にすると、たった60ページほどの本です。
自分で読もうと思ったら、読めると感じるかも知れません。
でも、読めることと理解すること、さらにはそれを実践につなげることは全くレベルの違うことです。
シュタイナーの言葉に耳を傾け、少しずつ意味を掘り下げていく作業は、鉱山でキラキラ輝く石を掘り出すかのような悦びに満ちたものになると私は確信しています。
皆さんと繋がれることを楽しみにしています。
P.S. この話を聞いて、この23年前のグループについてお心当たりのある方いたらぜひご連絡ください。
お礼をお伝えしたいです。