子供時代の影響力
写真を教えていて皆さん、感性が違うことに気がつく。そして我が自分のことも見えてくるのだ。
何年も前から訪れたかった長野市にある東山魁夷美術館。
なかなか毎回長野行きも撮影になってここだけを目的に訪れることができてなかったのだ。
東山魁夷は自分が生きてるうちに長野という地に作品を残そうと決めてこの世を去った。
出逢いは、子供の頃。
広島の福山という田舎町で、芸術や文化と言えるものが身近にはなかったが親がなぜだか? 倉敷や広島市や大阪にある美術館へ行くのに勝手に行かせてくれていた。中学生から一人で、友達とやら出向いたものだ。未だにその頃買ったポストカードが大事に箱の中に入っている。
今回東山魁夷の作品を何点もみて笑えたのが、自分の写真での表現、構図やら光や色が似ていたことだった。
子供の頃に経験した感性というものは、もの凄い影響力があるんだということ。恐ろしくも感じた。
怖いことの経験もすごく生涯残るものだ。
しかし、親が何を選んで何にお金をかけて育ててくれたか?無意識に影響してる。大人になり、親の嫌なところも似てくるのもそんなことかもしれない。
「風景は心の鏡」
という言葉を東山魁夷は残していた。
はっとした!
写真でも何を見せるか? 何を切り取るか?その人次第なのだ。
よく写真家で風景を撮るんですか? 人ですか?と聞かれるが
私はどちらも撮る。しかし人や生き物を撮る方が表情があって好きなんだと思っていたが。
風景だって何かが心に響くからシャッターを押してるのだ。
私の心の鏡だったのか!!
我が心が共鳴してるからシャッターを切るのだろう。鏡か!
まさに。。。。
遠くまで行かなくてもいい。綺麗なお花を育てて咲く花を見るのもいい。この時期は満開の桜を家族で見に行くのもいい。菜の花畑でお弁当を食べるのもいい。できる身近な自然界との触れ合いを増やしてあげてほしい。
子供の頃にしかしてあげれない親の愛がそこにはあるのだ。
私の冒険心も、父が貿易の会社して世界を見ていたから 小学生の時に
「大きくなったら世界を見よ、アメリカに連れて行ってやるな」と言って、早々と11歳の時に病気で亡くなったが。この言葉もずっと未だに私の細胞にある。
初めて自力でアメリカ大陸の上をフライトした時、涙が出たものだ。
東山魁夷の 「道」という作品は有名だ。この作品は東京の美術館にある。子供の頃見て、ずっと本物をこの目で見てみたいと思っていたものだ。 写真を撮るようになって、私の残してる作品の中にも 常に道をテーマにしたものも残していってる。これはまさに影響されてるものだ。
子供ながらにも、悩んだり苦しんだりした時に このポストカードを見て、励みになっていた。どんな時も道があるんだと。。。
今回59歳の誕生日にうちの人が私がずっと気にしてた長野へ連れていってくれたのだ。
ありがとう。。。。少し気が済んだよ。
我が人生の道を振り返るのに。
そして、これから前に進むのに