感性と経験
人にはそれぞれの経験値がある
どの場所に生まれ、親も違い
自分で選んで生まれてくると そう思ってはいるが
なかなか、そうは思えないものだ。
住む家もない、空腹を満たすものもない
そんな環境で育った人もこの地球にはたくさんいる。
駆け足で書くが、自分も生まれ出た時は 運転手さんやお手伝いさんが何人もいた環境で、経営者とはいい時も どん底以下もあり 家、土地、全てなくなり最後は借金とりの怖さを知り、その挙句父は病気で10歳の時に亡くなり、母が一人で全く知らない世界で一から生計を立てて育ててくれた。
この頃、どれだけ世の中の不公平を感じたか?
神様なんてどこにいるんだ?
どれだけ、自分の環境を卑屈に感じたことか?
今だからこうしてかけるが、これも一人の人間の経験の中に染み込んでる感性でもあるのだ。
ましてや、よちよち歩きの時 家のためてある風呂に浮いて仮死状態、
また幼児の頃熱湯に沸いた ストーブの上のヤカンを体にかぶり生死をさまよう火傷
小学生で脳腫瘍と医者から言われ
大人になっても、いろんな病は続いてきたが
中学高校くらいになって、人はみんな育った環境が違うことがよくわかった。そして自転車で一時間かけて家に帰る通学路で川と山に向かって
何度も叫んだ記憶がある。
「神様なんているのか?」って
家の経済的な事情などで小学校も途中から離れた遠方に暮らすようになったが、学校は変わりたくなく遠くても通わせてくれた
しかし帰宅してから遊ぶ友達は 近所には誰もいなかった。
会社をまだ経営していたその頃は、事務のおねいさんがやってる編み物見て教わったり、たまたま家の前が 生花教室があり、お嫁入り前のお姉さんたちが通っていた
私は小学生だったが、そこに入り浸りで よく先生と裏山に入って 草木や枝をとってきて 一緒にいけたものだ
友達が遠くて僻んでいたが、今ではこの体験は自分の感性を作るもとになっていると深く思う。
自分が親になり またおばあちゃんにもなり、我が母親の強さを尊敬する。さすが身分の違う父と駆け落ちしただけあるな、この女性! って思うくらいだ
周りの子と比べると、悲しくなることばかりだったが
その時はわからなくても、後からそうものすごく後になって
意味のある経験をしてきた 一人の人間がこうしてここにいるんだと思えるのだ
自分ができなかったことを、我が子ができたらさせてやりたいと思い
そうやって命のつながりが、繋がっていくものなんだと
私のように突然 いろんな出来事の中で成長してきて いつ何があるか?わからない。。。どう状況は変わるかわからない!そう細胞に身についてるが
我が娘は逆に、計画通りに事を進むのを望んでいるようだ。
まあ、これからの人生の中で 何が起きてどう身の回りが変わるか? どう自分が立っていくのか?これから経験する事だろう。。。
よく写真の個展を通して聞かれることがある。
先生は人と感性が違う。。。これはどうやって? と聞かれるが
私が答えれることは ただ子供の小さなうちからいろんな経験や体験をさせてあげてくださいと。
それが世間から見たら不幸な体験かもしれない、悲しいことかもしれない
そしてうんと大自然の中や
空を見ることや。。。
勉学のようにこの本を読めばどうなるというものではない
子供は自分でそれはわからないが、大人は先に生きてきた経験値があるから我が子に対してナビゲートしてやることはできる
この地球に生きていて、地名や場所の名前があるが
実は空を見上げて 空の地名はない。。。
なんと、すごい人間が支配してない空間がある
自由な自由な 変化し続ける空。
まあ、人間が汚してきてはいるが
しかし、どんな時も特に悲しい時ほど 空を見たいと思わなくていい
チンアップ!
アゴをあげてみるだけで、自由な空間の空が観れるのだ
都会の真ん中でも、コンビニもない僻地でも、山の中でも、海の上でも
毎日親子で大地に寝転んで 空のアートを楽しむのもいい。
雲は流れて 犬の形や竜の形や ハートにもなる
ピアノが習えない買えない環境の人もいるだろう。
友達がやってたらやりたくもなる
でもそんな君だから できることもある
草木や石を拾って 音を出してみる
木によって音は違うものだ
親も、経済的にキツくできないなら 無理しなくていい。
親子で寝転んで空のアート鑑賞で 見つけたものを
紙に書き出してみてもいい
それを一緒にお絵描きしてもいい
そんな中で感性というものは
自然に身についていくものだと
子供にはあえて凸凹道を歩かせない大人もいる
でも、自分で経験しないと 痛みや 傷の治り方もわからないものだ
そして自分で予測して動くことも身に付く
感性は観察力の深さから身につくと感じてる
同じ体験しても 通り過ぎる人、そこで立ち止まって観察する人
これはどんな世界でも 生きていくのにプラスになるだろう。
自分で体験して 自分で感じて、自分で考える
教えてもらってばかりだと、人に頼ることばかりになる