『ひとが苦手』展へ行ってきました
こんにちは、薄明です。先日12/8、急遽思い立って名古屋でやっておられた小山ひときさんとツキノカホさんの二人展『ひとが苦手』(最終日)を見に行ってきました。この投稿はその追想であり、また自分自身の内省です。よって個人的な感覚による文章になるので、答え合わせのあるものではないものとお言葉をいただいてはいても、多分に得るものは少ないものと思います。あと、写真展そのものの感想は、今後なんらかの形にされるのかわかりませんし、あの一座によってのみ形を成すものかもしれませんので、あまり触れないかもしれません。
当日スケジュールは朝6時半頃金沢を出発、バスで4時間ほどで名古屋着。そこから栄に移動してギャラリーはほどなく見つかりました。幸い天気も良く、気温も高めで過ごしやすい一日でした。着込み過ぎて暑かったくらいです。帰りは19時半のバスで、帰りついたら23時半頃です。しかし思ったよりバスのシートが悪くなかったので、進化しているんだなあと思いました。ただ私も年々腰に来るようになっておりますので、楽にはなりません。
感性のシャワー
「ひとが苦手」、お二人の間にある軸のひとつがそれであり、今回はそれを中心にぐるりと一円の写真が並んでいました。あれは渦だった、大水だったと思います。
感性のシャワー。これが、自己紹介か。私は小山さんのフォトブック『架空のセルフポートレート』は購入して拝見していましたが、写真展という形で見るのは初めてでした。そのフォトブックですら心激しいものを感じたものですが、形態が変わるとまた違ったものに感じられます。
感性のシャワー。私はその中にいるときは、空間に酔っていました。多分、いつも通りの、あるいは交流によって気持ちが盛り上がった状態であっただけだと思っていました。しかしその渦から出てきて、帰途に就いてようやく激しい消耗を自覚したのでした。悪い影響ではないと直感しましたが、それだけ(単純な移動による体力消耗ではなく)観覧にもエネルギーが要ったのだなと思いました。自己紹介で。あの空間で臓腑を激しく打つような衝撃を受け続けていた。美しかった。寂しさと笑いの対比。手向けるような花。
作り手であるお二人は、どれだけあの波の中で生きているんだろう。平然と立っているのか。急に私自身の足元がひどく頼りないものに感じられたのでした。
「虚」と「実」
ツキノカホさんとお話させていただき、その中でお二人の写真が同じ軸でありながらも、また同じくひとを写しているとしても虚実対照的な写真を撮っているように思われるという話を伺いました。
小山さんの写真はすでに架空のセルフポートレートという展示とフォトブックにおける解題において、被写対象者の姿と感情に自己の内面を仮託してセルフポートレートを表現したと伺っていました。被写体そのものを実像としてみるよりは、イメージという虚像をつくりあげているように思われました。自己はモデルに含まれ(あるいはニアリーイコール)、目はカメラとして関係している。
対してツキノカホさんは被写対象者自身、もしくはそれと関連した(写っている)ものとの対照、つまり自己とモデルとプラスアルファが三角形のように繋がっていて、その距離感や心理的距離間が感じられた展示でした。実存的な実像としての関わり合いの中での表現です。持ってこられていた、他の写真集でも同様な印象を持ちました。
ひとであってひとでない
キーワード。自己の「生きる許可」の話。私の場合は「そこに存在していいという他者の認識を自覚したい」という他者の存在を強制する承認欲求。故に、攻撃的な排除に対する過大な怖れがある。穏やかでいたい。私の撮る写真の中の、私の好きな写真が、静かで穏やかな世界であってほしいという願いは、たとい無意識であっても要素として見えてくるかもしれません。
そう、だから、外界とは別の、自己の内面(そうであった、そうである、そうありたい)にあるものが、一旦自分の中からかたちになって、輪郭をなして行きます。それをじゃあ作品として表出しうるか。しうる人はいる。そのひとりでありましょう。もはや私にとってそのひとはひとであってひとでない、私の世界において。
自分の「ひとが苦手」。決して現実では他者の許容というものが保障された世界ではないこと。許容は相互許容で成り立つと思っています。一方的な許容の要求は強要になり得る。自分がそれを外に向かって叫ぶのは怖い。叫ばれるのも怖い。大きな声や音が怖い。自分自身がそれらを侵しているのではないかという怖れ。おだやかでいたい、おだやかな関係でありたい。写真がそれを叶えてくれるだろうか。穏やかさだけを求めるわけではないけれど。私にはひとは撮れないと思う、今は。どうやってみんな関わっているのだろう。
昨日は一昨日の余韻が頭の中をわんわんと反響しているようで、活動的とも非活動的ともとれぬような心持ちで歩いては撮り、休んで撮りしておりました。
まだ言葉にしきれないものがあるように思いますが、行って良かった、やはりあの空間に見に行ってよかったと思います。どう書いても、不十分で的外れな、私の独りよがりになってしまいました。私の感応によるものなので、それでいいのでしょうが。
次は『水の時計』とのことです。また見に行ければと思います。最後に、改めてお二人様展示お疲れ様でした。今後も引き続きお二人それぞれの活動を心より応援申し上げます。