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現代アーティストの小松美羽さんとの取り組みについて

京都東寺にて
2022年4月より、現代アーティストの小松美羽さんが京都の東寺(注1)を制作拠点にし、奉納する2つの掛け軸の制作に取り組んでいます。これは、東寺の至宝である両界曼荼羅(注2)のオマージュともいえるもので、本紙(注3)のサイズは4メートル四方の正方形という巨大なものです。ここへの金箔装飾を箔一が手がけたこともあり、納品後の品質チェックのために小松美羽さんの制作現場を訪ねてきました。

浅野
今日は、作業中のお忙しいところお邪魔させていただき、ありがとうございます。

小松
こちらこそ、わざわざ来ていただいてありがとうございます。いま作業はとても順調です。箔一さんに、当初のスケジュールよりもだいぶん早く仕上げていただいたので、とても助かっています。

浅野
先ほどから、描いているところを拝見させていただいていました。すごい集中力だなと感心しました。かなり無理のある姿勢で描いているようにも見えましたが、長時間続けるのは、大変ではないですか?

京都・東寺の食堂(じきどうにて)

小松
描いているときは、あんまり感じないんです。でも、終わってからどっと疲れが来ることがありますよね。

浅野
ここはずいぶん古いお寺ですから、空調などもないですよね。いつものアトリエと違って、絵を描くのにはとても難しい環境のようにも思います。

小松
すごく寒かったり、虫が出たりということも少ないです。ただ、お寺というのは本来修行するための場所ですから、ここで心を静めて絵を描くのは、自分と向き合う貴重な時間だと思っています。

浅野
特にこの東寺は特別な場所ですよね。京都は東寺から始まると言われることもあるほどです。

小松
空海(注4)さんの作った立体曼荼羅(注5)が近くあるわけですから。ものすごい力を感じる場所だと思います。

浅野
今回は作風も少し変わってきたように見えます。小松さんというと、溢れ出るようなイマジネーションを、即興的にキャンパスの上に一気に創り上げてくという印象がありました。この絵は、これまでより計算しながら緻密に描きあげられているという感じがします。

小松
そうですね。この作品は事前にかなり考えてから作業に入っています。

浅野
やはり曼荼羅ということで、意識される部分があるのですか?

小松
曼荼羅を描く上で、多くの知識ある方から教えをいただいたり、本を読んで学びを得たり実際に曼荼羅を鑑賞してきました。その上で、あえて何を描くのかを決めず、自我に縛られないように、深い精神状態から最初の一筆目を入れていきました。

浅野
小松さんは、「祈り」をテーマにして、ずっと目に見えないものを描いてこられた。それは特定の宗教ということでなく、もっと普遍的な価値観ですよね。そうしたこれまでの活動の延長線上でもありますね。

小松
はい、これまでの生きてきた全てが今だけでなく、未来の自分への指針となっています。全ていただいた宿命であり役割りですので、何気ない日常の中に潜む多くの事象もまた、脈々と繋がっているのです。 

浅野
この作品は、様々な人たちが、自分たちなりの宗教や文化といったバックグラウンドに応じて、自由な見方をできるようなものになるのでしょうね。その中で、今回の作品では「金箔」の位置づけも変わっているように見えます。

小松
この曼荼羅の中で、金という色は神聖なものを表現しています。そこは、何人たりとも踏み入れてはいけない世界として大切にしています。絵を描いている途中も、絵の具がかからないようにマスキングをして、しっかりと守っています。

浅野
古くから金は、特別な色として位置付けられてきました。人々が見たいと願っても叶わないようなものを表現する色でした。仏教であれば極楽浄土でしょうし、キリスト教であれば神の存在そのものかもしれません。それらは見えないのですから、視覚的に表現することは不可能です。ただ人々は、その不可能なもの、見えないということを金という素材で表現してきました。

小松
とても敬虔な仏教国であるタイやミャンマーの寺院でも、金はとても大切な色とされています。また、ヨーロッパで多くの美術館を回ったのですが、キリスト教の絵画もまた、金を用いて絵画が構築されているものもありました。金という色の持つ崇高な意味が各国の歴史からも感じとることができます。

浅野
そうした象徴的な金箔に、小松さんの絵が加わると、また意味が変わってきます。この絵の中には縄文時代のモチーフがあったり、空想上の動物がいたり、時空を超越したような世界観がありますね。

小松
古代の人たちには、神様というものがもっとリアルな実感としてあったのだと思うのです。そうした人たちが創り出したモチーフも、とても大切にしています。

浅野
かつては見えていても、現代人には見えなくなってしまったものがあるのかもしれません。小松さんには、そういうものが見えています。そう思うと、この1200年もの歴史を持つ東寺で絵を描くという意味もより強いものになっていく。

小松
このプロジェクトは、とても重要なものだと自覚しています。ですから、金箔装飾も信頼できる箔一さんでなければならないと思っていました。今回、ご用意いただいた掛け軸の本紙にはすごく満足しています。シルク製の「絹本(けんぽん)」なのですが、金箔がこの絹の繊維の隅々まできちっと入り込んでいて、美しく金色に輝いていながら、絹のテクスチャーがしっかり表現されています。本当に感動する仕上がりでした。

浅野
ありがとうございます。こうした箔押しの技術も、いまではとても貴重なものとなっています。職人も少なくなっているし、やがてはできる人がいなくなる時代もくるかもしれません。

小松
そういった意味でも、箔一さんの技術には価値がありますよね。これだけ大きなものなのに、ひとつも妥協なく、完璧に金箔があしらってあるのは、本当にすごいことだと思います。

浅野
現場も、かなり苦労していたようです。膠(にかわ)などの伝統的な素材を使って、和紙と絹でできた絹本に箔をあしらっていく作業は、とても繊細なものです。特に、今回は4メートル四方の巨大なものですから、失敗の許されない一発勝負。ただ、そういう中でも数百年も残っていくものにふさわしい、品質の高いものにしたいと思っていました。

小松
この掛け軸も、いずれは歴史の一部となっていくのかと想像します。掛け軸には、やがて修復が必要になったときのために、軸に技法などを書き入れておく習わしがあるそうです。私が書いたものも、数百年後の人の役に立つのでしょう。

浅野
使われた技法が残されていると、大変貴重な情報になるでしょうね。私たちが今回、膠などの昔ながら技法にこだわったのも、いずれ未来の人たちが修復できるようにと考えたためです。

小松
東寺は世界遺産ですから、修学旅行の子供たちをよく見かけます。先生がいろいろ説明しているのを見ると、私たちもやがてこうやって教えられる存在になっていくのかとか考えますね。この食堂(注6)(じきどう)も特別な場所で、ここでアーティストが創作活動を許されるのは、とても稀なことだそうです。数少ない資料には、800年前に運慶(注7)がここで作業をしたことが伝えられています。

浅野
あと1000年もたてば、きっと運慶も私たちも同じように歴史上の人物となっていくのでしょう。小松さんは、この場所で時空を超えたパワーをもらいながら絵を描いているという感じがします。

小松
お寺は本来修行の場ですから。曼荼羅を描き上げることも、修行のように感じることもあります。そう思って、筆入れ作業は普段の通り全て自分自身で行いました。それは、試練を乗り越えて、自分が願うものに近づくことでもあります。だから、すごく元気に作品作りに打ち込めています。

浅野
今日、お顔を見たときも、とても元気そうだと感じました。この場所と、うまく共鳴して調和しているからではないかと思います。パワーを吸い取るのではなく、吸い取られるのでもない。与えながら、自分も与えられるという関係だから元気になっていける。必ず素晴らしい作品になりますね。お体に気を付けて頑張ってください。

注釈
1.東寺
創建延歴15年(796年)。真言宗総本山。弘仁14年(823年)嵯峨天皇より真言宗の宗祖空海(弘法大師)へ下賜され真言宗の根本道場とした。
2.両界曼荼羅図
国宝。平安時代、東寺伝来。密教の根本思想を表現した本尊画像。『大日教』に基づく「胎蔵界」と『金剛頂教』に基づく「金剛界」の2つの曼荼羅をあわせて両界曼荼羅とする。
3.本紙
掛け軸の中心であり、仏画や書画などが描かれた作品の本体。紙を用いたものを「紙本(しほん)」、絹を用いたものを「絹本(けんぽん)」という。
4.空海
くうかい、宝亀774年~承和835年。真言密教の開祖。遣唐使の長期留学僧として唐にわたり、大乗仏教の奥義や経典・曼荼羅などを日本に伝来させた。諡号は弘法大師。
5.立体曼荼羅
平安時代。東寺。空海の発願で着工し、空海入定の年に完成した。通常は絵画で表現される曼荼羅を大日如来を中心とした21尊の仏像で表現した。うち16体が国宝に指定される。
6.食堂(じきどう)
僧侶が斎時に集って食事をした場所。生活のなかに修行を見いだす場ともされる。本尊は十一面観音菩薩。かつては足利尊氏が居住したこともある。
7.運慶
生年不詳-貞応2年(1224年)。日本彫刻史を代表する作家。仏像の世界に筋骨隆々として躍動感あふれる写実性を表現した。奈良東大寺の金剛力士像などが有名。

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