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「人間の価値について」

物事の価値はどのように
決定されるのでしょうか?
とても難しい問題ですが
算命学の観点も含め
少し考えてみましょう

そのもの自体に価値がある?

ここにマグカップがあるとしましょう
このカップに価値があるか?ないか?
この場合はそもそもカップの存在目的を
考える事がポイントになるでしょうね

液体を溜めて飲む為の器なので
その目的を果たせる状態のカップであれば
価値があると言えるでしょう

ひびが入っていたり
持ち手が欠けていたりすれば
価値はないですね

つまりは
そのカップ自体の品質が
価値を決めると言っていいでしょう

ここまでが第一段階

さらに考えを進める

しかし
何の変哲もないカップでも
人によっては価値がある場合もあります

長年使って愛着があれば
色が褪せていても
大切なものとして愛用し続けるでしょう

例えば
配偶者からプレゼントされたもの
という物語でもあれば
尚更価値があるカップになるでしょう
たとえ欠けてしまっていても
その人にとっての価値は
おそらく変わらないでしょう

こう考えると
そのものの価値は
そのもの自体に内包されている
というだけではなく
そのものに対する人の思いに
左右される側面があると言えます

言い方を変えれば
そのものに投入した気持ちの量が
ポイントとも言えるでしょう

私は小さな植物を幾つか育てていますが
自然と毎日観察するようになります
それは関心があるからです

植物は話せませんから
葉・幹の様子や土の様子などを見て
水やりや日光浴や肥料などを
あれこれ考えます
そんな世話を何年もしていると
かけがえのない存在になって行きます

この様に考えていくと
価値はそのものに内在していると共に
人が如何に情熱を注いだかという点も
甚だ重要だと思います
持ち主が価値を作っている
価値を付与しているとも言えるでしょう

人間の価値

カップを人間に置き換えてみましょう
その人の価値は
その人の能力などによって
測られるという側面は否定できません
スポーツ選手などは
その典型でしょうね
ビジネスなども同様かも知れません

しかし
人間の価値もカップ同様に
その人に対して愛情を注いだ人が
いる事によって
より価値ある存在になるはずです

分かりやすい話で言えば
母親は子供に対して
最大限に心身を投入するので
その子は母親にとっては
価値ある存在になるのは当然でしょう
そこには困難もあるが故に
尚更価値性も高まると言えるでしょう

モノも人も
それ自体でたとえ価値性があっても
その価値を評価し認識してくれる存在が
必要だという事が分かります

誰にも関心を持たれず
意識もされず
必要ともされなければ
たとえ価値が内在されていても
残念な事に価値が表現されたとは言えません
算命学ではそのような状態になれば
淘汰されると考えます

自分の宿命に向き合う

算命学的に言えば
生まれて来たという事は
なんらかの役目があるからです
なので
この地上に誕生しただけで
私は価値ある存在だと言えます

その役目(価値)を表しているのが
宿命(命式)ですから
自分の宿命を知っている方が
自分の人生を有利に
展開できると言えるでしょう

そして
自分が社会や時代に
如何に必要とされるか
如何に役に立てるかが
重要なのです

必ずしも社会や時代に
媚びるような生き方ではなく
その世界を跳躍させる為の
起爆剤になる場合もあるでしょう

先ずは
自分の宿命に関心を持つ事が
自分の価値を発揮する事の
第一歩になります

自分に自分が関心を持ち観察をして
手を加え世話を焼かなければなりません
自分を育てる意識が大切です
その事が
自分の価値の発揮に繋がるのです

ただ生まれて来て
環境に流されているだけでは
本来の価値(役目)を具現化する事は
出来ません

自分に対して手を抜いてはいけませんね
放置しては尚更良くありません
自分に対する愛情がなければならないとも
言えるでしょう
折角持って生まれた自分の宿命(価値)を
見殺しにするような生き方に
ならないようにしたいものです

算命学では他人を占う事よりも
自分の宿命の解明に力を入れる事の方が
優先されると教えてくれます

変な言い方になりますが
自分が一家の家長として
あるいは会社の社長として
家族や社員の生活に
責任を持つのと同じ感覚で
自分の宿命や星の一つ一つを
生かし輝かせる事に取り組めたら
良いと思います

***

読者の皆様にも
それぞれの価値観があると思います

今回は自分の宿命に向き合う事の
重要性を書いて見ました

最後まで読んで頂き
ありがとうございました

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