性別を越境した画家が描いた女性像の艶っぽさに、ただただ感嘆……「甲斐荘楠音の全貌」@東京ステーションギャラリー
2023年7月1日に東京ステーションギャラリーで始まった『甲斐荘楠音の全貌』の、プレス内覧会へ行ってきました。取材に行っておいて……なのですが、甲斐荘(かいのしょう)楠音(ただおと)さんという画家を、わたしは知らずにいました。もちろん行く前に予習はしましたが、正直にいえば、期待値は高くありませんでした。
ただ、はじめに記しておきますが「とても良かったです」。
展覧会が終わって帰途についた時に、なぜこれだけ才能溢れる作家の作品に、これまで全く触れたことがなかったのか、不思議でなりませんでした。もちろん、わたしが美術に疎いということは否めないものの……です。
※会場内は全て撮影禁止です。以下の展示会場内の写真は、主催者の許可を得て撮影しております。
■とにかく女性像(女形含む)が艶っぽい
展示されていた多くの作品の中で、最も時間をかけてじっくりと観覧したのが、チラシやカタログの表紙にも使われている《春》という作品です。2019年にメトロポリタン美術館に収蔵され、日本の美術館で公開されるのは、今回が初なのだそうです。
同作品を目の前にした時に思わず口にしそうになったのが、「エッロいなぁ」という言葉でした。チラシで見ていた時には、それほど思わなかったのに、本物を目の前にした時には、そう、強く思いました。これが実物の力なのでしょう。
いちおうパネルでの作品解説もありましたが、ここは、収蔵先のメトロポリタン美術館の解説が分かりやすいです。以下は、その英語の解説文を和訳したものなので、ニュアンスなどが捉えきれていないかもしれませんが、記しておきます。
「一見すると、この作品はゆるやかにフィットした着物をまとったのどかな若い女性の肖像のように見えます。彼女はストローを使って洋風のグラスタンブラーから飲もうとしています。しかし、この肖像は、画家が当時の京都文化シーンで唯一の公然のゲイアーティストであり(the only openly gay artist)、しばしば女性の着物を身に着けた姿で自画像を制作していたことが分かると、性別の同定について、より複雑なニュアンスを持つようになります。甲斐性楠音の絵画は、彼が描いた女性たちの姿に身を包んだゲイの男性自身を想像することで、男性の視線のアイデアを逆転させ、変質させています。作品は、8世紀の日本の柄、ボッティチェリの『プリマヴェーラ』(15世紀後半)、18世紀から19世紀の浮世絵の遊女プリントなど、多様な影響を取り入れながら、女性の美の観念に対して視聴者の期待に対峙し、挑戦しています。」
この解説を読んで、「あぁなるほど、これだけエロい絵が描ける理由が分かりましたよ」と思いました。
ただし、上記解説には「彼が描いた女性たちの姿に身を包んだ、ゲイの男性……甲斐荘楠音自身を想像することで、男性の視線のアイデアを逆転させ、変質させています」という点だけが、(英文読解能力の問題で)よく分かりませんでした。甲斐荘楠音が、どこまで自身を女性だと考えていたかにもよるかと思います。あくまで彼が描こうとしたのは、女性の美しさやエロさ……というと語弊があるのなら……艶やかさです。描く際に、自身が女性としてハイレベルの美しさにあると彼が考えていれば、女装した彼自身をイメージしながら、それを忠実に描いたかもしれませんが、そうではなかったような気がするんですよね。
解説を読んで、もう一つ考えたのが、なぜ日本の美術館ではなくメトロポリタン美術館に収蔵されているのか? ということです。つい最近の2019年まで、この作品が描かれてから90年に渡って、京都の個人が所蔵されていたそうです。あくまで推測ですが、作品を購入された方が亡くなり、相続された方が、さてどうしようか? と考えた時に「日本の美術館ではないな」と考えたのかなと。
例えば、メトロポリタン美術館の解説では、それもどれだけ正確な表現かは分かりませんが…「gay artist」と端的に記しています。一方で、今回の《春》に付属する会場内の解説では、一切触れられていません。
会場入ってすぐの「ごあいさつ」では、「女形としての演技や異性装による“女性”としての振る舞い、セクシュアルマイノリティでもあった甲斐荘の性のあり方は、彼の表現活動を解釈するうえで重要な要素」としていますけどね……展示を見る限りだと、女装家という雰囲気しか伝わってきませんでした。
個人的には、これが日本の美術館の…というよりも現代の日本人の限界なのかなと(むしろ楠音の生きた時代よりも、その面では退化しているのが、現代の日本社会だという認識です)。その限界を考えると、アメリカの美術館に収蔵された方が、適当なのかもしれない……そう思いました。
いずれにしても、甲斐荘楠音さんの描く女性像は、時に艶っぽく、さらに妖艶な雰囲気をまとっているものが多かったです。もちろん、わたしが「きれいな女性だな」と思った絵でも、実は男性を描いたものだった……ということは多々あるかと思います。
■スケッチ好きにはたまらんです
今回の展覧会『甲斐荘楠音の全貌』では、甲斐荘楠音さんが手帳などに描いたスケッチが、これでもか! というくらい展示されていました。完成された作品よりも、むしろ画家の描いたスケッチが好き……という、わたしのような人には、とても魅力的な展覧会です。
作品名としては《スケッチブック》と記されていましたが、トラベラーズノートくらいの大きさの手帖のように見えました。レザーの表紙かな……。
はがきサイズの紙に、着物の女性の姿を、何度も何度もスケッチしていたことがわかります。美しい線を探していたんでしょうか。スケッチというわりに、表情までしっかりと描かれていたのが印象的でした。
企画展『甲斐荘楠音の全貌』には『絵画、演劇、映画を越境する個性』というサブタイルがついています。展覧会の前半が、日本画家の楠音をフィーチャーしているのに対して、後半で演劇や映画の、主に衣装デザインで活躍した楠音にスポットを当てています。
そんな演劇や映画に取り組んでいた時期の、多くのスケッチも見て回れます。
右のスケッチブックに描かれた女性……着色はされていないものの、着物の柄まできっちりと描かれています。なんで、ページの切れ目に描いたんだろう? っていうのが謎ですね……。左側のスケッチブックに描かれた花魁も、サササッと走る線が印象的でした。
『旗本退屈男』など多くの映画作品で、甲斐荘楠音さんが衣装デザインを担当されたそうです。その衣装の多くが展示会で見られます。
■クライマックスは名作2点
甲斐荘楠音さんが20代前半に着想し、終生、描き続けたという作品があります。展覧会の最後は、その《畜生塚》と《虹のかけ橋》を観ることができます。
豊臣秀吉が、養子であり二代目の関白とした豊臣秀次の妻や妾子、侍女や乳母に至る計39名が、京都の三条河原で斬首された事件は、あまりにも有名です。自害した豊臣秀次を含む、彼女らの遺体は、そのまま三条河原に埋められて、塚(お墓)が作られました。これを通称で《関白塚》や《殺生(摂政)塚》、あるいは《畜生塚》と呼ばれました。その後、鴨川の氾濫で塚は流されてしまいますが、近くに瑞泉寺が建てられて、供養されているそうです。
甲斐荘楠音さんは、その瑞泉寺まで(Googleマップだと)徒歩11分の京都御所の東南エリアで生まれ育ちました。作品としての《畜生塚》は、三条河原で斬首された39名の女性たちを描いたものです。
この作品自体も印象的だったのですが、それよりも「すごいな」とズキンッと心に刺さったのが、《畜生塚》に取り組むに際して描かれた下絵や習作の数々です。それらが描かれたスケッチブックもまた、作品の向かい側の壁に何点かが架けられています。
特に印象的だったのが、下の下絵です。画題から、当然このスケッチも、斬首される前の女性たちが描かれているのですが……とても美しいなと感じたんです。《畜生塚》という未完の作品は、当たり前ですが、なにか意識した上での芸術性のようなものを付け加えようとしている……そういう意図的なものを感じるのですが、こちらのスケッチは、もっと無意識下の……ついつい女性たちを美しく描いてしまった……みたいな感じが良いなと。
《畜生塚》のある部屋から、さらに先へ進むと《虹のかけ橋(七奸)》が現れて、うわぁっと声を挙げそうになるほど圧倒されました。言葉で表現するのは難しいのですが……まぁ見てもらえれば分かりますw
甲斐荘楠音が20代の、1915年から最晩年の1976年まで筆を加え続けた作品です。《虹のかけ橋》などと、きれいなタイトルが付いているのが、甲斐荘楠音さんからすれば苦笑い……ではないかなと。
楠音さんに「まさかご自身で、こんなタイトルを付けたわけじゃないですよね?」と聞いてみたい気もします。そしたら「ええ、元は『七奸』っていう名前だったんですけどね、買い取ってくれるという京都国立近代美術館が、その名前だと具合が悪いっていうんで、仕方なく思いっきり小綺麗な名前にしてみましたよ。レインボーのかけ橋って、名前を変えた当時は、誰も意味なんか知りませんでしたよ。でも、SDGsっていうんでしたっけ? 今だったら、意味を察してくれる人も多いんじゃないんでしょうか」……なんて返事がもらえるかもしれませんね。
本当かどうかは知りませんが、1926年……甲斐性楠音さんが32歳頃のことの話です。上野で開催されたある美術展に『女と風船』というのを出品したそうです。美術展が開催されて、甲斐荘楠音がうきうきしながら上野へ行くと……なんと、当時の日本画家の重鎮・土田麦僊さんに陳列を拒否されたといいます。
それで、美術展からほど近い場所にいた土田麦僊先生に直談判しにいくと……「穢(きたな)い絵は会場を穢くしますから」とにべもなく断られたと言います……悔しがった甲斐荘楠音さんは、「穢い絵で綺麗な絵に勝たないかん」と奮起したとも……。
繰り返しますが、出品を拒否されたのは事実でしょうが、土田麦僊さんが、本当にこんな言葉を使ったのかは、分かりません。土田麦僊さんが使った言葉を、甲斐荘楠音さんは、「穢(きたな)い絵は会場を穢くしますから」という意味に受け取っただけの可能性も低くないと思います。
また、西洋画においては1894年に黒田清輝さんの作品で、裸婦像が出品されて、是非が問われたようですが、もしかすると日本画においては、まだ耐性がなかったのかもしれません。その時に甲斐荘楠音さんが出品しようとしたのが、上の《女と風船》です。完全にポロリしていますからね。土田麦僊さんが嫌がったのは本当なのでしょう。
最後に展示されていた、元は『七奸』だったという《虹のかけ橋》で、そんな甲斐荘楠音さんの「穢い絵で綺麗な絵に勝たないかん」という気概が伝わってきました。そうした、心にグッとくる作品をたくさん見られた、本当に良い展示会でした。
■開催概要
会期:2023年7月1日(土)~2023年8月27日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
休館日:月曜日 (7月17日,8月14日,8月21日は開館)、7月18日(火)
観覧料:一般 1,400円、高校・大学生 1,200円、中学生以下無料