千住の琳派を、おばあちゃん達の雑談をBGMに堪能してきました〜『琳派の花園あだち』(3) @足立区郷土博物館
足立区郷土博物館の特別展『琳派の花園あだち』の、会期終了が間近に迫っています。思えばnoteに記すのは4回目となります。
なぜこんなにしつこく、こんなに多くの文量で一つの特別展をnoteに記録していくのかと言えば、そのきっかけは「あの足立区が琳派?」という違和感というかギャップがきっかけでした。
だって、東京23区の中で足立区と聞いて、良いイメージを抱く人って、本当に失礼な話だとは思いますが、そんなに多くは居ないと思います。例えば「文化レベルが高い」とか「意識高い系が多い」といったイメージの区と言えば、まずは東大が在るってこともあるし山の手っぽい文京区があり、東京国立博物館をはじめ、国立科学博物館や都立の上野動物園、都立美術館、国立西洋美術館が立地する台東区があり、松尾芭蕉や葛飾北斎を生んだ墨田区などもダークホース的に存在しますよね(港区とか渋谷区、新宿区などはどうなんだって? あのへんは知りません)。一方の足立区って、東京武道館のイメージと言えばまだ良い方で、一般の人たちも武闘派が多そうな印象がないでしょうか?
そんな足立区で琳派展が開催されているの? というギャップですよね。それが大きいです。そうしたニュアンスのギャップなのかは分かりませんが、琳派に詳しい武蔵野美術大学の玉蟲敏子教授も、学芸員との対談で、足立区の文化遺産調査に関わるきっかけとなったのが「普通にイメージする“千住”と、“琳派”とのギャップ感。『何だろう?』と思ったところからのスタートだったのです」と語っています。
人って、ギャップのあるところに、どうしても「何だろう?」って思ってしまうものなんですよね。だからわたしも、『琳派の花園あだち』に興味をいだいたんだと思います。
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『琳派の花園あだち』について、過去に『江戸琳派の創始と言われる酒井抱一ってどんな人?』と『酒井抱一と千住酒合戦……そして鈴木其一』をnoteに記しました。千住の琳派には、江戸琳派の始祖と言われる酒井抱一が欠かせない存在であり、その酒井抱一の後を継いで、千住や足立エリア全体に琳派という文化をさらに広げたのが鈴木其一だったということを説明しました(説明しようとしました)。
そして今回は、実際に具現化された千住琳派や、谷文晁の弟子たちが織りなす谷派の作品を、紹介していきたいと思います。え? 琳派ではないの? と気が付いた方はするどいです。同展は『琳派の花園あだち』と題していますが、正確には『琳派と谷派の花園あだち』なんです。なぜかと言えば、江戸琳派の酒井抱一とともに、その親友だった(特に琳派ではない絵師の)谷文晁も、千住や足立エリアに大きな影響を残していたからです。
前述の対談で玉蟲敏子教授は、足立エリアの文化財を調べていて、ある特徴に気が付いたと語っています。それが「まずは千住の旧街道沿いの商人層から琳派関係のものがでてくる。一方、江北地区からは谷文晁の弟子が出自した舩津家から谷文晁関係の資料が出てくる」ということです。
もっと言えば、琳派とか谷(文晁)派などがミックスされた、足立ローカルな文化が、作られていった……そう言っても良いのかもしれませんね。
■酒井抱一後にも広がっていく千住・足立の琳派
前回のnoteでは、千住の旦那衆が集まって結成された「千住連」などを中心に、千住と酒井抱一の関係が深まっていったことを記しました。そして「千住酒合戦」などもあり、酒井抱一とその弟子・鈴木其一と千住の関係が確立していったと……
その関係性は、酒井抱一がなくなってからも、鈴木其一と千住の旦那衆とのつながりということで、保たれます。そして「鈴木其一の世代になると、琳派をはじめとする絵師たちは、漢詩・俳諧・ 狂歌など多様な文芸の担い手たちと共に肉筆の掛軸や摺物を積極的に手がけ、足立の文化は、ひとつの成熟 期を迎えていきます」と解説パネルにはあります。
■千住へ移り住んだ其一の弟子・村越其栄
そうした中で、鈴木|其一《きいつ》に絵を学んだ村越|其栄《きえい》は、(酒井抱一や谷文晁が暮らした)下谷から、千住へと移り住みます。村越|其栄《きえい》は、千住河原町で寺子屋「東耕堂」を経営しながら、絵師として活動。「地元の人々の祭礼や日常生活を彩ります」(解説パネルより)。
解説パネルには「咲き誇る花や、その周囲に茂る葉には墨や顔料のにじみを活かす「たらし込み」が駆使され、鮮やかな中に重厚な趣を感じさせています」と記されています。個人的には、ひまわりが加えられている点が、それまでの日本画とは異なる印象で、新しさを感じました。ひまわりが“秋”なのかは、ここではスルーします。
■舩津
上沼田村(現・足立区江北)の豪農だった舩津|文渕《ぶんえん》は、酒井抱一の親友で同じ「下谷組」だった谷|文晁《ぶんちょう》に師事して絵を学びました。舩津|文渕《ぶんえん》は、文晁一門の他にも、江戸琳派の鈴木其一らとも親しく交流していました。
絵画学習のために舩津文渕が作った手本帳だそうです。師の文晁をはじめ様々な絵師の人物、山水、花鳥図が描かれる中、文渕の(後で出てくる)『四季草花図小襖』に似た、琳派の影響が見られる、文晁の襖絵の写しも収録されているそうです。
上のページを見る限りは、左が文晁風で右が琳派風という感じでしょうか。
酒井抱一が出版した句集を、舩津|文渕《ぶんえん》が筆写し、巻頭に鈴木其一が「墨梅図」を描いていたそうです。
鈴木其一と舩津|文渕《ぶんえん》は、2人の師匠である酒井抱一と谷文晁のように、互いをリスペクトしていたのでしょうね。
小右衛門新田 (現足立区中央本町・梅島周辺) の郷士、日比谷家からの依頼で舩津文渕が描いた四面の小襖です。谷文晁の弟子だった|文渕《ぶんえん》ですが、本作は金箔地に四季の草花を描いた、琳派風の作品だと言えます。
■教育家としても絵師としても引き継いだ村越向栄
その村越其栄の息子で、寺子屋「東耕堂」を継ぎ、のちに「私立村越小学校」へと発展させたのが村越向栄でした。
「向栄と交流のあった千住の旧家に伝来したもので、茶会で用いるために制作されたとみられます。千住の人々が向栄の作品をふだんの暮らしに用いていたことがわかる作例です」(解説パネル)
「鮮やかな燕子花と、その中をジグザグに渡る八橋の絵です。尾形光琳以来、酒井抱一などが金箔地を背景に描いてきた燕子花や八橋という画題を、銀箔を背景として描いています。八橋には、銀箔が墨や顔料をはじく効果を利用して、複雑な文様が表されています」(解説パネル)
向栄と交友の深い名倉家に伝来した、小ぶりな作品の数々……小品です。
千住では明治30年代から向栄を囲んで書画を楽しむ活動が行わたそうです。そうした機会に即興で描かれたのかもしれないそうです。
村越向栄は、博覧会などの公募展がはじまる明治画壇でも活動を見せます。向栄たち、酒井抱一や鈴木其一の系譜を継ぐ画家たちは「光琳派」と呼ばれたそうです。
また同じく光琳派の酒井道一たちと「四皓会」を結成。明治四十一年三月の『美術新報』の記事には、そのことが次のように報じられている。
■足立の各地に残された“琳派”の足跡
そして足立エリアには村越向栄だけでなく、彼ら「光琳派」の画家たちの作品も多く残されているそうです。そんな一つが、特別展の最初の部屋に飾られていた、酒井道一の『月に秋草図屏風』です……と思ったのですが、こちらは杉戸町に伝わったもののようなので、足立エリアではないですね。
あちこちの解説パネルを読むと、この埼玉県杉戸町・濱田家というのは、千住仲町の石出家の縁戚なのだそうです。その石出家は、幕末には千住宿総代を務めたほどの商家。さらに江戸時代後期に狩野派の絵師・高田円乗の門人となった人がいるなど、千住宿の文化の担い手となっていたそう。
今回展示されていたものの中で、最も刺さったかもしれません。
同じく石出家の縁戚、濱田家の蒐集品の一つが、足立区郷土博物館に寄託されています。酒井抱一の門人で、鈴木其一と並ぶ絵師、池田孤邨の作品です。
中野其玉は、鈴木其一の高弟である中野其明の息子。1771年創業で現在も名倉整骨院として受け継がれている、足立区千住五丁目の名倉家の収蔵。当時の当主、名倉彌一が中野其玉と交流していたといいます。
「金地を背景に鮮やかな紅梅を描いています。すらりと伸びた枝には、緑青に よる 「たらし込み」が施されています。花は花びら一枚一枚を分けずに、円の中に金と緑青で雄しべを描くという 単純化された形で表現されています」(解説パネルより)
「名倉彌一氏の還暦祝いに贈られた色紙の一点。琳派の画風を踏襲して葉の筋は金泥で引かれ、後ろで交差する竹も金で描かれるというように、さりげない装飾美が見られます」(解説パネル)
■千住酒合戦はまだ引き継がれていたのかも
これで特別展『琳派の花園あだち』について書きたかったことは、すべて記録できた気がします。美術に関しては理解が薄いのですが、展示を観に行き、調べて書くことが、とても楽しかったです。それというのも、千住の旦那衆を中心にして広がっていった、多くの人たちの“つながり”を感じるのが、楽しかったんだと思います。
同時に足立区郷土博物館の、郷土愛というか千住や足立に対する思いが、すばらしいなと思いました。わたしは、作品を紹介する時に、寄贈や寄託された作品については、誰が寄託したのかも記すようにしているのですが、今回の特別展に並ぶ作品の多くが、館に寄託されたものなんだなということ。そのほかも、当然、展示のためにそれぞれの家から預かってきたものですよね。足立区郷土博物館と地元の人たちとの信頼関係を感じずにはいられませんでした。また、こうした地元の企画展は、かつての(前回noteで紹介した)千住酒合戦を開催した時と、同じマインドだったんじゃないかなと。家にある琳派などの秀作を持ち寄り、みんなで観覧していく。それを今は、足立区郷土博物館が担っているということ。
最後にタイトルにしておいて、書くのを忘れていたのですが……足立区郷土博物館に入館した時に、おそらく地元のおばあちゃん3人組が、作品の前に置いてあるソファに座って、お話をしていました。それは全く作品に関する話ではなくて、近所のお友達が入院したとか、そういう話だったんです。そこは吹き抜けの部屋だったので、わたしが2階へ移動してからも、ず〜っと、そのおばあちゃんたちの会話が響き渡ってきました。
そういうのが似合う場所で、とても微笑ましく、琳派の作品を観ていくのに、とても良いBGMだったなと思ったのでした。
『琳派の花園 あだち』は、2022年12月11日(日曜日)までです。今週末までですね。特に足立区や台東区、もしくは葛飾や荒川など近所に住んでいたり、行く用事が多い人でには、おすすめしたい展示会です。
以上です。
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