心の整理整頓、そのに。

今のわたしに出会うまで

もともと、『自分』というものが希薄だった。
今でも何度か自動ドアに無視されるくらいには
気配?生気?がなく、人の顔色を伺う割にたまに
どうしようもなく空回りしては最悪を選び取る。

先生や親から怒られた時は、身体と喉と思考が
固まって何も言えなくなっていた。
大人が、周りの人が、なぜこんなに自分を
怒っているのだろう。申し開きしたかったけど、
口を開いたら言い訳するなとまた怒られそうだ。
萎縮した頭ではそんなことすら考えられず、
ただ只管聞いて適切な所で謝るしかなかった。

そんな自分だったように思う。
今もそうかもしれない。

周りの人の考えているだろう事に思いを向けて、
誰かのために動いていることが好きだった。
目に見える範囲で、目に見えないこころを測り、
役に立てることがあれば嬉しかった。

これまでは昔の自分の心の機微や傾向に対して
そこまで解像度は高くなかったけれど、数年前に
自分と向き合う必要性が心に芽生えた。
仕事先の人や連れ合いとの関係で悩んだり、
うまく社会を渡れない自分に嫌気が差したりして
思い悩んでいつつも、仕事で人の悩みを聞く。
こうすればよいのではないですか。しんどいね。
大変でしたね、気持ちはよくわかります。
病院や職場では相談できていますか。

──人にはいくらでも言える。
        目の前にいるから。
        心を配って、気を配って、目を配って
        辛さを共有したり、推し量ることで、
        その人が楽になれるから。
        自分の考えを整理して、直面する困り事に
        解決方法を見出だせる一助になれるから。

もやもやした気持ちを抱えていたところ
何気なく流し見ていたネット広告に目が止まる。
『本当のあなたがわかる!精密性格診断』
みたいな。うろ覚えだけれど、そんな謳い文句。

ほんまかいな、と眉に唾して進めてみると、
結果を読みすすめていくうちに、腑に落ちた。
なんだか苦しくなるくらいに、今までの自分や
うっすらと朧げに認識していた性格などに、
言葉がついた。理由をもらえた気がした。

そこから少しだけ、考えるようになった。
『たまにしんどいのはなぜだろう』
『人間関係でなぜこんなに悩むのだろう』
『わたしはなぜ、こんな人間なんだろう』

ネットの無料診断を渡り歩いた。
気になる事を検索して、可能性を模索した。
『病気かもしれない、とたくさんたくさん
ネットで症状を検索してしまう病気』があると
出てきた時は、まんま自分じゃないかと笑った。

心動いた瞬間をおさめるのがすき。

言葉、クリニックとの出会い


─────こんな自分に、なぜなったのか
自分の状態に説明をつけたい。納得したい。
そう思ってなんとなく入った小さい書店で、
一冊の本を見つけた。

HSPという言葉を知った。
共感できることが、たくさん書いてあった。
ここまで繊細に受け取ることはないけれど、と
思うところもあったけど、惹き付けられた。

10年ほど前から、寒気がするときの行動が
周囲と違う、という症状に悩まされていた。
ぞわぞわした震えのような感覚が足先に降りて
溜まっていくまでの数十秒、動けなくなる。
その後全部開放されるかのように、ぴょんと
全身でジャンプするような挙動を見せる。
これまで不調を感じ検査しても、何もなかった。
加えて、めまいが約1ヶ月ずっと続いたことや、
言いたい言葉が出てこなくて詰まる、1音目を
繰り返さないと言えなくて別の単語で伝えるなど
小さい困りごとが重なり、仕事に支障も出るので
脳神経内科を受診したのが契機となり、現在の
クリニックに繋がった。

最初は投薬を受けながら、言葉が出ない状況や
たまにくる発作のような動きの原因を探ったけど
ここでも診断名がつくわけではなかった。
自分の状態に説明をつけ、理由が知りたい。と
相談して、発達検査を受けることにした。
クイズ番組のように、大層楽しく取り組んだ。

処理能力だけが、他に比べて低かった。
できない部分を自分で攻めて、自分の事を詰って
辛い思いをしているのだと教わった。
確定診断は出ていないものの、数値からは
ASDのグレーゾーンと言える、と聞いた。

薬はお守り代わりに持っていていいから、
あなたはカウンセリングを中心にした方がいいと
穏やかに勧められたときは、結局これかと
内心ひどく落ち込んだ。持って生まれた性質で
大人になった今気付いて焦って藻掻いても、もう
付き合っていくしかないのだと突きつけられた、
そんな気がしてならなかった。

カウンセリングは2ヶ月に一回で、
仕事が入ればキャンセルにするしかないので、
数カ月間が開くこともしばしば。
そんなにあったこと、辛かったことなどを
覚えておける自信がなかったこともあり、
病院に持っていくノートを作ることにした。
書くことは、専門家からも推奨された。

自分のことを考える、こころに目を向けるのが、
こんなにも難しいことだったのだと知った。
ネットの記事を要約して書き写し、学んでいくと
不思議と性に合っている自分に気付く。

今のところ、嫌だった事や理不尽だと感じた事を
気持ちの大きな動きのまま長文で書いているのを
あとで読み返して『なんて勝手な人間』と
絶望するところまでがワンセットで、歩みは
遅々として進んでいないけれど、少しずつだけ
『自分の自動思考』『気を付けるべきこと』
『これが好き、嫌い、苦手、譲れない』など
解像度を上げることができたと思っている。

──ここも、きっと、そんな場所になる。

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